土方 原田 永倉にとっての
裏切り少女

「なんか…やりきれねえよな……」

不意に告げられた永倉の言葉に、原田は書類から顔を上げて隣の机で仕事をしていたはずの声の主へ視線を向ける。
永倉は背もたれに身体を預け、天井を仰いでいた。
既に時計の針は七時を差していて、窓の外は暗い。

「どうしてこうも、あのときの奴らが揃いに揃っちまうもんかね…」
「さあな。腐れ縁ってやつなんじゃねえか?そんなことより仕事進めろよ」

原田は再び書類に目を落とすが、永倉は姿勢を崩さないまま腑に落ちないような表情を浮かべている。

「まさか、なまえまで来ちまうなんてな…」
「今更そんなこと言ったって仕方ないだろ。あいつはもうこの学園の生徒だ」

永倉も原田も、前世での記憶を持ち続けている。
もちろんそのために、彼女が入学すると分かったときには心底驚いた。
だが、なまえが全てを覚えているということを期待しまいとしていた。
ひょっとすると、全くの別人である、という可能性の捨てきれないのだから。
だが、彼女はたしかにあのときの彼女でありながらも、記憶を持ってはいなかった。
それでも、あの容姿も仕草も、端々に見られる様子ですら、あのときの彼女を彷彿とさせるには十分なもの。
まさに、二人がそうでなければいいと願った姿の彼女だった。
だから彼らは、必要以上に彼女と接することはしない。
現世で数十年生きてきた彼らは、これまで多くの見覚えのある人間に会ってきた。
通っていた大学で、近所で、出かけた先で、記憶の中にある人間と同じ顔をした人間を見た。
それでも、当時のことを覚えている人間と言うのは本当に稀にしか現れない。
それが普通であり当たり前であることを、永倉も原田もよく分かっていた。

「俺らは割り切るしかない。あいつはこの学園の生徒で、俺たちはただの教師だ」

自分に言い聞かせるように、原田はそう告げる。
彼女が記憶を持っていない以上、深く関わることをするべきではない。
それが原田の考えだった。
永倉が何か言いかけて口を開いた瞬間、二人以外誰もいない職員室の扉が音を立てて開く。
二人がそちらへ視線を向けると、扉を開けて職員室に入って来たのは土方だった。
その表情はいつも以上に険しく、どこか疲れているようにも見える。

「何かあったのか?土方さん」

土方の様子に原田が声をあげると、尋ねられた本人は溜息をついて静かに口を開いた。

「総司の野郎が、なまえに竹刀を握らせていた」
「…は?」
「どういうことだ?」

思いもよらぬ言葉に、原田と永倉は思わず声を上げる。
土方は自分の椅子へ深く腰掛けると、再び嘆息した。

「どうやら、千鶴が剣道部見学に誘ったようでな…道場で鉢合わせた総司が体験と称して竹刀を握らせたらしい」
「それで、どうなったんだ?」

さすがにそれだけではないだろう、と思った永倉が尋ねる。
原田も同じように考えたようで、土方の答えを待った。

「俺も一部始終を見てたわけじゃねえから、千鶴と総司から聞いた話だけどな…なまえはおそらく、記憶を取り戻しかけてる」

それから土方は、あの場に居合わせていた二人から聞いた話を語る。
千鶴に誘われて剣道部になまえが行ったこと。
ちょうど後から来た沖田が、試すつもりで竹刀を握らせたこと。
そのときのなまえの様子、発した言葉。

「やっぱり、関わるなっていうのは無理だったか、あいつらには…」

全てを聞いて、原田は腕組みをして苦笑を浮かべた。

「まだ若いからな、あいつら…若すぎるくらいだろ」

永倉はそう呟いて、視線を下げる。
彼らはまだ高校生で、十分な経験を積んでいない。
自分の持っている記憶と同じものを、持っているであろう相手が何も覚えていないということに気付いたとき、関わらないでいるということができないのだ。
それが、少しの間でも近くで共に生きた者ならば、なおさら。

「いっそのこと、徹底的に間者らしく振舞ってくれてりゃ良かったのによ…」

永倉の言葉に、土方と原田は肯定も否定もせず、無言のまま。
それでも、心の内では同じことを考えていた。



新選組に潜入したというのに、彼女は核心を突くような情報は一切漏らしていなかった。
監察という立場上、羅刹にも関わっていた彼女は、それすらも外部には伝えなかった。
詳しいことは分からなくとも、その事実が、彼女を間者と思うことを躊躇わせているのだ。

「…飲みにでも行くか」

不意に顔を上げた原田が、笑みを浮かべて告げる。
一瞬きょとんとした表情を浮かべた永倉は、すぐに口元に弧を描いた。

「いいな、左之。土方さんも行こうぜ」
「仕方ねえな、付き合ってやるか…」
「よし!そうと決まれば……」
「もちろんその前に、仕事片付けてからだけどな」

立ち上がりかけていた永倉は、土方の言葉にがくりと肩を落として再び椅子に深く座り込んだ。
その様子を眺めながら、原田は再び目の前の書類と対峙し、土方も残っていた仕事に手をつけ始める。
それぞれの仕事をしながらも、彼らの頭の中にあるのはひとつ。
どうか、彼女の新たな生が、平穏なものであるように。
口にすることはないだけで、彼らが彼女に対して思うことは、同じだった。