暫くする内に「え、アリス出んの? やば! 見てこーよ」とはしゃぐ女子高生たちや「EMMAってやっぱり便利だよな〜」と感心する青年二人組など、ガヤガヤと人だかりが生まれ始めた。すると、火がついたように道行く人々がどんどん特設ステージに押し寄せてくる。それまでに柊アリスという人物は、人々が関心を寄せてならない存在なのだろう。観客が百人程度に達した頃、満を持して彼女は舞台に上がった。

「キャー! アリスー!」
「アリス最高ー!」
「アリスちゃーん!」

 最早懐かしく思えるファンの叫び声が、ダイレクトに鼓膜に突き刺さる。余りの煩さに思わず両耳を塞いだけれど、どうしても視線を彼女から外すことができない。それはきっと、歓声を浴びて益々煌めくエキセントリックな彼女の、誰かに幸せを与えんとする姿が、わたしには新鮮に映ったからだろう。幸せが与えられるものだと思い込んで、側から消えた時に奪われたと他人を責めるしかないわたしには。

「みんな、今日は来てくれてありがとう! 今日からここに私がプロデュースしたブランドショップがオープンだよ! 誰でも一度は、別の自分になってみたいって思うときがあるよね? ここは、そのネガイを叶えられる不思議の国。なりたい自分になれる、ワンダーランドなの! 私と一緒に、不思議の国に行きたい人はいるかな〜?」

 彼女が可愛らしい仕草でそう言うと、あちらこちらから歓声が沸き起こった。それを聞き、満足そうに彼女は笑う。

「ありがとー! じゃあ、今日は特別にぃ〜……」

 そこでごくり、と自身の喉が鳴るのを聞いた。彼女のフレーズはどこかで聞いたことがあるのだ。しかし肝心な部分は思い出せず、もどかしい気分で続きに耳を澄ます。その間とくとくと拍動が速まっていくのを感じた。落ち着け、落ち着け、と呪文のように繰り返す。
 じっ、と彼女を観察していると、彼女は懐から何かを取り出して、言った。

「先着100人のみんなへ特別な招待カードをプレゼントしちゃう!」

――「先着100人のみんなに私のEMMAのトモダチキーワードを教えちゃう!」
 突如として、あの日の記憶が脳裏に現れた。それは今目の前に広がる光景にピッタリと重なると、泡となって消えていく。わたしははっと息を呑んだ。これだ、と思った。
 EMMAのトモダチキーワード。何故これで彼が変われてしまったのか、理屈はさっぱり分からない。しかし直感は告げていた。それさえ手に入れられれば、彼の豹変の原因が分かると。わたしはもう一度ごくり、と唾を飲み込んだ。
「招待カード」の配布はすぐに始まった。というのも、彼女による手渡しで配られるらしく、宣言後すぐに彼女が舞台から下りてきたからだ。
 彼女は今、来場者一人ひとりと丁寧に言葉を交わしながら「招待カード」を渡している。誠実さを感じさせるその姿からは、とてもではないが男性を唆さんとする企みのオーラは感じられない。
 しかし、もしもそれが巧妙な演技で、その裏に悪意を潜ませているのだとしたら……そう考えただけでゾッとするし、復讐心にも似たドロッとした感情がふつりと湧くのを感じる。ただ……ただ、それでも彼女の眩しさは正真正銘のものだと思った。だから、そんな風に疑っては駄目だと、彼女に対して少しだけ情が湧いているのもまた事実だ。もしかしたら彼女は彼を唆した張本人かもしれないというのに。すぐ傍で繰り広げられている穏やかな光景に縋りたいような、はたまた突き放したいような……そんな感覚に陥るのである。
 しかし、だからといって、時は待ったなしで巡ってくるものだ。

「わっ、そのワンピース、可愛いね!」

 どくっ、と心臓が鷲掴みされたような感覚が全身に走る。はっとして前を向くと、目の前に端正で可愛らしい顔立ちの美少女が立っていた。彼女、柊アリスだ。いつの間にか自分の番が訪れていたらしい。
 わたしはもう、何が何だか分からなくなっていた。彼女が彼との別れに関与している筈だと警戒する自分と、ワンピースを褒めてもらえた喜びで絆されんとするわたし。果たしてどちらが正しいか、なんて。もう、よく分からない。

「どこのブランドの? 見たことないな〜」

 わたしの気なんて知る由もなく、モデルとしての血が騒ぐのか、彼女は興味津々といった様子でワンピースを観察している。
 現在進行形で二律背反に戸惑うわたしは、どうにも調子が狂っているようだ。挙動不審に、けれどもはにかみながら「え、えっと……彼が、くれたんです」と説明すると、彼女の眉が一瞬だけぴくりと上がった。しかし間髪入れず「そうなんだ! 似合ってるよ〜」と華やかな笑顔で返されたため、疑問に思う余地はなかった。

「ありがとうございます」
「いえいえ! 大切にしてね。はい、招待カードもどうぞ」
「……ありがとう」

 照れ臭さと、疑り深さとが入り混じって感情と意志の定まらないないまま、わたしは「招待カード」を受け取った。彼女はそれを確認すると、ふわふわと裾を揺らしながら、次なるファンの元へ向かっていった。

  


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