不知火/『真実』読了後推奨

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「外に行きたいなあ」

俺の背に凭れながら、千春はわざとらしく大きな声で言った。
それができないということを俺もそいつも分かっているから、俺は黙ったまま縁側で胡坐をかいて外を眺めるだけ。

「ねえ、不知火。外に行って思いっきり走りまわったら、さぞかし楽しいんだろうね」
「そうかもな」
「それで疲れたら、草の上に寝転がるの。きっと空は雲一つない青空で、綺麗なんだろうなあ」
「そうなんじゃねえか?」
「なによ、他人事みたいに」

不貞腐れたような声でそう言って、彼女は俺の背中を叩く。
それなりに力を入れているのだろうが、俺には痛くも痒くもなかった。

「お前なあ、外に行きたいならまずは病気治せ」
「それじゃあ、治ったら不知火が私を外に連れて行ってくれる?」
「はっ、なんで俺が」
「だって、私の病気が治っても、兄さまは絶対外になんて連れて行ってくれないでしょ?かと言って天霧に連れて行ってもらっても、会話が盛り上がらないもの」

たしかに、何かとこいつを心配している風間ならあり得ない話じゃない。
あいつは、この腹違いの妹のことになると人が変わる。
そして千春が天霧と一緒に歩いている様子を思い浮かべて、思わず笑い声をあげた。

「それもそうだな」
「でしょ?だから、不知火がいいの」

千春は立ち上がって、胡坐をかいている俺の前に座り込んだ。
そいつを包むように腕を回すと、嬉しそうに笑って俺の胸に背を預ける。
風が、風間とは似ても似つかない千春の黒髪を揺らした。

こいつの言葉が嬉しくないわけじゃない。
千春が喜ぶことなら、俺がしてやりたい。
でも、それはできないことだ。
今までも、そしておそらく、これからも。

「また、痩せたんじゃねえか?」
「そんなことないよ。ちゃんと食べてるもの」

それが嘘だということを、俺は知っている。
腕を回した彼女の身体が、前より明らかに細くなっているからだ。
それに、最近食べたものをすぐに吐いてしまう、と風間が零していたのも聞いている。
袖からたまに見える腕も、折れてしまいそうなほどに細い。
彼女の病は、治らないそうだ。
詳しいことは、俺には分からない。
ただ、もし俺が少しでもこいつを憐れむような素振りを見せれば、こいつが病と闘いながらも笑顔を見せていることを無駄にしてしまうと思った。
だから、俺は必要以上には心配しないようにしている。

「ねえ、不知火」

少しの沈黙の後、千春は口を開いた。
さっきまでの明るい声とは打って変わって、静かな声だった。

「前に、本当は私には双子の妹がいたって話をしたでしょ?覚えてる?」
「ああ。でももう死んじまってるんだろ?」

千春はただ無言で頷いた。
聞いた話だが、こいつには双子の妹がいたらしい。
だが、風間家の子として認められたのは千春だけだった。
こいつの母親は、特別な一族の純血な女鬼だった。
その一族では、双子は縁起が悪いとされてきたんだとか。
別にそれ自体は不思議なことじゃない。
そういう風習は、昔からこの国にはよくあるものだ。
当時の統領だった風間の父はその風習を信じ、先に生まれた姉の千春だけを風間家に迎え、後に生まれた妹の方を始末することにした。
ただでさえ貴重な女鬼である上に、鬼の中でも稀有な種族の血が流れる赤子を殺すことに抵抗があったのかどうかは知らないが、結局妹は殺されたそうだ。

「時々ね、考えるの。もしその妹が生きていたら、きっともっと楽しかったんだろうなって。生まれつき腕にあるこの痣だって同じ場所にあったくらい、私とそっくりだったとも聞いた。本当にそれくらいそっくりだったら、見分けもつかないくらいにそっくりだったなら、私がいなくなっても……」
「死んじまった奴の話なんかしたって、何も変わらねえだろ。やめろ」

それ以上聞きたくなくて、彼女を抱く腕に力を込めた。
千春は黙ったまま、俺の腕に手を重ねる。

「不知火」
「なんだよ」
「お願いがあるの。一生のお願い」

泣きもせず、かと言って笑いもせずに、千春は淡々とそのお願いとやらを口にした。



千春が静かに息を引き取ったのは、それから一月後だった。
あいつが俺に一生のお願いと称して告げたのは、もう会いに来ないでくれということだった。
理由を尋ねても、あいつは頑として言おうとしなかった。
そんな願いを俺が聞き入れるはずもなく、その後何度も俺は千春を訪ねた。
だが、それから一度も会うことは叶わず、あいつは死んだ。
世話をしていた奴の話を聞けば、やつれた自分を俺に見せたくない、と言っていたそうだ。

目の前に横たわるのは、今までにないくらい青白い顔をした千春。
その身体は、以前よりもずっと白く細く見える。
それなのに表情はあまりに穏やかで、今すぐ瞼を開いて、いつものように笑うのではないかと思うほどだ。
何が、やつれた自分を見せたくない、だ。
どんなにやつれようが細くなろうが、お前がお前であることに変わりがあるって言うのか。

不思議と、涙は出なかった。
その代わり、千春が俺に残したのは言葉にできない虚無感だった。
死んじまった奴のことを想っていても、どうにもならないことなんて知っている。
忘れるべきだ、と何度も自分に言い聞かせた。
だが、忘れようとすればするほど、あいつの笑い声が聞こえてくる。
あいつの楽しげな声が、笑顔が、脳裏に蘇る。
そうしていつしか、忘れることをやめた。
嫌でも思い出すくらいならいっそ、ずっと覚えていようと思った。
あいつがいた日々の全てを覚えていて、いつかあの世とやらであいつに再会したら、してやれなかったことをしてやろうと、そう決めた。
俺らしくないのかもしれない。
だが、好きな女の為にこんなことを決意するのも、悪くない気がした。



それなのに。

「あなた一人で、私たちと戦うつもりですか?」

嘘だ。
どうしてお前が。

険しい表情で俺を見据えていたのは、千春にあまりによく似た女だった。
そいつは千春と同じような顔立ちで、同じような声で、そして千春よりもずっと強い瞳で俺を見ている。

「お前……」

他人の空似という言葉があるのは知っている。
だが、あまりにも似すぎていた。

『本当はね、私には双子の妹がいたんだって』

いつかの千春の声が、脳裏に響く。

『でも、私の一族では双子は縁起が悪いからっていう理由だけで、先に生まれた私だけが風間家として認められて、妹は殺されちゃったんだって』

そう話しながら哀しそうに笑う千春の顔と、俺を訝し気に見ている女の顔が重なった。
まるで、双子のように。

なあ、千春。
お前の妹、見つけたぞ。

在りし日の面影