慶応四年、閏四月。
私たちは会津藩と共に新政府軍と対峙すべく、会津の地で準備を進めていた。
会津では先の戦で負傷した土方さんに代わり、斎藤さんが新選組を率いている。
土方さんの看病は千鶴ちゃんに任せ、私は斎藤さんや島田さんたちと行動を共にしていた。

「あの斎藤という男…右差しでいるなど武士を愚弄しているのではないか?」
「あのような男が隊長とは…」

耳に入った会話に思わず視線を向けると、会津藩士たちが不満げな表情を浮かべている。
他藩に比べ生真面目な会津藩士たちは、案の定、斎藤さんの右差しを快く思っていない。
武士にとって命である刀は、左差しでなければならない。
武士の誇りを忘れていないからこそ、彼らはそれが気に入らず、斎藤さんの指示に従わないことさえあった。

「それに、何故新選組には女子の隊士がいるのだ?戦に女子を連れるなど……」
「お、おい」

会話に入っていた会津藩士の一人が私に気付いたのか、慌てて仲間の言葉を遮る。
彼らは私の姿を見て気まずそうな表情を浮かべると、そそくさとどこかへ去っていった。
会津藩士に不満を抱かれているのは、斎藤さんだけではなく私もだ。
男の身なりをしてはいるものの、目が回るような戦続きの暮らしの中で、完全に男に成りすますことは流石に不可能だ。
武士の魂が色濃く息づいているこの地だからこそ、女でありながら戦に身を投じる私もまた、異質な存在なのかもしれない。

「あの…新選組の方でしょうか」

じっとその場に立ち竦んでいると、不意に背後から声をかけられた。
聞き覚えのない凛とした女の声に半ば驚きながらも振り返ると、一人の女性の姿があった。
すらりとした長身に、端正な顔立ち。
その佇まいからは、育ちの良さが窺える。

「ええ、そうですが…あなたは?」
「私は、会津藩の中野竹子と申します。新選組にいらっしゃる女隊士の方とは、あなたのことでしょうか?」

凛とした声音で尋ねてくる彼女に、私は頷く。

「はい。みょうじなまえと申します。新選組に何か御用でしょうか?」
「新選組に、と言うより…あなたにお会いしたかったのです、なまえさん」

私に会いに来たという竹子さんに連れられ、私は会津の城下町にいた。
戦が近いということもあってか、城下町に暮らす人々は、どこか不安げな表情を浮かべている。

「会津へ来られたのは、初めてですか?」
「ええ…まさか、こんな形で訪れるとは思いませんでしたけれど…」

そう言葉を交わしているうちに、私たちは外れの小高い丘に辿り着いた。
振り返ると、先程通り抜けてきた城下町と、それを見下ろすかのように聳える鶴ヶ城を一望することができる。
その光景に目を細めながら、竹子さんは口を開いた。

「会津の人間は、頭が固いと思われたでしょう?」

不意にかけられた言葉に、思わず言葉を詰まらせる。
そんな私に対して、竹子さんは眉を下げて困ったように笑った。

「隠さずとも良いのです。会津は、良く言えば生真面目、悪く言ってしまえば愚直です。私が江戸にいた頃もそのような噂は耳にしていましたし、何より有名でしたから」
「竹子さんは、江戸のご出身なのですか?」
「はい。私は江戸の会津藩邸で生まれた身なので、皆のような訛りはないのです」

会津の人々には、特有の訛りがある。
しかし彼女の言葉にそれが見られないのは、そういう理由があってのことらしい。
そう告げながらくすりと笑う彼女の姿は、とても綺麗だった。
私から見ても、彼女が容姿端麗であることは一目瞭然だ。

「ですが、私はそんな会津を誇りに思っています。愚直とも呼ばれるあの真面目さは、永く受け継がれる武士の魂の現れなのですから」

彼女は、誇らしげな表情で続ける。

「この会津の地には今もなお、武士の心が息づいているのです。誰もが武士の心を持ち、それを子へと伝えていく。男であれ女であれ、皆、己に誇りを持っています」

そこまで告げると、彼女は視線を私へと移した。

「幼い頃から、私は薙刀を学んでおります。それは偏に、いつか殿と、この会津のために戦うため……しかし、やはり女が戦に臨むとなると、あなたも知っている通り、少なからず反感を買ってしまうことになるでしょう」
「…たしかに、そうですね」

新選組に所属している私を見る彼らの視線は、たしかに何か含むものがあった。
千鶴ちゃんは小姓として土方さんのお世話に回っているけれど、私はそうではない。
戦に直接参加することはしばらくしていないが、いつでも戦える準備はしている。

「それでも、あなたは女の身でありながらも、新選組で戦っていらっしゃる。きっと今に至るまでも、女であるが故の苦労をなさってきたのでしょう。そうまでしてあなたが自ら戦に身を投じるのは、何故ですか?」

