あの二条城警護の日から、鬼と名乗った三人を調べる為に、私は再びあちこちで情報を集めようとした。
角屋や他の茶屋など、いかにも情報がありそうな場所をいくつも巡ってみた。
けれど、前と同様、何も分からない。
どうしようかと思案しながら街中を歩いていると、千鶴ちゃんが茶屋で誰かと話している姿が目に入った。
彼女も私に気付いたようで、あっと声を上げて手を振ってくれる。
それに私も手を振り返しながら、彼女の近くへと歩み寄った。

「こんにちは、小春ちゃん」
「こんにちは、雪村はん。そちらは…?」

千鶴ちゃんの隣の女の子に視線を移すと、彼女は微笑みを浮かべて私を見ていた。

「初めまして、小春ちゃん。千って言います。お千って呼んでね」
「小春どす。どうぞよろしゅう」
「突然だけど、小春ちゃんってもしかして、角屋の芸妓さん?」

興味津々といった様子で尋ねてきたお千ちゃんに、私は頷いた。

「へえ、そうどす」
「やっぱり!私の知り合いが角屋にいてね、名前を聞いたことがあったから、もしかしてと思ったの。仲良くしましょうね、小春ちゃん」

お千ちゃんが浪士に絡まれていた子供を庇っているところを千鶴ちゃんが助けたことで、二人は知り合ったそうだった。
その後、半ば強引に二人の間に座らされた私は、なんだかんだで千鶴ちゃん、お千ちゃんとの会話に花を咲かせた。
お千ちゃんはとても明るい女の子で、彼女たちとの話は本当に楽しかった。
時折彼女が浮かべる懐かしむような表情に違和感を感じたけれど、楽しい会話の途中でそんなことを言うのは無粋だろうと思って気にしなかった。
最近なんだか元気がなかった千鶴ちゃんも、とても楽しそうにしていたからほっと胸を撫で下ろす。
結局私たちは夕暮れまで話し込み、またどこかでと約束してお千ちゃんと別れた。



慶応二年、九月。
三条大橋にて、長州藩は朝敵であるという旨を知らしめる為の制札が引き抜かれるという事件が起きた。
その事件を防ぐ為、新選組に制札警護の命が下された。
どこぞの藩士と斬り合いになるというわけでもないからずいぶんと退屈そうだったけれど、ある日、制札を警護していた左之さんが制札を引き抜こうとしていた土佐藩士と遭遇したそうだ。
乱闘の末、藩士たちは取り逃がしてしまったものの、制札は無事に守られた。
その功績を称えて幕府から左之さんに報奨金が与えられ、そのお金で幹部の皆を連れて角屋で呑もう、ということになったらしい。
せっかくだから私も客として、と言われたのだが、さすがにそれは気まずい。
だからそれを断る代わりに、芸妓となった私がお座敷に呼ばれることになった。
私よりも先輩で、前々から何かと面倒を見てくれている君菊姐さんと一緒に、皆のいる座敷へと向かい、襖を開いて頭を下げる。

「皆はん、おばんどすえ。よう御出でにならはりました。あんさんたちのお相手をさせていただきます、君菊どす」
「同じく、小春どす。どうぞ楽しんでおくんなまし」

そう言って、姐さんと一緒にいつものように三つ指をついて出迎える。
顔を上げると、こちらをじっと見ている千鶴ちゃんと目が合った。

「…なまえちゃん、なの…?」

驚いたように声を上げた千鶴ちゃんに、微笑んで頷く。
君菊姐さんは私が新選組と懇意にしていることを知っている数少ない人の一人だから、別に問題はない。

「そうだよ、千鶴ちゃん」
「すごい、綺麗…!」
「だから言ったろ?千鶴。なまえは芸妓としても一人前なんだよ」
「だからって、なんで新八さんがそんなに得意そうな顔してるわけ?」

目を輝かせた千鶴ちゃんに、なぜか新八さんが得意気に声を上げる。
それを聞いた沖田さんが、呆れたように言葉を漏らした。




「やっぱ高い酒は違うなあ!喉がきゅーっとするよ、きゅーっと!」
「平助、お前さっきから飯も食わずに飲んでばっかじゃねえか。酔っ払うぞ?」
「いいじゃんか今日は!」

