今日は非常に忙しかった。
待合で具合を悪くした人が多かったり、急に容態が悪くなった子どもに付き添ったり、兎にも角にもずっと立ちっ放し歩きっ放しで、残業を終えて上がる頃には足がパンパン。
ハイヒールがきつ!とミニスカートから伸びる脚をこぶしで叩いてみるも、これといった変化なし。
裏口を出たところで立ち止まって、タクシーを呼んで、帰宅。
「たーだーいーまー」
「おかえりなさい」
「もう、ヤバイ、足が、しぬ」
「残念ながら、足は死にません」
悠くんはそう言いながらも、私の私物のみのクラッチを受け取ってくれる。真っ直ぐ行ける動線に沿って寝室のクローゼットへダラダラ歩いた。
いつもの場所にクラッチを置いた悠くんは、私が脱ごうとしている革ジャンを脱がしてくれてハンガーにかけてくれる。
もそもそワンピースを脱いでいるうちに部屋着を出してくれて、もう至れり尽くせり。
とぼとぼ歩いてリビングのソファーにダイブすると、悠くんが缶チューハイを、プルタブを上げてテーブルに置いてくれる。
「悠くうん、あんよ、ぱんぱん」
「はい」
「いやそこはさぁ、もみもみしてよ!」
「良いですよ」
うつ伏せで足をばたつかせる私の横から立ち上がり、私がいつもマッサージに使うボディクリームを取ってくる悠くん。
疲れて足をソファーに寝かせたら、悠くんの手が触れてクリームが広げられる。
「あー、あれ、悠くん、うまいね」
「見よう見まねですよ」
足首から膝裏に向かって、ぐぐーっと適度な圧。入って、抜ける。いい感じ、に、眠くなる。
膝裏をくるくる、くるくる、太ももは握った指の関節でお尻に向かって。
手は固いし、柔らかくないから当たりは良くないけど、触れられ慣れている手は気持ち良い。
「あー、あんよ軽くなってきたぁ」
「それは良かったです」
体を少し起こして、腕を伸ばして缶を取る。
重くて重くて仕方なかった足が軽くなると、冷たい炭酸もおいしく感じる。
両足を終えた悠くんが、こんなもんですか、と声をかけてくれたから、最高ー、と、返す。
悠くんがクリームを置いてきて、手を洗う音。私の好きな味のチューハイ。いつ買ったっけ?
これ飲んだら、シャワーを浴びに行こう。
そう思いながら、でも面倒くさくてぼんやりしていると、向こうの方から水の音。
ソファーに戻ってきた悠くんに、体を起こして視線を向ける。
「悠くん、お風呂?」
「もう少しで溜まりますよ、支度してください」
「んー」
私がか!と思って、チューハイをゴクゴク飲む。飲み切れずに少し残して、脱衣所を覗くと、もう替えの下着とタオルが用意してある。
お風呂にはもう入浴剤も入れてあって、とりあえず先に化粧を落とす。
脱いだものを洗濯機のネットに入れて、あったかいお風呂に足を入れれば、自然と溜め息。
良い香りが漂う浴室が優しくて、肩まで浸かる。
悠くんは、ほんとうに、私が好きなんだなあ、と、実感。
「なまえさん」
「なにー?」
「入りますよ」
部屋着のままの悠くんがやってきて、どうしたのかと思っていると、あっち壁を向くように言われる。
どーしたの、と聞けば、髪洗いますよ、といつも通りの声。
悠くんはたまーに、こうして、私の髪を洗いにきてくれる。
だから今日も、足を折って向きを変えて、悠くんに頭を差し出す。
シャワーで流されて、シャンプー。頭を触られるとどうしてこうも気持ち良くって、眠くなるんだろう。
何より優しい指先が、のんびりと髪を泡で満たしていく。
「悠くんはさぁ、」
「はい」
「ほんとーに、私が好きなんだねえ」
「好きですよ」
「私、悠くんがこんなに奉仕体質とは思わなかったよ」
「なまえさんだけですけどね」
「私以外にやったら、泣くけどね」
そして別れる、は口に出さなかった。
しませんよ、とことも無げに言う声が、なぜか説得力があって、泣きそうになった。
お湯をちゃぽちゃぽすると、香りが舞い上がる。思い切り吸い込んで、全部吐き出した。
手が離れてシャワーの音がして、温いそれが頭に当てられる。寝ちゃいそうな目蓋に従ったら、さらに頭が傾いた。
悠くんは黙って泡を切って、慣れた手つきでトリートメントをつけていく。
それも洗い流して、髪をバンスクリップで留めてくれて。
「体は自分で洗えますか」
「うん、ありがとー」
「残念です」
「やだ、えっち」
「知らなかったんですか?」
「知ってる」
笑いながら言って、ふちに腕をかけて逆さまに悠くんを見る。黒い目がそれを捉えて、くちびるにキス。
のぼせないように、を忘れずに、悠くんは浴室を出て行く。
体を洗って、クリームを塗って、出る。服を着たらソファーに戻って、少ししたら悠くんが私の髪を乾かしてくれる。
そこまで容易に想像できて、笑った。
なんという幸せ。
そう考えたら早く会いたくなって、お湯から体を引き上げる。
体を洗って、お湯を抜いて、さっとお風呂を流して出る。用意されていた下着は悠くんの好みの、レースで肌が透けるカンジの。ぱぱっとスキンケアをして濡れた髪を上げただけで出れば。
「アイス食べます?」
スタンバイしていた悠くんが冷凍庫から出したそれは、お高いトコのクッキークリーム。私が一番好きな味。
「食べる!」
アイスとスプーンを持って、当たり前のように悠くんの膝に座る。
こんな至れり尽くせりの日々で、良いのか。慣れてしまったら、失ったときに、きっと辛くて死んでしまう。
「もし悠くんがいなくなったら、私どうしたら良いんだろう」
「…できればですけど」
言い淀んだ悠くんに、口の中でアイスを溶かしながら振り向く。
残ったのは、ほろ苦いクッキーの部分。
歯にはさまるのを感じながら、噛み砕く。
「一緒に、いなくなってください」
ああ、うん。
さすが、悠くん。
それが一番良いね。
「私がいなくなったら、なまえさんは生きていけますか?」
「…いけないよ」
「私もです」
色気も何もない、オールバックの額を撫でて、彼は微笑む。
悠くんの、注いでくれる愛で、私は生きている。
悠くんは、私に愛を注ぐことで、生きている。
思い上がりだけど、傲慢だけど、我儘だけど、悠くんはたぶん、私に尽くすすべてを苦に思っていない。当たり前で、当然で、フツウのこと。
私を愛しているから、当たり前で、当然で、フツウのこと。
そして、それは私もだ。
悠くんが与えてくれるすべてを、私は何の躊躇いもなく受け取れる。
どうしてか分からないけど、悠くんは、私のすっぴんも、洗いざらしの髪をひとまとめにしているのも、こよなく愛している。
「悠くん…だいすき」
「この上ない幸せです」
だから悠くんは、私に愛されるだけで、至上の幸福なのだ。
意味が分からない。ただ、運命のひとっていうのは、たぶん、本当にいる。
「なまえさん」
「んー?」
「ご褒美、いただけませんか」
「…アイス食べ終わって、髪乾かしたら、いーよ」
返事の代わりに、耳に口づけ。
悠くんはご褒美というけれども、どちらかというと、悠くんが私に奉仕しているようなもので、私のご褒美みたいなものなのに。
すっかりほぐれたココロとカラダで、私は悠くんに笑いかける。
この後の、極上のシアワセを思い描きながら。
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