斎藤さんと平ちゃんが離隊した日の夕刻。
少し早めに夕餉を食べ終えて勝手場で片付けをしていると、山崎さんが姿を現した。

「なまえ。今すぐ広間に来れるか?」
「行けますけど…どうかしたんですか?」
「雪村君と君を訪ねて、客人が見えている」
「千鶴ちゃんと、私を…?」

彼も詳しいことは知らないようで、私は一体誰が来たのだろうと疑問に思いながら広間へ向かう。
襖を開けると、その場の全ての視線が私に注がれた。
その中にお千ちゃんと君菊姐さんの姿を見つけて、私は目を見開く。

「お久しぶりね、小春ちゃん…いえ、なまえちゃん」
「どうして私の名前を……それに、君菊姐さん…?」

君菊姐さんは、私の言葉に微笑みを返すだけだった。
私の発言でその場にいた皆も、彼女が先日の芸妓だったことに気付いたようで驚きの声を上げている。
お千ちゃんに会ったのはこの前の一度だけで、しかも私は芸妓の小春としか名乗らなかったはず。
君菊姐さんも、まるで忍のような出で立ちをしている。
一体、どういうことなのだろうか。
私が千鶴ちゃんの隣に座ったのを確認すると、お千ちゃんは私たちに向けて口を開いた。

「あなたたち二人を、迎えに来たの」

あまりに突然のことに、言葉も出てこない。
千鶴ちゃんも驚いているようで、困惑しつつ口を開いた。

「どういうこと?」
「時間がありません、すぐここを出る支度をしてください」
「お千ちゃんに君菊姐さんも、藪から棒にどうしたの…?それに、いきなりそんなことを言われても…」
「そうだ。俺たちにも分かるように説明してくんねえか」

新八さんの不満そうな声に、客人の二人は前に向き直る。
先に口を開いたのは、お千ちゃんの方だった。

「風間千景をご存知ですね?」

風間千景。
池田屋と二条城で姿を見せた、あの金髪の男。

「たしか、薩摩の仲間だよな」
「天霧と不知火って奴と、何度か俺たちの邪魔してくれた…」
「彼らの狙いが、彼女たちだと言うことも?」

彼女の問いに近藤さんが頷く。

「承知している。彼らは自らを、鬼と名乗っているそうだ」

そうだ、彼らは女鬼がどうとかなんとか言っていた。
でも、それが私たちとどう関係しているんだろうか。

「確かに凄腕なんだろうが、鬼なんて……」
「私も鬼なのです」

新八さんの声を遮った彼女の言葉に、その場が静まる。

「こちらは旧き鬼の血筋、鈴鹿御前の末裔に当たられる千姫様。そして私は、姫様に代々お仕えしている忍の者です」

淡々と語る君菊姐さんの言葉が信じられなかった。
ということは、彼女も私と同じように角屋に潜入している身ということだ。
再び、お千ちゃんが口を開いて鬼について話し出す。
彼女たち曰く、昔から鬼たちはその力故に、時の権力者たちに目をつけられ狙われてきたのだそうだ。

「本来争いを好まぬ鬼の一族は、人同士の争いに巻き込まれることを嫌い、次第に散り散りになり、隠れて暮らすようになったのです」
「人との交わりが進み、今では血筋の良い鬼はそう多くはありません」
「それが、あなたやあの風間だと?」

近藤さんの問いに、お千ちゃんはしっかりと頷いた。

「ええ。西国では風間、そして東で最も大きな鬼の家が、雪村家」

隣の千鶴ちゃんが息を呑んだのを感じた。
その場にある全ての視線が、千鶴ちゃんに集まる。
お千ちゃんは彼女に視線を向けながら口を開いた。

「雪村家は滅んだと聞いていましたが…」
「ちょっと待ってくれよ!ってことはなにか?千鶴が鬼だってことかよ?」

左之さんの言葉を聞きながら、千鶴ちゃんが次第に俯いていく。

「思い当たることが、ありそうね」

お千ちゃんの言葉に千鶴ちゃんは意を決したのか、右腕の袖を捲った。
昨夜の一件で確かに傷を負っていたはずなのに、その腕には傷跡すら残っていない。

「傷が…!かなりの深手に見えたのに…」
「私が、鬼だから…」

千鶴ちゃんの傷の治りが驚くほど早いのは、彼女が鬼だから。
だから、風間は女鬼がどうとか言っていたのか。
彼女は何かしら感付いていたのか、納得したような表情を浮かべている。
傷の治りが早いことに気付いていたからこそ、昨夜も今朝も、決して私に怪我の様子を見せようとはしなかったのだ。

