ときを廻れば
第一章 出会う人
ゴオン、と大きな音を立てて沈んだ壁の向こうには当然のように人がいた――男の人だ。しかし彼に、否、彼の容姿に信じ難い特徴があったから、わたしは思わず彼を凝視した。
白に近い薄卵色の髪は流れるように格好良く伸ばされているが、細くも逞しい上半身を見せつけたいのか、金属でできたノースリーブジャケットの下には何も着られていない。ジーンズにはやけにお洒落な刺繍が施され、それを覆うように鉄製のロングブーツが身につけられている。
ああ、信じ難いことならばそれはそれは沢山あるけれど、彼の容姿には叶わないだろう。
「これは……夢?」
わたしは彼に――わたしに夢かと思い込ませている本人に――そう尋ねざるを得ないほど混乱していた。これが夢なら、どれだけ幸せか。しかし、わたしの視界に映る謎の少年は、わたしの淡い期待なんて容赦なく裏切っていく。
「ははっ、夢じゃないって。お前、変な奴だな」
わたしは絶望した。彼の言葉から、ここが夢の世界だとは到底思えなかったのだ。
独りで世界の終わりを見たような顔をしていると、わたしより背丈の大きな少年は、その髪をふわふわと揺らしながらも少し警戒した様子で、わたしの方へ近付いてきた。
「お前も盗みに来たんだろ?」
「……えっ?」
――盗み?
幾許か確かめるように彼から投げかけられた問いに、しかも突然だったものだから、わたしは一瞬だけ思考回路を遮断しかけた。が、彼が目の前に立った状態で呆れた態度を取るのも失礼だと思い、わたしはしどろもどろになりながらも何とか否定する。
「えっ、い、いやいや、そんな……違います」
「……ふーん、違うのか」
彼はわたしの挙動不審な態度がどうも気に食わないようだ。取り敢えずわたしの言葉は信じてくれたらしいが、まだ訝しげにこちらを見つめてくる。
暫くの見つめ合いの末、彼はまたわたしに別のことを訊いてきた。
「じゃあ、何でここにいるんだ?」
「え、えーっと、その……それ、は」
言い難い、というか、言えない。出会ったばかりで名前も知らない人に、実はわたし、別世界から飛ばされてきたんです――だなんていう可笑しな発言はできない。
どう答えるか、否、まず答えるかどうか悩んでいるわたしに彼は何を悟ったのだろう、「ま、誰にだって秘密はあるよな」と半ば同情気味に言うと、興味の対象をあっさりとわたしから宝物に切り替え、本来の目的を遂行するために倉庫の中を物色し始めた。
「…………」
色々と彼に置いて行かれたわたしは今、彼の驚きに満ちた行動に唖然としている――わたしの秘密を無理に暴こうとしないでくれたのは有り難いけれど、人前で堂々と盗みを働くなんて。口をあんぐりと開けたわたしの顔は至極間抜けなことだろう。さっきから彼はわたしを驚愕させてばかりいる。
この世界はどれだけ自由で無法なのだろうか。わたしは自身の在る現実に怖気づいた。世界が変わるとはこういうことだと思い知らされたのだ。彼の、高価な宝を探す、それこそ盗賊のような表情を見ていたら、その事実が更に顕になる気がして、わたしは逃げるように即座に目を逸らした。
しかしそこで、わたしはあることを思い付いた。
「あ、あの!」
思い立ったが吉日。わたしはその思い付きを脳内で整理する前に、不思議な少年に声をかけていた。
「……何だよ?」
彼は宝探しを中断し、面倒臭そうにこちらを見た。一瞬だけ彼の瞳に逡巡したが、今のわたしに必要なのは両親からの手紙を見つけることだから言うのを躊躇ってはいけない、とわたしは臆病な自分に鞭を打ち、意を決して彼に説明した。
「あの、実はわたしの両親がここに手紙を遺してくれたんです」
両親、という言葉に彼がピクッと反応したのが見えた。何かあるのだろうかと少し想像したが、先程の彼の発言を思い出し、触れるべきではないと判断したわたしは、事情の説明を優先することにした。
「でも、中々見つからなくて……」
そこで言葉に詰まってしまった。彼の態度からして、彼に頼み事をするのは何となく気が引けたからだ。
しかし彼は意外にも優しい声音で、俯くわたしにこう言った。
「じゃあ、オレが代わりに見つけてやるよ」
「……ほ、本当ですか?!」
彼の優しさに、気付けばわたしはバッと顔を上げ、彼のすぐそばまで近付いて彼の手を握っていた。ハッと我に返ったわたしはすぐさま手を解いて彼から離れる。
「ご、ごめんなさい……」
わたしが自分のしたことを恥じて体を縮こまらせていると、彼も恥ずかしかったのか、照れたように「気にすんなって。それより手紙、探そうぜ」とわたしに言った。そして、わたしが頷いたのを皮切りに、彼はまたそそくさと手を動かし始めた。
わたしは彼の一連の様子を観察して思った。彼はきっと心根は優しい人なのだろう、と。事実、彼は必死にわたしの手紙探しを、自身の目的を放ってまで――もしかしたら並行して探しているのかもしれないけれど――手伝ってくれている。わたしは彼に感謝しなければいけないと強く思った。
「……ありがとうございます」
わたしが素直に感謝の気持ちを述べると、彼は困ったような笑みを浮かべながら頭を手でガシガシと掻いた。
「ほんと、お前って……」
――変な奴だよな、とでも言うのだろうとわたしは推測した。けれども彼は続きの言葉を紡ぐことなく、そのまま口を閉ざしてしまった。
「どうかしましたか?」
わたしが不思議に思って尋ねても、彼は一点を見つめたまま。わたしは異変を感じ取り、すぐさま彼の視線を辿った――そして。