すっかり酔っているのか、平ちゃんと新八さんがいつも以上に大きな声で話している。
新八さんは、千鶴ちゃんが飲んでいないことに気付いて口を開いた。

「千鶴!お前は飲んでねえな?酔っ払えねえぞ?」
「あ…私、お酒は飲めないので…」
「じゃ、料理をたらふく食っとけよ!」

顔が赤い新八さんに、千鶴ちゃんは笑いながら頷いた。
私はその様子を見ながら、沖田さんのお酌をしている。
沖田さんが飲みすぎないようにと監視のつもりで傍にいるのだけれど、なぜか彼は私の腕を掴んで放してくれない。
そろそろ空の徳利を下げようと立ち上がろうとした今も、沖田さんは私の手を引いて再び座らせる。

「あの、沖田さん。空の徳利を下げなくちゃいけないんですけど…」
「なんで?新しいのならもうそこに用意してあるよ」
「いや、空になったのは下げなくちゃいけなくて…」
「そんなの、なまえちゃんがやらなくても誰かがやってくれるよ」

何を言っても、私が少しでも離れようとするのを許してくれない。
そのせいで、私はずっと沖田さんと千鶴ちゃんの間に座っているのだった。

「おい総司、そろそろなまえをこっちに寄越してくれよ」
「そうだよ!俺だってなまえに酌してもらいたいのに!総司ばっかりずるいだろ!」
「だめだよ。酔っ払った新八さんと平助なんかになまえちゃんを預けたら、なかなか返してくれないでしょ」

そう言って私の肩に手をまわした沖田さんに、新八さんと平ちゃんがさらに文句を飛ばした。
溜息をついて視線を巡らせると、隣の千鶴ちゃんと目が合った。

「え、えっと…人気者だね、なまえちゃん」
「まぁ、お座敷でこんなことはよくあることだから…」
「あれ?よくあることって、どういうこと?なまえちゃん」

聞き捨てならないな、と言いながら沖田さんが私の顔を覗き込んだ。
まずい、と思ったときにはもう遅い。
目の前には笑みを浮かべた沖田さん。
ただ、その瞳は少しも笑っていない。

「い、いや、あの、別にあの時のようなことがあるわけじゃなくて…」
「その辺にしておけ、総司。なまえが困っている」

私の様子を見かねたのか、斎藤さんが助け船を出してくれる。
沖田さんは、しょうがないなあ、なんて言いながらようやく私の肩から手を放した。
恐る恐る立ち上がってみても、彼は肩を竦めるだけ。
立ち上がっても止められないということは、気が済んだということだろう。
安心して、今度は斎藤さんの隣へと座る。

「斎藤さん、お礼にお酌します」

そう言うと、斎藤さんは黙ってお猪口を差し出した。



「にしても、立札守っただけでこんだけ報奨金が出るなら、全員捕まえてたらどんだけ大金がもらえてたんだろうなあ」

新八さんの言葉に、平ちゃんが同意の声を上げる。

「なあ左之、どうして逃がしちまったんだ?相手が八人くらいなら、なんとかできねえ数じゃなかったろう」
「ああ、俺もそれが不思議だったんだ。一旦捕まえた奴もいたらしいじゃん」

二人にそう言われて、左之さんは何か思うことでもあるのか、少し考える素振りを見せた。
そして顔を上げたかと思うと、その視線は千鶴ちゃんに向けられる。

「千鶴…お前、あの晩どこかに出かけなかったか?」

突然話を振られた千鶴ちゃんは驚きながらも否定する。

「え?いえ…」
「本当だな?」
「はい、夜はいつも屯所にいますけど…」
「あの夜なら、千鶴ちゃんは屯所にいましたよ。私も一緒でしたから」

あの日はたしか、一緒に夕飯の片付けをして部屋に戻ったはずだ。
そのあとは外出した気配もなかったから、彼女が屯所にいたことは私が知っている。

「おい、どうしたんだ?左之」
「いや…実は土佐藩士を取り囲んだとき、千鶴に良く似た女に邪魔されたんだ。それでこっちの包囲網が崩れちまった」
「そんな…」

左之さんの言葉に驚く。
包囲網が崩されるなんて、もしそれが本当なら、その女人は只者ではないだろう。
土佐藩に連なる忍とか、そういう部類に入る人なのだろうか。

「ねえ、それってさ、前に平助と巡察のときに会った子かもしれないよね」

沖田さんが発した言葉に、千鶴ちゃんは思い当たる節があるのか、思い出したように声を上げた。

「たしか、南雲薫って言ったっけ?あの子、ほんとに君に似てたよね」
「でも、それだけでは…」
「俺はそうでもないと思ったけどなー。なんせ向こうは娘姿だったし」
「ならば、女物の着物を着せてみればいいのではないか」