「血筋の良い、しかも純血の子孫同士が結ばれれば、より強い鬼が生まれる」
「それが風間の狙いか」
「はい」

頷いたお千ちゃんを見て、土方さんが眉間に皺を寄せたまま口を開いた。

「千鶴が狙われる理由は分かった。だがなまえが狙われてるってのはどういうことだ?まさか、そいつも鬼だなんて言わねえだろうな?」

それは、私も知りたいことだった。
どうして彼らは、私も狙っているのか。
彼らは、私の何を知っているのか。
縋るように、お千ちゃんへと視線を向ける。

「彼女も鬼です。ですが彼女の場合、ただの鬼ではありません。特異な鬼の血と風間家の血を引く、風間千景の腹違いの妹なのです」

私が、風間の妹。
驚きのあまり、何も言えなかった。
お千ちゃんの言葉に、土方さんは訝し気な様子で口を開いた。

「なまえは昔から面倒みてるが、俺の見てる限り、別に怪我の治りが早いわけでもなんでもねえ。そんなこいつを、どうして鬼だと言い切れる」
「言ったでしょう、ただの鬼ではない、と。彼女の治癒力は人間とそう変わりません。ただ…」

そこまで言って、お千ちゃんは口を閉ざす。
そして私へと視線を向けた後に、再び言葉を紡いだ。

「あなた方はなまえちゃんの素性を知っても、決して利用しないと約束できますか?」
「それはどういうことだ?」
「彼女にどれほど特別な力があり、それが今後あなた方に有益であるとしても、決して彼女の力を不必要に利用しないということを、ここで誓ってもらいたいのです。でなければ、今ここで彼女の素性を明らかにすることはできません」
「なまえは昔から面倒を見ている大事な子だ。利用するなどということはしないと、約束しよう」

近藤さんの言葉に、お千ちゃんは頷いた。

「ならば、お話しましょう」

この国にいる鬼のほとんどは、人間よりも全ての能力が上なのが普通だそうだ。
千鶴ちゃんや風間、お千ちゃんも、その部類に入るらしい。
けれど、ある一族だけが例外だったという。
雲居という姓を持つその一族の鬼たちは、体力や生命力、治癒力を始めとした、鬼が優れているはずの全ての能力において、人間と同程度だったらしい。
そしてその代わりに、その身体に流れる血はとても特異だったそうだ。
なんでも、鬼や人間、獣など種族を問わずに、その血を口にした生物の能力を飛躍的に向上させることができるのだとか。
その血はたった一滴でも絶大な効果を示すけれど、雲居の鬼は血を与える毎に弱り、最悪は死に至るという。
どうして雲居家だけがそのような特別な力を持っているのか、その理由はお千ちゃんにも分からないらしい。

こんな力を、時の権力者たちが欲さないわけがなかった。
ただでさえ狙われる鬼の中でも雲居家は特に狙われ、二十年ほど前までは純血な鬼どころか、その血筋の鬼ですら残っていないだろうとさえ言われていたという。
そんな中、その特異な一族の唯一の生き残りで、しかも純血な女鬼が見つかった。
それが、私の生みの母。
当時風間家の統領で前妻を亡くしていた風間千景の父はその女鬼を娶り、双子の女児が生まれたらしい。
その双子の妹が、私だという。

「しかし、雲居の一族の中では、双子は縁起が悪いとされていました。当時の風間家当主は、先に生まれた彼女の姉 千春だけを風間家へと迎え入れ、なまえちゃんを始末しようと考えていたそうです」

風間家の当主がそう考えていたのに対し、生みの母は反対した。
いくら風習と言えど、我が子を殺すことに賛同するような精神は持ち合わせていなかった。
殺される前に、自分の警護をしていた忍を通じて、人目につかない山奥の忍の村へと赤ん坊の私を託したそうだ。
その村が、私が育った村。
そして、私はそこの夫婦に育てられたのだ。

「残念なことに、なまえちゃんのお母さまが亡くなって数年後には、風間家当主の耳に、なまえちゃんが生きている事実とその場所が伝わってしまいました。周囲が止めるのも聞かずに、村に火を放ち、村人を皆殺しにせよと命じたのです」

脳裏に焼き付いて離れない、真っ赤な炎。
誰のものとも分からない、悲鳴と絶叫。
私の手を引く誰か。
倒れる誰か。
逃げろと叫んだ誰か。
私のために、あの村は焼かれたのだ。
そして私のために、父と母は村を出た。
あれは、私を狙って放たれた炎だった。
その事実に、身体が動かなくなる。

「村が焼かれた後は彼女の消息もつかめなくなり、唯一の生き残りとされていた千春ちゃんも数年前に病で亡くなりました。ついにあの一族の血は絶えたと思われていましたが…」

