未だ定まらない願望に翻弄されつつ、わたしは彼女から貰った「招待カード」に目を通す。まず視界に飛び込んできたのは、でかでかと記された「ワンダーランド」という文字。どういうことだろう、と頭に疑問符を浮かべた後、わたしはその下に書かれた文字を読んで、唖然とした。

「EMMAの、トモダチキーワード……」

 そう呟けば、ドクリと心臓が声を上げた。それが表す感情は、怒りではなく、恐怖だ。勘が当たってしまっているかもしれない。彼が豹変した原因は、やはり彼女にあるのかもしれない。そんな、予想が的中してしまっていそうなことへの、恐怖。「招待カード」に「EMMAのトモダチキーワード」が書かれているという、ファンからすればいちいち疑問視することのない喜ばしいサプライズに、わたしは冷や汗をかき、体を強張らせてしまった。
 駄目だ、落ち着け。そう頭の中で呼び掛けるも、冷や汗も体の強張りも収まらない。結局、わたしは縋るように、仇かもしれない彼女の姿を探した。滑稽と笑われるかもしれないが、今のわたしには、彼女の輝きが必要だったのだ。
 彼女はもう舞台に戻っていた。ニコニコと人当たりの良さそうな笑顔を浮かべ、締めの挨拶をしている。そんな彼女を見ていると、わたしはやはり、ホッと安堵の息をこぼせてしまった。目的を果たすためには彼女が原因であるべきなのに、彼女を信じたいという、どうにも微妙な願望が再び胸の内を支配する。だって……だって、もしも私の勘が正しかったとすれば、彼女がEMMAのトモダチキーワードを使って、どんなにか恐ろしいことをしているということなのだ。それが証明されてしまえば、彼女の輝きを信じた自分に、益々わたしは失望してしまう。わたしはもう、どうしても自分自身に失望したくなかった。
 彼と別れてから揺らぐことのなかった決意が、自分を守ろうとする本能を前に、ふやふやと曖昧になっていく。かといってわたしは、大した策をこれといって持ち合わせていなかった。なす術も無く、ただただ、ぼうっとその場に立ち尽くすだけ。
 そんなとき。何故だろう。感傷に浸っている場合ではないのに、高校時代の、彼に告白されたときのことを、ふと思い出した。
――わたしは多分、ずっとひとりなんだと思う。
――大丈夫……大丈夫。俺がずっと楓の傍にいる。
 ポロポロと涙が溢れてくる。未練たらたらだと思われても仕方のない、別れても尚失恋できていないちっぽけな女、それがわたしだった。
 ずっと傍にいるって言ったのに。それをわたしは信じたのに。やはり、わたしはひとりなのだろう。
 幸い、もうイベントは終了したようで、気付くとステージ前の人混みはなくなっていた。ああ、きっと人目も憚らず泣いているところを誰かに見られただろうな、と実感なくして思ったけれど、まあ、そんなことはどうでもいい。次にわたしが起こす行動こそ完全なる自暴自棄だからだ。
 涙は未だにボロボロと流れている。それでも拭うことはせず、わたしは自身のスマートフォンを鞄から取り出し、EMMAを立ち上げ、トモダチキーワード入力欄に「ワンダーランド」と入力した。すると、ピコンと聞き覚えのある音が鳴った――かと思えば、何とも不思議なことに、わたしの意識はろくに抗う暇もなく、どこか遠くへ飛ばされてしまったのである。

「キーワードを入力しました。ナビを開始します」

 機械的な女声のアナウンスを子守唄として。





 ぱちりと目を覚ましたとき、わたしは夜の渋谷に立っていた。
 え、いつの間にわたしは寝てしまっていたのか、しかもこんな街中で夜までなんて、よほど泣き疲れたのだろうか、というか、誰も起こしてくれなかったのか……あれ、でも寝ていたのなら何故わたしは今立っているのだろう――などと、目覚めたばかりにしては俊敏に数々の疑問が脳内を駆け巡った後、わたしはハッとする。人混みの代名詞であるスクランブル交差点に、ひいては渋谷に、人っ子一人いないのだ。何故、と思うと同時に、わたしは嫌な予感を覚えた。それはすぐさま恐怖と化し、体を緊張させる。やけに眩しく虚しい渋谷の街並みが、更にわたしの恐怖心を煽った。
 しかしそれは、わたしがそういえばと思って背後を振り返ったことで、否、振り返った先にあるものを視界に捉えたことで、さっぱりなくなってしまった――というか、とりあえず片隅に放置せざるを得なくなってしまった。

「え……?」

 よく分からない。よく、分からない。視界には、特設ステージはおろか、渋谷705すら存在しないのだ。代わりにあるのは鳥籠が乗った、一応「渋谷705」とロゴが表記されている、城(?)。
 暫くの思考停止の後、ああ、これは夢なのだな、とわたしは閃き、確信した。今まで夢の中で夢だと気付けた試しがなかったため、最初に選択肢として浮かばなかったが、流石にこれは夢だと気付く。つまりいずれ終わるだろうし、自由に動いても支障はないだろう。そう判断し、若干の孤独感には気付かないふりをして、わたしはスクランブル交差点に躍り出た。
 スクランブル交差点には、本当にわたししかいなかった。やはりどうしてもひとりではあるらしい。けれどもスクランブル交差点を独り占めするなんていう経験ができただけで、ひとりも悪くないと思えた。

  


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