それまでずっと黙ったままだった斎藤さんの言葉に、座敷が静まりかえる。
千鶴ちゃんに、女物の着物。
着せてみたい。見てみたい。
私を含む誰もがそう思っているのだろう。
千鶴ちゃんは、向けられた視線を見渡して慌てている。
そして、明らかに乗り気な平ちゃんと新八さんが期待を表情に浮かべて立ち上がった。

「千鶴に!?」
「そうだな!そりゃ名案だ!ちょいとなまえ、君菊さん、悪いがこの子に女物の着物とか着せてやってくれないか?」

慌てている千鶴ちゃんの様子を見かねて土方さんが止めようと立ち上がるのを、私は引き止めた。
君菊姐さんと顔を見合わせ、お互いに口元に笑みを浮かべる。
どうやら姐さんも乗り気なようだ。

「よろしやす、万事心得てますえ」
「着物ならたくさんありますから、少しお待ちくださいね」

そう言って私と君菊姐さんは、千鶴ちゃんを連れて一度座敷を出た。

手早く着物を用意して、千鶴ちゃんに二人がかりで着せていく。
君菊姐さんも楽しんでいる様子で、千鶴ちゃんを着せ替え人形のように見立ててあれじゃない、これじゃないと小物を合わせていく。

「こんな綺麗な着物、初めて着た…」
「よく似合ってるよ、千鶴ちゃん。よし、できた!」

髪結いと化粧を終えると、千鶴ちゃんを鏡の前へ座らせる。
鏡に映る自分の姿に驚きを隠せないのか、彼女は目を見開いたまま固まっていた。
その様子を見て、私と姐さんは顔を見合わせて笑う。
千鶴ちゃんはもともと可愛いから、お化粧のし甲斐もあった。
私としても、上出来だと思う。

「それじゃ、お座敷に戻ろうか」
「えっ、このまま…?」
「当たり前でしょう?何の為に着せたと思ってるの?ほら、行こう」

今更わたわたと慌てる千鶴ちゃんを連れて、再び座敷へと戻る。

「皆はん。お待っとさんどす」

姐さんの言葉を合図に、襖を開く。
現れた千鶴ちゃんの姿に驚いているのか、座敷がしんと静まった。
千鶴ちゃんは照れているのか、俯いている。

「な、なあ…千鶴なのか?」
「う、うん…」

信じられないとでも言うような平ちゃんの声に、千鶴ちゃんはぎこちなく頷いた。

「へえ…化けるもんだね、一瞬誰だか分からなかったよ」
「で、どうなんだ、左之」
「ん?んー、どうかな……あんまり千鶴が綺麗すぎて、分かんねえよ」

口々に発せられる言葉に、私も笑みを抑えられない。

「たしかに!千鶴かわいいよな!」
「おう!なかなかの別嬪さんだ!」
「あれ?新八さん、見惚れてる?」
「馬鹿野郎、照れるじゃねえか!」

さすがに恥ずかしくなったのか、千鶴ちゃんは顔を隠して隣のお座敷に行ってしまった。

「あーあ、しんぱっつぁんが変なこと言うから!」
「すまんすまん!」

その後、左之さんのいつもの腹踊りが始まって、隣の座敷にいた土方さんと千鶴ちゃんも再び席に加わった。
お腹が痛くなるほど笑って、本当に楽しい時間が過ぎていく。
お座敷でこんなに楽しい気分を味わうのは、いつ振りだろうか。
いつものお座敷では常に周囲に気を配り、怪しまれないように相手の腹の内を探ってばかりだから、余計に楽しいのかもしれない。