そう話しながら、お千ちゃんは私へと視線を向けた。
細められたその瞳に映っているのは私だけれど、彼女は私を通して別の誰かを見ているようだった。

「初めて会った時には、本当に驚いたわ。あなたと千春ちゃん、本当にそっくりなんだもの」

その視線に、どうしたらいいか分からずに思わず視線を下げる。
お千ちゃんは少しだけ寂しそうな顔を見せると、再び土方さんたちに向き直った。

「先程も言いましたが、権力者、今の幕府は、鬼の力に目をつけています。特に雲居家の血は、昔から喉から手が出る程欲している様子。雲居の鬼が今や彼女一人になってしまったのも、幕府やその他の人間がその種の鬼を捕え血を利用し、次々に命を奪って行ったからです」

彼女は、もし私の素性が幕府に漏れたりすれば力づくでも奪い取られるだろう、と続けた。

「風間は必ず、なまえちゃんを風間家へ連れて行こうとするでしょう。彼女は風間と雲居の混血ではありますが、千春ちゃんを見る限り、雲居の血を色濃く受け継いでいます。もし彼女の存在が幕府にでも知られたら、それこそ大事です。正直に言ってしまえば、彼女は鬼の一族の元にいるべきなのです」
「要するに、なまえちゃんを黙って差し出せってこと?」

眉を寄せてそう言い放ったのは、沖田さんだった。

「その方が彼女にとっても、あなた方新選組にとっても安全な道であるはずです。どちらにせよ、風間は千鶴ちゃんとなまえちゃんを狙っています。風間が本気で仕掛けてくれば、あなた方では無力なのです」

お千ちゃんの言葉に、幹部の皆の表情がさらに険しくなる。

「なあ、千姫さんよ。無力ってのは言い過ぎなんじゃねえか?」
「俺たちは壬生狼と言われた新選組だ。鬼の一匹二匹相手にしたって、びくともしねえんだよ」

新八さんと土方さんの険しい物言いと部屋を覆う険悪な雰囲気に臆することなく、君菊姐さんも口を開く。

「風間の力は十分承知しているはずです。私たちなら、彼女たちを守ることができるかもしれません」
「てことは、守れねえかもしれないってことだよな?」

私たちを保護しようとする二人と、譲らないと言わんばかりの皆が睨み合う。
少しの沈黙の後、それまでずっと黙っていた近藤さんが口を開いた。

「二人とも、どうなんだ?」

優しい声音に、私と千鶴ちゃんは近藤さんへと視線を向ける。

「自分自身で決めるといい。彼女たちと行くか、ここに残るか」

抗議の声を上げた新八さんを、土方さんが制す。
私は、今までずっと一緒にいた皆を見渡した。
そして、どうして私がここにいるのかを考える。
私がここに、新選組に身を置いているのは、大切な人たちがいるからだ。
幼い頃から面倒を見てくれた人や、心から大切だと思う人たちがいるから。
だけど、皆はどうだろうか。
私が人間でないと分かっても、狙われていると知っていても、変わらずにいてくれるのだろうか。

「私…ここにいます…」

千鶴ちゃんの答えは決まっていたようだ。
でも、私はまだ迷っている。
ここにいたい、というのが本音だ。
だけど、私がここに残ることで、皆に迷惑をかけることになりかねない。

「私……私、は…」
「なまえ」

相反する思いに迷っていると、土方さんに名を呼ばれて顔を上げる。

「どうせお前のことだから、俺たちに迷惑がかかるだとかそんなこと考えてるんだろうがな、今俺たちが聞きたいのは、お前がどうしたいかだ。もちろん、お前がここを出て行きてえってんなら止めねえ」

あくまで私の意志を尊重してくれると、そう言ってくれている。
私自身が、どうしたいか。
そんなことは、もう最初から決まっている。
意を決して、私はゆっくりと口を開いた。

「私も、ここに残ります…残りたいんです」

私と千鶴ちゃんが新選組に残ると決意を固めると、お千ちゃんは私たちを連れて行くのを諦めてくれたようだった。
屯所の門前で、訪ねて来た二人を千鶴ちゃんと見送る。

「ごめんね、お千ちゃん」
「せっかく来てくれたのに…ごめんなさい」

謝る私たちに、お千ちゃんは笑って首を横に振った。

「いいのよ。もしかして二人とも、ひょっとしてここを離れたくない理由でもあるの?誰か心に想う人がいるとか…」
「え!?あ、あの…」

慌てた千鶴ちゃんに、お千ちゃんはまた笑う。

「姫様、本当によろしいのですか?」

君菊姐さんの問いに、彼女は頷いた。

「忘れないで。私はいつでもあなたたちの味方だから」

微笑みながらそう言って、彼女は私へと真剣な表情を向ける。

「なまえちゃん。あなたが自分の血を使うかどうかは、あなた次第。だけど、あなたの血はおそらく、死に近付きすぎた人の命までは救えない。だからくれぐれも、瀕死の人にその血を分け与えることは控えて欲しいの」

