正直、すぐに別れてしまうことも想定していたから夕湖に報告したのは一ヶ月ほど経ってからだった。
その驚きようは凄まじいものだったけれど、全面的に肯定してくれたのは私自身がかなり慎重になっていたのをよく分かっていたからだろう。
弥鱈さん改め悠くんは銅寺立会人に付き合って従食だそうで、私は夕湖を呼び出して近くのカフェでランチ。
従食もおいしいのだけれど。
「うーん、なまえにこんな話するのもアレなんだけど」
「んー?」
「猫矢立会人」
「ネコヤ?」
「そう。珍しい名字だよね。で、その子が、噂だと弥鱈立会人を狙ってるらしいよ」
「えっ、なんで」
「噂だから実際どうかは分からないけど、絶対落ちなさそうだからって」
「いやまあ確かにそれは分かるけど」
こういうことは前もって知っていた方が良い、心の準備をしておける、だから夕湖は教えてくれたんだろうけど。
幸せに水を差されたようで、でもきっと黙っていたら何故教えてくれなかったのか責めただろうから、ホットのミルクティーと一緒にもやもやを飲み込む。
猫矢立会人といえば、その珍しい名字の通り猫のような容姿の女性だ。ふわふわのショートカットに、ネコ目で、確か口を開けると八重歯が目立つ。すらりとした手足、身長は私と同じくらいか少し向こうが高いかくらいだけど、ハイヒールだと私の方が高い。入りたての頃は、童顔で可愛い、と噂になっていた、筈。
面識は無いに等しいが。
「…信じてるんでしょ?」
「…たった一ヶ月で?」
「…なまえー、」
「前の人は何年だったかな、忘れたけど」
「今回は違うんじゃないの?」
「…分からないよ、まだ」
分からない。
それはまだ、私には分からない。
けれど私は、また傷つく覚悟をしてあの人に抱かれたから、どっちでも、良い。
あの人が、彼女の方が良いと思うならそうするべきだと思う。
私はずっと悠くんを好きでいる自信がある。他の男の人は男性ではなくただのヒトとしか認識していない。
私の世界でオスなのは弥鱈さんだけ。
だからと言って、弥鱈さんもそうだとは限らない。
それを責める権利は私には無いと思っているし、きっと無い。
心変わりは、よく有ることで、私だって一番好きな食べ物がラーメンだったり角煮だったりサバの味噌煮だったりするのだし。
「まあ、傷つく覚悟はできてるよ」
「…もしそうなったら、あのふたりを海外派遣するわ、私」
「職権乱用」
「乱用できるなら乱用するべきでしょ」
「さっすが夕湖。敵に回したくないね」
「…それは、なまえ、あなたもだけどね」
「そうかな?」
「あの夜行掃除人が認めている数少ないSランクじゃない」
「まあ…そう言えばそうだけど」
それほどでもないよ、を飲み込んで、レモンハーブチキンを切って口に入れる。程よい酸っぱさと、スパイシーな味付け、柔らかいお肉。
この世界で謙遜は褒められるものじゃない。
でもきっと、悠くんが個人的に私を裏切ったくらいじゃあ、殺したりなんだりすることはないんだ。
ただただ、平気なフリをして、のめり込む前でなくて良かったと強がって、ひとりで泣くくらいなんだ。
レタスのシャキシャキとした歯応えが思考をかき消して、私は少し無心でいられた。
…
「最近、なんか違うって言われて」
「誰に? 銅寺立会人?」
「そう。…言ったんですけど、」
「付き合ってるって?」
「はい」
「悠くん、銅寺立会人と仲良いもんね。良いんじゃない。私もちょうど今日、夕湖に言ったし」
「…言ってなかったんですか」
名字で呼ぶのを辞めたら、なんとなくタメ口で話せるようになった。悠くんはまだ敬語、というかですますで、多分悠くんはそういう人なんだと思う。基本的に砕けた、やる気のない丁寧語。部下の黒服にだって、そうだ。
「うん。言ってすぐ別れたら嫌だなと思って」
何となしにそう言ったら、隣に座っていた悠くんが、体を回してデコピンをしてきた。
地味に痛くて、でも手加減しているのは勿論分かってて、だから私もちょっと大げさに痛がってみる。
「いったぁーい!」
「なまえさんのせいですから」
「すぐ別れるかもって?」
「私は、貴女が別れると言っても承知しません」
「…しないの?」
「しません」
「…じゃあ、どうするの?」
「…俺んちに監禁します」
「…いまなんか、スゴく物騒な単語が聞こえた」
額を押さえたまま、本質の無い会話。本質が無いと思っていたのは私だけだったわけだけど、おままごととか、プラスチックの指輪みたいなチープさ。そんな感じだった。
「悠くんはさぁ、私のこと好き?」
「好きですよ」
即答。
変わらない表情、のオマケつき。
「ほんと?」
「ほんとです」
「じゃあ例えばー、ミネフジコみたいなヒトに猛アタックされたら?」
「華奢で慎ましく裏切らない貴女の方が好きです」
「えー、じゃあミナミちゃんみたいなコは?」
「彼女はどこからどう見ても性格が悪いでしょう。貴女と違って」
「…私も性格悪いよ」
「でもなまえさんは、人を傷つけるようなことを言わないですから」
さらりと言ってのけられて、呆気に取られる。
それはそうだ。私は性格は悪いけれど、それを自覚しているから、きちんと飲み込むことができるし、傷つけられたら辛いから、なるべく傷つけたくないとも思っている。
「なまえさんがどれだけ優しくて、素直で、真面目で、正しいか、分かっているつもりですよ」
うん、とも、ううん、とも言えなくて、黙って隣に体を預ける。
察した悠くんは腕を回して髪を梳いて頭を撫でてくれる。
うん、好き。好き。
信じたい。信じ、たい。
「好きですよ。誰よりも、何よりも」
うん。
その手の心地良さ。その、温度や感触、撫でる緩やかさ。
そういうのがとても落ち着けて、安心できて、満たされる。
こんなに私の隙間を埋めてくれるものだったか、思い出せない。
どうしてこのひとはこんなに、ちょうどいいのか。
匂いも、体温も、肌の固さも、丁度良い。
寄りかかったまま少し顔を上げて、目を見る。暫くして目が合って、見つめる。見つめて、見つめて、溶け出す。
溶け出した私を、悠くんは優しくかたどってくれて私は安心して身を投げ出す。
お願い、ずっと、好きでいて。
貴方を誰にも、渡したくない。
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