不意に、二ヶ月前将軍が逝去なされたことを思い出した。
時代が動く。なんとなく、そう感じている。
よく座敷に集まって密談している浪士たちの会話も、雲行きの怪しそうな話が多くなってきているのだ。
賑やかな皆を眺めながら、ずっとこんな時間が続けばいいと願わずにはいられない。
これから先も、私たちはこうして笑っていられるのだろうか。
私は、この人たちと一緒にいられるのだろうか。

どうして、こんなことを突然考えてしまったのかは分からない。
せっかくのお座敷なのに、これではいけない。
そう思って、私は再び笑みを浮かべた。



慶応三年、三月の夜。
私は山崎さんの部屋に赴いていた。

「伊東さんが、斎藤さんと新八さんに引き抜きの話を持ちかけたそうです。あの人が隊を離れると言い出すのも、時間の問題かもしれません」

私の報告に、山崎さんは険しい表情を浮かべる。
伊東さんが新選組を離れる兆しを見せたのはここ最近だ。
隊を割ろうとしているのか、幹部であるあの二人に接待し、一緒に来ないかと持ちかけたという話を、私は彼ら自身から耳にしていた。

「分かった。副長には俺から報告しておく」
「お願いします」

そう言って部屋を出て、自室へと向かう。
千鶴ちゃんはもう寝てしまっているのか、部屋に灯りは燈っていなかった。
着替えを済ませて布団に入ろうとしたとき、誰かが廊下を横切る姿が見える。
この辺りには、私と千鶴ちゃんの部屋しかない。
一体誰だろうとそのまま息を潜めていると、その誰かは隣の部屋の前で止まった。
途端に、嫌な予感が全身を駆け巡る。

「血…血を…血を寄越せ!」

聞こえてきた声に慌てて部屋を飛び出して、千鶴ちゃんの部屋へと駆け込む。
そこには抜刀した羅刹と、右腕から血を流す千鶴ちゃんの姿があった。
恐怖で動けないのか、彼女は右腕を抑えてその場に座り込んでいる。

「千鶴ちゃん!」

私の声に気付いた羅刹が、こちらを向いた。
大きく開かれた真っ赤な瞳に、私が映った。

「血を…!」

私に飛びかかろうとした羅刹を、駆けつけた土方さんが斬り捨てる。
だけど急所をついていないから、またすぐに起き上るはず。

「なまえ、千鶴をこっちへ!」
「はい!」

羅刹を飛び越えて、千鶴ちゃんの震える肩を抱いて立たせる。
その場を離れようとすると、千鶴ちゃんが足元を見て悲鳴を上げた。
羅刹が、彼女の左足首を掴んでいる。
でも、その手はすぐに左之さんの槍によって離れた。

「千鶴!大丈夫か!」
「はい…!」

よろける千鶴ちゃんを支えながら、なんとか羅刹から距離を取る。
普通の人間が負ったら死に至るであろう傷も、やはり羅刹となってしまった彼には関係がないようだ。
何が面白いのか笑い声を上げながら、再び羅刹は立ち上がる。
それを見た新八さんが、苦々しい顔で口を開いた。

「話が通じる状態じゃねえな…」

その瞬間千鶴ちゃんに飛びかかろうとした羅刹は、土方さんと左之さんによって急所を貫かれて事切れた。
暴走した羅刹を止めるには、急所を狙うしかない。
待っているのは死。それだけだった。
絶命した羅刹を眺めながら、彼もこんなことを望まなかっただろうに、と思わずにはいられない。

「どうしてこいつが…」
「申し訳ありません。私の監督不行き届きです」

その場にいた誰もが思っていたことを口にした平ちゃんに答えるように、山南さんの声が響いた。
駆けつけた近藤さんが、その姿を見て口を開く。

「山南君、これはどういう…?」
「私にも、一体何が起きたのか…」

山南さんも予想外だったのか、既に死んでいる羅刹を見つめた後、申し訳なさそうに千鶴ちゃんに視線を向けた。

「雪村君、大丈夫ですか?」
「大丈夫です…」

千鶴ちゃんは傷を手で抑えたまま、俯く。
おそらく、彼女は山南さんに対する恐怖をまだ拭えていないのだろう。

「大丈夫じゃないでしょう、こんなに血が…」

山南さんが、千鶴ちゃんの傷に触れる。
その手についてしまった彼女の血を見た山南さんの瞳が、大きく見開かれた。

「千鶴ちゃん、離れて!」

動きの止まった山南さんに嫌な予感がして、私は慌てて千鶴ちゃんを山南さんの前から引きはがす。
案の定、山南さんは突然呻き声を上げながら蹲った。
その髪は徐々に白へと変わっていく。

