給湯室のレンジでお弁当と冷凍ご飯を温める。
それをもう一度雑誌の付録だった巾着に戻し、小さなハンドバッグに入れる。執務室に戻り、社用の携帯電話と私物の携帯電話も入れる。
左手でそれと膝掛けを持ち、右手に常温の水が入ったマグカップを持って屋上を目指した。


(ある晴れた日の正午前後のこと)


エレベーターで最上階まで、そこからさらに階段を登る。重たい扉を押し開けたら、僅かな風が吹き込んだ。

「いー天気、」

日に焼けるのは嫌だったから、いま出てきた塔屋の影に回り込んだ。
そこに先客がいて足が止まる。
こっちじゃなくて、高架水槽の塔屋の影にするべきだった。社内で履いている見た目重視のハイヒールの音がしただろうし、何しろ彼がこちらを見てしまった。

「こ…こんにちは」
「こんにちは」

詰まりながらも、口から出たのは昼時の挨拶。これで良かったのか分からないうちに、弥鱈さんからもそれが返される。
煙草を吸っている姿から目をそらす。私はいかにも屋上でお弁当の図だ。

「お昼、お弁当なんですね」
「…ええ」

気まずい。いまさらあっちに行きますとも言いづらい空気に足は立ち止まったまま。
彼はまだ長い煙草を携帯灰皿に捨てた。

「どうぞ」
「…はあ」

どうぞと来たら、ここで食べるしかない。
ひとりでまったり食べたかったのに、と思いながらも数歩先の影のど真ん中に膝掛けを敷く。まずマグカップを置き、お弁当の入ったハンドバッグを置く。
膝掛けの上に脚を伸ばして座って、足首から先は膝掛けの外へ投げ出した。
とりあえず携帯電話を見て、どちらもこの短時間に異常がないことを確認。そのまま敷いた膝掛けの上に無造作に放る。
二段のお弁当箱は上段に混ぜご飯、下段におかずを詰めていて、壁に寄りかかりながら太ももの上に置いたお弁当箱をつついた。

「美味しそうですね」
「…はぁ、ありがとうございます」
「ご自分で?」
「はい。一人暮らしですし」
「へー…」

自分から振っておいて微妙な返事で終わらせるとは意図が掴めない。
不穏に思いながらも、ひじきの煮物を頬張る。今日のメインおかずは一口サイズで作ったチキン南蛮で、ひとつずつ味わって食す。
隣にしゃがみこんだ弥鱈さんに、これは何か喋らないといけないやつかと、ようやっと気づいた。

「弥鱈立会人はいつも従食でしたっけ」
「のときもありますし、外で済ますこともありますね」
「…作ってくださる方、は、いないんですか」
「残念ながら」

さりげなく、何となく、恋人の有無を確認。なぜ私がこのような言動をしたのかは分からない。
弥鱈さんに彼女がいようが伴侶がいようが、何だって言うのだろう。
どうして私は、この返答に少しほっとしているのだろう。
もしいると言われたら、私は何て思ったのだろう。
調子が狂う。だから、距離を縮める相手は選ばなきゃいけないと分かっていたのに。迂闊だ。
まったく私は学習能力が皆無らしい。

「みょーじさんは、誰かに作ったりしないんですか?」
「…残念ながら、一人分です」

そう答えながらも、内心は嫌なドキドキでいっぱいだった。
これは恋人の有無確認返しなのか?
お前の作ったものには愛が足りないと言われて、もう少しで半年経つ。
そんなことより、彼は今とても自然に私をさん付けで呼んだ。私は役職で呼んだのに。
こういう不可解なのが、困るんだ。もうどうして良いのか、さっぱり分からない。
ぐるぐるしていると、視線を感じてそちらを見た。案の定、お弁当を凝視する弥鱈さん。

「…お昼、まだなんですか」
「…はぁ、先ほど帰社したばかりでして」
「それは…お疲れさまです」

食べたいのか? いります? と聞くべきなのか?
こんなとき、夕湖ならどうする? 助けて!と心の中で慌てふためきながら、素知らぬ顔を続ける。
一口チキン南蛮はとても美味しい。愛の無い私にこんな美味しい料理が作れるなんて、もしかしたら私は天才かもしれない。

「…いります?」
「……」
「いっこなら」

無言でこちらを見続ける彼に、内心冷や汗が止まらない。
拒否されたら何と返せば良いのか? そんなことを考えながら、チキン南蛮を箸で掴む。

「では、お言葉に甘えて」

また距離を詰めて、弥鱈さんが口を開ける。手を動かす気のないことから、これはあーんをしなくてはならないやつだと気づく。

「え、あ、はい、どうぞ」
「…ん、美味しいですね」

もぐもぐと咀嚼をして嚥下してから、弥鱈さんはいつもの調子で言う。ありがとうございます、と下を向きながら返す。
他の人だったら、絶対こんなことはしない。あーんて、間接キスではないか。なんて軽率なことをしてしまったのか。
いや、弥鱈さんは特に気にしていないのか?
それはそれで複雑、と考えていたら弥鱈さんのポケットが一瞬震えた。取り出されたのは、全社員同じ社用の携帯電話。

「…ああ、そろそろ行かなくては」
「…お昼もまだなのに呼び出しですか?」
「そんなところです」

親指が女子高生並みの速さで動いて、携帯電話をポケットに戻す。

「いつもいますか?」
「えっ、あっ、ゆっくりできるときは、割りと」
「そうですか。…会えて良かったです。それでは」

弥鱈さんは言い逃げのように、多分彼は特に何も考えていないのだろうけど、それだけ言って背を向ける。
緩慢に歩を進めながら遠退く。
言わなきゃ。私も何か言わなきゃ。

「今日の従食、エビピラフですって!」

口から飛び出てから、ミスチョイスであることに気づいた。一体なぜ私はこんなトンチンカンなことを言ったのか?
調子が狂う、そんな自分が嫌だ。恥ずかしい。どうしていつも通りにいられないのか?
真っ黒なスーツの背を睨むように自己嫌悪に陥っていたら、それが振り向く。

「ありがとうございます」

それだけ言って角を曲がった彼の顔は、逆光でまったく見えなかった。
彼からは私の顔がよく見えただろう。
ああ、恥ずかしい。
私がおかしくなっているということを、気づかれたくない。
気づかれる前に落ち着かなくては。
こんな、女子みたいな私は、絶対に嫌だし、私は私が許せない。