私の血には絶大な力が秘められてはいても、死にゆく命は助けられないということ。

「あなた自身を守る為にも、その血については自分でよく考えてみて。もう一度言うけれど、その血をどうするかは、あなた次第だから」
「うん。ありがとう、お千ちゃん」

そう言い残して、お千ちゃんと君菊姐さんは屯所を後にした。
二人を見送ってから自室に戻ろうとすると、部屋の前の縁側に誰かが座っているのが見えた。

「どうしたんですか、山崎さん」

次第に近づくにつれて見えた姿に、半ば驚きながら尋ねる。
彼がこうしているということは、私が戻ってくるのを待っていたということだ。
何かあったのだろうか。

「用があるなら、呼んでもられば良かったのに…」
「いや、用という用でもないんだが…」

一体なんだろうと思いながら、私は縁側に座る彼の隣に腰を下ろした。
それでも彼は、何も言わずに私を見るだけ。
少しの沈黙の後に、彼は静かに口を開いた。

「…大丈夫か?」

それが、さっきの私の過去についてだと気付いて、思わず苦笑する。
あの場にはいなかったけれど、おそらく外にでも控えて聞いていたのだろう。

「大丈夫って言いたいところなんですけど…正直、あまり実感が湧かないのが本音なんです」

彼が何も言わないのをいいことに、私はさらに続ける。

「私は今までずっと、人間として生きてきました。育ててくれた両親もまわりの人たちも、私の素性を知っていても何も言わなかった。きっと、知らない方が幸せだと思ったんでしょうね」

身体能力では人間とそう変わらないし怪我の治りも早くはないから、何も知らなければ人間として生きていけると判断されたのだろう。
現に、私は自分が人間であることに疑いの余地なんて抱いていなかった。

「でも、私は今まで血を誰かにあげたことなんてありませんし。本当にそんな特別な効果があるのかどうか分からないですよね」

血を与えた者の能力を飛躍的に向上させると言っても、その様子を見たことがないから確かめようがないし、進んで血を誰かに与えたいとは思わない。
だから、余計に実感がないのだろう。

「そのことだが…おそらく、君の血には確かにその効果がある」

かけられた言葉に、驚いて目を丸くする。

「どういうことですか…?」
「君が羅刹に襲われたことがあっただろう。君に怪我を負わせた羅刹の始末は、いつもの倍は苦労したようだ。屯所内で始末できたから良かったものの、外に出ていたらどうなっていたか…」
「初耳ですよ、それ」

おそらく私はしばらく寝込んでいたから、詳しいことは知らされなかったのだろう。
それに、しばらく羅刹から離されていたということもあった。

「仕方ないだろう、君はしばらく屯所で療養していたのだから」
「それはそうですけど…山崎さんは少し過保護なんですよ。私は別に子供じゃないんですから」
「その過保護の言いつけを破って怪我も治りきらないうちに角屋に潜入し、手を出されかけたのは君だろう」

そう言われてしまっては、私は何も言えない。
たしかにあそこで助けてもらわなければ私はどうなっていたか分からないし、助けてくれたときは本当に安心した。
言い返せないまま眉を寄せると、彼は笑いながら私の頭を撫でる。

「気落ちしていないようだな」

良かった、と呟いた声に、彼が私を元気づける為に来てくれたということに気付く。
本当にこの人は、私の性格をよく知っているから敵わない。

「なまえがここに残ると決めたからには、何が何でも守らなくてはいけないな」
「期待してますからね」

冗談交じりにそう言うと、不意に肩に手を回されて抱き寄せられる。
突然のことに戸惑いながらも、その腕に身体を預けた。

「なまえが鬼だろうと、何も変わらない」

その言葉に、思わず微笑む。
この人は、いつも私が本当に欲しい言葉をくれるのだ。
その言葉に、私がどれほど救われているか、彼は知っているのだろうか。

「山崎さん」
「どうした?」
「ずっと、傍にいてもいいですか…?」

思わず口にしてしまった願い。
この先どうなるか分からないとしても、願わずにはいられないこと。
できるならこの人の傍で命を終えたいと思う私は、我儘だろうか。

「当たり前だ」

そう彼が呟いた後に唇に触れた熱は、何よりも愛おしかった。

真実