「血…血を…血が欲しい…」
「くっそ、山南さんまで血の臭いに充てられやがったか…!」

新八さんの言う通りなのだろう。
山南さんも、成功したとは言え羅刹に変わりはない。
山南さんは口元に笑みを浮かべながら、手についていた千鶴ちゃんの血に舌を這わせる。
背後で千鶴ちゃんが小さく悲鳴を上げたのを聞き、私の肌も粟立つのを感じた。

「あなたの血…もっと、あなたの血を…」
「こうなったら仕方ねえ…!」
「待て!」

意を決したように抜刀して構える平ちゃんたちを、土方さんが手で制す。
山南さんは、また苦しみ出している。
けれどその髪が徐々に元の色に戻るのを、私たちは目の当たりにした。

「山南さん…?」

髪色が元に戻った山南さんは、千鶴ちゃんの声に顔を上げた。
その表情は、もういつもの山南さんに戻っている。

「雪村君…私は一体、何を…」

山南さんはまわりを見渡し、それで全てを悟ったようだった。

「そうか…私も彼のように…」
「一体何ですかこの騒ぎは!誰か説明してちょうだい!」

この場にそぐわないような高い声が響いた。
ああ、面倒なことになりそうだ。
騒ぎを聞きつけてやってきた伊東さんは、山南さんを見つけて驚愕の表情を浮かべる。

「さ、さ、山南さん!?あ、あなた、死んだはずじゃ…なんで!?」
「ま、まあ、落ち着いて、伊東さん。明日話します。今夜はもう遅いですから」
「これが落ち着いていられるもんですか!きちんと説明してちょうだい!」

喚く伊東さんをなんとか宥めようと、近藤さんが伊東さんの背を押してその場を離れた。
その姿を見ながら、沖田さんが口元に笑みを浮かべて口を開く。

「ばれましたよ。斬っちゃいます?」

冗談かどうかは知らないけれど、土方さんはそれに険しい顔をしただけで何も答えず、千鶴ちゃんへと視線を向けた。

「今夜はなまえの部屋を使え。なまえ、こいつの手当てを頼んだ」
「私なら大丈夫です」

私が返事をする前に、千鶴ちゃんがきっぱりと言い放った。

「大丈夫なわけねえだろ。いいからなまえに……」
「平気です!手当てなら自分でできます!」

千鶴ちゃんはそう言い放って、部屋を出て行ってしまう。
彼女の剣幕に驚いて、私を含めた皆はそのまま千鶴ちゃんが出て行くのを見ているしかできなかった。

その後、死んでしまった羅刹の処理を終えて、私は自室へと戻った。
土方さんに千鶴ちゃんのことを頼まれたけれど、彼女はどうも様子がおかしかった。
何があったのかは分からないけれど、あの様子なら少し一人にしてあげた方がいいだろう。
彼女も子供ではないのだからそのうち戻ってくるだろうし、そのときに怪我の様子を見てあげればいい。
そう思いながら千鶴ちゃんの布団を私の布団に並べていると、障子の向こうに気配を感じた。

「なまえちゃん…入ってもいい…?」

やっぱり、千鶴ちゃんだ。
私が返事をすると、千鶴ちゃんはゆっくりと障子を開いた。
俯きがちの彼女を部屋の中に招き入れ、障子を閉める。

「怪我は大丈夫?ちゃんと手当てできた?」
「うん……ごめんね、取り乱しちゃって…」
「仕方ないよ、羅刹に襲われたんだから。もう遅いから、今日はゆっくり休もうか」

千鶴ちゃんが頷いたのを見て、私たちは灯りを消して布団の中に潜り込んだ。
少しの沈黙の後、口を開いたのは千鶴ちゃんだった。

「ねえ、なまえちゃん…」

彼女の方へ顔を向けると、千鶴ちゃんはじっと天井を見ている。

「なに?」
「もし自分に、人と違うところがあったら…どうする?」

人と違うところ、とはどういうことだろう。
彼女の問いの真意があまり理解できなくて、私はすぐには答えられずにいた。

「やっぱり、なんでもない…。ごめんね、急に変なこと言っちゃって……おやすみなさい」

私が答えられないことを察したのか、千鶴ちゃんは困ったように笑ってそれだけ言うと、私に背を向けてしまう。
何か声をかけるべきだったのかもしれないけれど、気の利いた言葉が浮かんでくるわけでもなかったから、おやすみとだけ返して、私も眠りについた。