彼女は真剣そのものの表情で、私をじっと見つめている。
その視線を受け止めると、彼女の真っ直ぐな漆黒の瞳の奥に宿る強い意志に気が付く。
彼女も、私と一緒なのだろう。
守りたいものがあって、貫く意志があって。
女だとかそんなこと関係なしに、為さなければならないことがあるのだ。

「私には、とても大切な人がいました」

同じ想いを持つ彼女に、私は静かに口を開く。

「その人は、己の命の全てを懸けて新選組を守り、そして命を失いました。私に、新選組を頼む、と言い残して……」

あの熱を、震える手を、声を、今もしっかりと覚えている。
でも、私の声は、身体はもう震えることはない。
それは、私の志が揺るぎないものと成ったからなのだろうか。

「その後も、たくさんの大切な人を失いました。誰もが己の身を賭して戦い、私たちに新選組を託して逝きました。自らの誠を抱いて戦に臨み、そして散っていった彼らの想いを、私は守りたい。彼らが見た夢の先を見届けたい」

たとえ女だと言われても、そんなことはどうだっていいのだ。
私が為すべきことの前で、そんなものに意味などないのだから。

「たしかに、私は男に比べれば非力な女です。でも、それが戦わない理由にはなりません。想いを託していった彼らの為に、彼らの守ったものを守る為に、私はここにいるんです」

大層な理由なんてない。
私が新選組と共に歩み続けるのは、ただそれだけのため。
これが私の誠だと、胸を張って言うことができる。

「…辛いことを思い出させてしまったのなら、ごめんなさい」

少しの間の後に、竹子さんが小さく呟いた。

「でも、そのお話が聞けて良かったです。これで私も、戦えます」

そう言った彼女は、晴れやかな表情を浮かべている。

「会津の武士に比べれば、私のような女の力など、数にも入らないでしょう。それでも、たとえ女の身であったとしても、私はこの会津のために戦いたい。少しでも守れるものがあるのなら、私はそれに己の命を賭す覚悟です」

竹子さんは城を仰ぎ見て、それから再び私を見た。

「お会いできて、本当に良かった。ありがとうございました、なまえさん」
「私も、竹子さんとお話ができて良かったです。どうか、ご武運を」
「きっと敵に報いてみせましょう。女と舐めてかかられたら、返り討ちにしてやります」

そう言って勝気な笑みを浮かべた彼女は、やはりとても美しかった。



会津の南、白河口での戦の火蓋が落とされたのは、それから間もなくのことだった。
新選組は奥州へ軍を進めつつあった新政府軍を迎え撃ったが、戦況は思わしくなく、この白河口での戦いは敗北に終わった。
この戦の後、傷の具合が落ち着いた土方さんが合流し、再び彼が新選組の指揮を執ることとなる。
その間にも新政府軍は着々と奥州への侵攻を進め、ついに会津の東、二本松城も落城したという知らせが伝えられた。

「敵が会津をとるとなれば、この母成峠を越えて鶴ヶ城を目指すでしょう」

畳の上に広げられた地図を眺めながら、山南さんがそう告げる。
土方さんも同様に視線を落とし、その言葉に頷いている。

「ああ。大鳥さんは母成峠に布陣して迎え撃つ構えだ」
「じゃあ、俺たちも援軍に出るわけ?」
「当然だ。会津をとられるようなことになったら、奥州列藩の示しがつかねえ。何としても母成峠で食い止める」

土方さんと平ちゃんの会話を聞きながら、心の奥に一抹の不安を感じて思わず拳を握りしめる。
弱気になってはいけない。
それは分かっているのに、どうしても嫌な予感がしてならなかった。

そして、慶応四年八月。
ついに母成峠で戦いの火蓋が切られた。
新政府軍は土佐藩を中心としており、その数はおよそ三千。
対する会津側は、大鳥圭介率いる旧幕府軍・伝習隊四百名を中心とし、二本松兵、仙台兵、そして新選組七十名を加えた、計八百。
嫌な予想とはよく当たるもので、そのあまりにも大きすぎる兵力の差は、戦での劣勢を何よりも物語っていた。
それでも旧幕府軍は奮闘したが、劣勢を押し返すことはできないまま、敗戦と敗走を重ねるしかなかった。

「傷の具合はどうですか?」
「ああ、だいぶ楽になった。かたじけない」
「みょうじ殿、すまぬがこちらの者の容態を見てはもらえまいか」
「はい。今行きます」

夜の陣営で怪我人の様子を見回りながら、呼ばれるままに身を翻して治療を行っていく。
初めは訝し気な表情を浮かべていた兵たちも、今では私を頼ってくれるようになっていた。
それは素直に嬉しく思ったけれど、この戦での怪我人や死者は少なくはない。
おそらく、会津は落ちるだろう。
そんな考えはもちろん浮かんだけれど、決して口にすることはなかった。
不意に脳裏に、中野竹子と名乗った彼女を思い出した。
彼女も今頃、どこかで戦っているのだろうか。

