『私は……私は、あなたたちなんて知らない…!』
部室で着替えながら、昼になまえに言われた言葉を思い出す。
ずきりと胸の奥が疼いて、思わず手を止めて顔をしかめた。
でも、なんとなく分かったことがある。
あいつは記憶を持っていないんじゃない、仕舞い込んでいるんだ。
でなければ、あんな風には言わないはずだ。
そこまで分かっても、俺には何も出来ない。
あいつの記憶が完全に戻れば、きっとあいつはまた、俺たちの前からいなくなってしまうだろう。
あの時代でのなまえは、いつだって飄々としていた。
他人の話をいつもにこにこしながら頷いて聞いてくれる、謂わば聞き上手、というやつだったのだろう。
それでいて、自分のことについて進んで喋るということがほとんどなかった。
今となっては、その理由も痛いほど分かっている。
あいつは俺たちが京に移った頃に加わった唯一の女隊士で、その身軽さを生かして戦うことに長けていた。
一度手合せしたとき、あいつの素早さに冷や汗をかいたことを覚えている。
だから、平隊士程度ならなまえは負けることはなかった。
見たこともない構えだったから流派を聞いてみても、我流だと言ってあいつは肩を竦めるだけだった。
たまになまえは、俺たちと距離をとろうとしているようにも見えた。
どこか一歩下がって俺たちを見ているような、そんな雰囲気を微かに醸し出していることがたまにあったのだ。
あいつは監察で、隊内の監視も兼ねていたから、あのときは別に気にすることはなかった。
とは言えなまえが自ら命を絶った後、土方さんから伝えれらた真実に、あれはそういうことだったのかと納得した。
なまえが長州の間者だった為に、あいつが死んでから一時期隊内は騒然となった。
あいつは羅刹についても知っていたから、おそらくその話も長州に流れているだろうと、俺たちは覚悟を決めていた。
だが、どれほど時が経っても調べてみても、なまえが羅刹の件を他に漏らしたという事実は見つからなかった。
それどころか、あいつが死ぬ少し前には、あいつから長州への情報はぱたりと止んでいたそうだ。
あいつの死に際を看取ったのは、山崎君だけ。
そのときどんな会話があったのか、俺は詳しいことは知らない。
知りたい、とは思わなかった。
あいつが実は長州の間者で、新選組と長州の狭間で苦しんで、それで死んだと聞けば十分だった。
俺も新選組に残るか、それとも伊東さんについていくかで悩んだことがあるが、それと似たようなものなのだろうか。
でも、あのときの俺にはどちらにせよ未来を望むことができた。
それで自分の信じた道を進もうと、伊東さんについて行ったのだ。
なまえには、それがなかったのだろう。
間者が裏切れば、きっとどちらにせよ殺されることになる。
心を揺らしてしまったあいつの未来は、闇に包まれて何も見えなかったのかもしれない。
「なあ、総司」
既に着替え終えて立ち上がった総司に、不意に声をかける。
「なに?」
「俺たちは、期待しすぎたのかな…」
ぽつりと呟くと、それまで前を見ていた総司が黙ったままこちらを向いた。
総司は俺と同じクラスだから、昼に起きたことを話している。
少しの間の後に、総司は静かに口を開いた。
「そうかもしれない」
無表情のまま、総司は小さく言った。
「でも、僕たちはそれぞれいろんな思いを抱えてる。辛いのは、なまえちゃんだけじゃないんだよ」
確かに、その通りなのかもしれない。
あの時代で、俺たちはいろいろなことがあった。
今でも、人を斬ったときの感触や、相手の口から漏れる断末魔を思い出すことがある。
その度に、こんな記憶なんていらないと思ったことだってもちろんあった。
だけど、この記憶があるから、今の俺はあるんだとも思う。
昔の俺も含めて、今の俺がいるんだ、と。
「ああ…そうだな」
そうは言ったものの、俺の頭の中では、相変わらず昼のなまえの言葉がぐるぐるとまわっていた。
拒絶されたことで、改めて実感する。
俺はまだ、あいつを仲間として見ているのだと。戻