ときを廻れば

序章 変わりゆく

それから数分間に渡って、わたしは父に有り得ない話を聞かされた。本当に有り得ない幻のような、かといって現実味に欠けている訳でもない――それは父が話しているからかもしれないが――不思議すぎる話だった。内容を要約すると、わたしたちは別世界の住人で、しかも王族だったそうだ。しかし、とある禁断の魔法により、わたしと父だけがこの世界に閉じ込められてしまったらしい。そして今日、遂に魔法の封印(?)が解けるそうなのだが、封印が解けた暁には、わたしだけが元の世界へ強制送還されるようだ。
 想像を絶する暴露に、最早、地球が滅びることよりも不可能で漠然とした話に、わたしは思考を停止せざるを得なかった。ただただ呆然としながら父の声に耳を傾けていた(のかも実際は定かではない)。
 いよいよ父が話し終わった所でわたしの口から零れ出たのは、「お父さんは? 何でわたしだけ?」という疑問だった。というのも、父が「お前は元の世界に戻るんだ」と言ったからである。父は元の世界に戻らないのか。父ならば元の世界を知っているし、きっと元の世界に思い入れや未練だってあるだろうに。わたしなど、話が飛躍し過ぎて、何故かもう勝手に脳が全てのことを受け入れてしまっているのだ。
 わたしは元の世界のことなんて何も知らない上に、興味もないのに。行きたくないのに。この世界にいたいのに。

「俺は……戻れないんだよ」

 しかし、父の如何にも悔やんでいるような声を聞いた途端、わたしは自身の考えを愚かに思った。父は戻りたくても戻れないのだ。わたしだって、もし元の世界に思い出があって大切な人がいたら、無論、戻りたいと思うだろう。
 父は今、きっと元の世界での生活や、母との優しい記憶を辿っては、心を痛めているはずである。父の今にも泣きそうな顔を見て、わたしまで胸が苦しくなった。しかしそこでふと、わたしはあることに思い至る。

「……そっか、お母さんか。お母さんが元の世界にはいるんだ……」

 わたしは母についてあまり知らない。けれども今思えば、元の世界に戻れば母に会えるのだ。そう思うと、何だか急に元の世界に興味が湧いてきた。ただ、興味が湧けば湧く程に、何も知らないわたしだけが元の世界へ帰ることに対して罪悪感を覚える。
 父は苦々しい表情でわたしの目を見た。

「……そのことも、お前には話しておかないとな」

 そう呟くと、父は少し汚れた硝子窓に持たれ掛かって遥か遠くの曇り空を見上げつつ、自身の過去を優しく、そして悲愴に語り始めた。


 父は何処ぞの貴族だったが、独占的な地位や権威を好まず、自由気ままに世界を歩き回る旅人になった。
 母はダルマスカ王国の王女だった。しかし三番目であることや、母自身が政略結婚やお見合いの類を嫌ったということもあり、母は自由に恋愛を経験していた。
 そして、王都ラバナスタの一角にひっそりと佇む酒場・砂海亭で、遂に二人は出会う。何故にそのような場所に母がいたかというと、それは母が中々にお転婆で、度々のように王宮から抜け出していたからである。二人は出会ってすぐに恋に落ち、結婚。一年後には女の子が生まれた。
 娘の名前はトーネ・バナルガン・ダルマスカ。つまり、これがわたしの元の世界での名前である。長すぎて、たとえ自分の名前であるとしても、中々覚えられそうにない。
 とまあ、余談を挟みつつ、こうして家族三人で幸せに暮らそうとしていた矢先のことだった。母が毎日のように咳や嘔吐を繰り返し、酷いときには高熱を出すような重病に伏せてしまい、それがわたしにも感染してしまったのだ。わたしの場合は赤子だったため、症状も更に酷だったそう。母とわたしは、いつ死んでもおかしくない状況にいた。
 このように一家が存命の危機に晒されたとき、運が良かったというべきか、旅が本業である父の耳に「万物が生き長らえる禁断の魔法がある」との情報が入る。父は居ても立ってもいられず、すぐさま禁断の魔法を修得するための旅に出た。
 それはそれは困難で、生死の狭間を彷徨ったこともあったけれど、父は旅に出てから数日が過ぎたある夜に、遂に「万物が生き長らえる禁断の魔法」の書を手にした。そして、命からがらでそれを王国に持ち帰り、休む暇もなく解読に時間を費やした。そのような父の並々ならぬ努力の末に判明したのは、「魔法を使用する場合、使用者は自身を生贄とし、消滅させなければならない」ことと、「この魔法には名称がないため、使用する場合、魔法を受ける者の名を叫ぶ」ことだった。
 勿論この「万物が生き長らえる禁断の魔法」は、書を持つ父にしか使えなかった。書をコピーして汎用化する時間の余裕があればよかったが、当然、そのような余裕を父は持たなかった。故に父は苦悩した。俺は妻か娘か、どちらかしか救えないのか、と。
 父がそのように頭を抱えていたとき、ほぼ寝たきりで衰弱し切っていた母が、ポツリと言葉を発した。
――トーネ……私の、愛しいトーネ。
 母はこの世の優しさを全て備えたような表情を浮かべていた。そして、母のこの言葉と表情は、大きく父の心を揺さぶった。二人の愛の結晶である娘が世界で最も大切だという認識を母も持っているということを、父は思い出したのである。
 父は悩みに悩んだ末、遂に娘の命を救おうと決心した。そして、究極の決断を母に伝えると、母は涙ながらに「あなたは正しいわ……ありがとう」と微笑んだ。
 こうして父はわたしに「万物が生き長らえる禁断の魔法」を放ち、父自身と母の命を犠牲にしてまで、わたしの命を護ってくれたのだった。

静かなる独白




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