伊東さんが新選組を離隊すると言い出したのは、その翌朝だった。

「平ちゃん」

探していた人物を桜の下に見つけて名前を呼ぶと、その人は手を振ってくれる。

「なまえか、どうしたんだよ」
「平ちゃんを探してたの。どうしたの?こんなところで」

私の問いに、平ちゃんは答えずに黙ったままだった。
その視線は、頭上の桜に注がれている。

「伊東さんと一緒に行くことになったんだってね。新八さんが怒ってたよ、俺には何の相談もなかったって」
「…そっか」
「でも、これが平ちゃんの決めたことなんでしょう?」

少し前から、彼が今の新選組に不満というか、疑問を感じていたのは知っていた。
それで随分と悩んでいたことも。
私の言葉に、彼は頷いた。

「俺の選んだ道が、正しいのかは分からない。だけど、このまま新選組に残るのも、なんつうか…違う気がするんだ。うまく言えないけど、俺の目指すものと違う、っていうか…」

いつもの元気な声が嘘のように、瞳を揺らしながら彼は呟く。
私に言っているというより、まるで自分に言い聞かせているようだ。

「でも、先のことなんて、そのときが来ないと分からないだろ?俺がここを離れるのとここに残るの、どっちがこの先正しいのかなんて誰にも分からない。だから、今、俺が正しいと思う方に進もうと思ったんだ」

悩んで悩んで、そうして決断したことなんだろう。
彼は、とても真っ直ぐだから。

「…平ちゃんが自分で考えて決めたなら、それでいいんじゃないかな」

私は引き止めないと、そう決めていた。
残って欲しいと思う気持ちはもちろんある。
平ちゃんだって、試衛館の頃からずっと一緒にいた大切な仲間だから。
でも、そんな私情で彼の決意を邪魔してはいけない。
大切な仲間だからこそ、少しでも後悔しないために自分で決めた道を歩んで行って欲しい。

「これから何が起こるか、私たちがどうなるのか、誰にも分からない。だからこそ、これから先少しでも後悔しないように、自分が今正しいと思う方に進むのは間違ってないと思うよ。平ちゃんにとってそれが、私たちと違ったとしてもね」

でも、少しだけ本音を言っても、許してくれるだろうか。

「ただ、平ちゃんがいなくなるのはちょっと寂しいかな」

微笑みを浮かべながらそう言うと、平ちゃんは困ったように笑った。

「今度角屋に行ったときには、なまえを呼ぶよ。だから、そのときはよろしくな」
「それなら、精一杯おもてなししなくちゃいけないね」

そう言いながら、私は心の中で、これから彼の歩む道が少しでも彼にとって良いものであることを願った。
平ちゃんと話した後に部屋へ行こうと歩いていると、廊下の向こうから斎藤さんが歩いてくるのが見えた。

「斎藤さん」

寡黙なその人は、私の声に足を止め、じっとこちらを見ている。
彼も、平ちゃんと同じように伊東さんについていくことになった。
新選組のほとんどの人が、そう思っている。
けれど、実はそうでないことを私は知っていた。
彼は、伊東さんたちを見張る密偵として、伊東さんについていく。
これは極秘だから、ほんの一握りの人間しか知らない。
幹部もほとんど知らない内密のことだ。
敵の中にたった一人で潜入することがどれだけ危険か、私はよく知っている。

「どうか、御無事で」

それだけ言って、私は深々と頭を下げる。
彼ならきっと、これだけで分かってくれる。
顔を上げると、斎藤さんはうっすらと笑みを浮かべていた。



そして、慶応三年の三月二十日。
伊東さんは、自らを支持する十三人の隊士、そして斎藤さんと平ちゃんを連れて新選組を離れていった。

別離