斎藤にとっての裏切り少女

「一くん、なんであんなこと言ったんだよ。土方さんが言ってたこと忘れたのかよ」

倒れたなまえを保健室に運んでから廊下に出ると、それまでずっと黙っていた平助が不満そうにそう言った。

「別に、忘れたわけではない」
「だったらなんで…」
「確かめたかった。本当に忘れているのか」

淡々と告げると、平助は何か言いたげにしながらも口を閉ざす。
正直、なまえがあんな状態になるとは思わなかった。
それについては、自責の念がないと言えば嘘になる。
だが、これで分かった。

「きっと、完全に忘れているわけではないのだろうな。無理矢理忘れている、と言うべきか…」

でなければ、なまえがあのようななことは言わないはずだ。
あそこまで拒絶する必要などないはず。

「平助は、このままでいいと思うか?」

じっと見据えて尋ねると、平助は俯いて視線を下げた。
そして、悔しそうに唇を噛みしめながら、小さく口を開く。

「…分かんねえよ」
「そうか…」

それだけ言うと、平助は教室に戻ると言って踵を返した。
そろそろ授業の始まる時間だということに気付いて、俺も同じように教室へと足を勧めながら、遠い記憶を手繰り寄せる。



俺の記憶の中で、なまえはよくどこか遠くを見ているような人間だった。
なまえが死ぬあたりの頃には、そうしている姿を見かけることが多かったのかもしれない。
何かあったのかと尋ねてみても、なまえは思い出したように笑みを浮かべて、なんでもないと首を横に振っていた。
人にはそれぞれ、他人に触れられたくない話がある。
それ故に、俺は問い詰めるようなことはしなかった。

なまえが新選組に入隊したのは、たしか俺が入隊した少し後だったと記憶している。
多くの人が俺が左利きなのを好奇の目で眺める中で、なまえはそれを気にも留めない数少ない人間の一人だった。
むしろ、相手の不意をつけるから羨ましい、とまで言われたことがある。

『私も、斎藤さんみたいに強くなれればいいのに』

そう言って、なまえは肩を竦めていた。

『そうすれば、今よりももっとたくさんのものを守れるでしょう?』

女の自分には限度があるから、と笑うなまえに、お前は十分強いと言えば眉を下げて悲しげに笑っていたのを覚えている。
彼女が何を守りたかったのか、それは知らない。
実は長州の間者だったなまえが、自ら命を絶ったなまえが、何の為に強くなりたいと願っていたのかは分からず仕舞いだった。
俺はもしかすると、それが知りたくて彼女を問い詰めたのかもしれない、とふと思った。
それが新選組だ、という答えを、期待していたのかもしれない。

たとえ間者という事実があったとしても、それでも仲間でありたいと願う自分が、ひどく滑稽に見えた。