新選組の会津からの撤退が決まったのは、それから間もなくのことだった。
次の行く先は、さらに北の仙台。
土方さんは会津を見捨てるわけにはいかないと主張したけれど、新選組の撤退は、他ならぬ会津の容保公のご意向らしい。
そう言われては、土方さんも異議を唱えるわけにもいかなかった。
山南さんと平ちゃん率いる羅刹隊が先行して向かい、私たちは撤退準備が整い次第、会津を発つそうだ。
そしてこの会津の地には、斎藤さんが残ることとなった。

「こんなところにいたんですね、斎藤さん。探しましたよ」

月が高く昇る頃、私はようやく探していた人を見つけて歩み寄る。
月光に照らされ、彼はいつも通りの様子で私へと視線を向けた。

「なまえか…どうした?」
「どうした?じゃないですよ。どこかの誰かが会津に残るって言いだしたって聞いたので、挨拶しておこうと思ったんです」

わざとらしく肩を竦めると、彼は小さく笑みを浮かべて視線を落とす。

「この地には、武士の魂が息づいている。俺も武士として、見捨てるわけにはいかない。止めても無駄だぞ」
「たとえ止めたとしても、聞いてくれないことは分かっています。だから、最後のお願いをしにきました」

私の言葉の意図が分からないのか、斎藤さんは黙ったまま先を促すように私を見た。
その視線に、私は笑みを浮かべて口を開く。

「会津に来て、私もこの地に生きる人たちの志に触れました。男だけでなく、女であっても、武士の魂を持ち、己に誇りを抱いて生きている。私と同じように、女の身でありながら、自ら戦に身を投じる女性にも出会いました」

己を貫く姿は、なんと清く、美しいのだろう。
武士であることを重んじるあまりに、最初は相容れないこともあったけれど、それも偏に彼らが誇りを持っているからだ。
斎藤さんが言ったように、この地には、今でも武士の魂が強く息づいている。

「きっと、会津での戦は厳しいものとなるでしょう。私がわざわざ言うことではないことは承知で言います。…どうか、会津と、会津の人たちのことを、お願いします」

武士の魂を持つ彼らを、どうか助けてあげてほしい。
たとえ、その先に待ち受ける終末が悲劇であったとしても。

「俺は、この地で誠の旗を掲げ、戦に臨む。離れていようとも、新選組は誠の旗の元にひとつだと、副長も仰っていた」

そこまで言うと、斎藤さんは淡く微笑みを浮かべる。

「武士の拠り所である誠の旗を掲げ、新選組として、俺はこの会津と共に最後まで戦うと決めている。言われずとも、決して会津を見捨てたりはしない。案ずるな」
「はい……でも、命は大事にしてくださいね」
「ああ。では、俺からもひとつ、あんたに頼みたいことがある」

珍しい彼の言葉に、私は思わず首を傾げた。
斎藤さんの口から何かを頼まれるというのは、今まであまりなかった気がする。

「新選組と、それから副長を、頼む」

真っ直ぐな視線と声に、なぜだか目頭が熱くなった。
私は何度、この言葉を聞いたらいいのだろう。
泣きだしそうになるのを堪えて、私は無理矢理笑みを浮かべた。

「もう、その言葉は聞き飽きましたよ……みんな、そう言う、から……」

その言葉を聞かされるのは、決まって最後の別れのときだ。
涙が今にも溢れそうになるのは、きっとそのせい。
視界が滲むのを感じて、手で目元を拭って顔を上げる。
私を見つめる斎藤さんは、これから戦を迎える人とは思えないほど穏やかな表情だった。

「言っただろう。離れていても、誠の旗の元にひとつだと。俺は会津で、あんたはこの先に進んでいくだけで、共に戦うことに変わりはない」
「ええ…そうですね。掲げる誠は、一緒ですからね」

胸の奥に巣食う不安は、拭えない。
それでも、信じようと思った。

「それじゃあ、私は撤退準備に戻ります。……どうか、お元気で」
「ああ。なまえも、生き急ぐな」

最後に見た彼の表情は、いつもよりも少しだけ穏やかに見えた。
その後、新選組は会津から退き、仙台へと発った。
それからほどなくして、新政府軍は会津への侵攻を開始した。
会津戦争と呼ばれるその戦は多くの悲劇を生み、やがて会津の敗北で幕を閉じることとなる。
そして会津での戦が終焉を迎えたのは、新選組が会津を発った一月ほど後のことだった。

武士の魂