ときを廻れば

第一章 出会う人

やはり、そうだったらしい。わたしの出会った盗賊(仮)たちの職業は、やはり盗賊だったのだ。
 わたしがハッと我を取り戻したとき、不思議な少年は忽然と姿を消していた。当然、魔石も持ち去られていた。これらが何を意味するかといえば、前文の通りである。
 わたしは彼に恩を感じていたため、いきなり姿を見失って残念な気持ちになった。しかし彼は盗賊なのだ。何をされるか分かったものではないという意味では、この場を去ってくれてよかったとも思える。まあ、彼は非道の人間には見えなかったが。寧ろ目の前で余裕な雰囲気を醸し出す主人公こそ腹の中を読めなくて、若干の畏怖を感じる。

「……逃げられたな」

 彼は残念そうに呟いたが、その表情は現状を楽しんでいるように見えた。
――どうしよう、どうしよう。
 途端に不安がわたしを焦燥に駆らせる。
 元の世界は悪が蔓延っているから気を付けろ、と父は何故言ってくれなかったのだろう。そりゃあ、全て教わるには時間が足りなかったけれど、忠告くらいはしておいてほしかった。知る知らないで、こういう場合は対応の良し悪しに大きく差が出るのだから。
 兎にも角にも今のわたしにできる最善策は空気に馴染むことだ。ひたすら静かにここに居て、彼らがここから出ていくのを我慢強く待つのだ。それしか今のわたしに出来る術はない(命乞いは何だか癪に障るし、逃げ出したらそれこそ捕らえられてしまいそうだから)。
 わたしは待った。彼らが少年を追いかけて宝物庫から出ていくのを。
 待った。
 待った。
 ただ待った――筈だった。
 何故だろう。気付けばわたしはフランと共に、バイク――のような見た目だけれど、浮いているしアクセルはないし、科学的にこれがバイクだと証明できる要素はない――に跨っていた。しかも、フランのお腹辺りで組まれたわたしの両手を、ご丁寧に彼女の左手がしっかりとホールドしている。幸い、両手からはあのザラザラとした手紙の触り心地が感じられる。
 けれども、わたしはこの状況に見覚えがあった――サスペンスドラマだ。これはその中でも定番の「誘拐事件」。だがしかし、まさかその恐怖を自らで体験することになるだろうとは、微塵も思っていなかった。
 きっと二人の内のどちらかに睡眠薬でも飲まされてこの乗り物に乗せられてしまったのだろう。つまり、これからわたしは攫われてしまうのだ。そして最後には、わたしには身代金を出してくれる人がいないから、役立たずとして殺されてしまうのだ。

「嫌だっ、そんなの嫌だよ……ねえ、お願い、行かないで!」

 わたしはフランを引き留めようと必死にしがみつき、懇願した。溢れる涙に構う余裕などなかった。たとえこんな醜態を晒しても、彼女がわたしを解放することはないだろうに、それでもわたしは止められなかった。すぐ先に待つ自身の終焉がただ単に怖い、という理由も勿論あるが、未知であるこの世界について詳しく知れなかったこと、何より両親からの大切な手紙を読めなかったことが悔しいのだ。
 フランは、わんわんと泣き喚く私を宥めるようにわたしの手をさすった後、わたしの方を振り返って言った。

「お嬢ちゃん、安心なさい。私は貴女を攫うつもりなんて更々ないわ」

 フランの艶とした静かな声が、わたしの耳に木霊する。特に「攫うつもりなんて更々ないわ」の辺りが。
 わたしは彼女の赤い瞳の奥底に、世界よりも広いオアシスを見つけた。
 フランを誘拐犯と勘違いしてしまったわたしは、彼女への罪悪感やら、泣き散らす様を間近で聞かれた羞恥心やら、死なずに済んだ安心感やら、とにかく色々な感情を込め、彼女に「ごめんなさい!」と謝った。もう出発の準備が済んだようでバイクから降りられないため、彼女に抱き着きながらの謝罪となってしまったけれど。
 フランはわたしの謝罪に再びこちらを振り向いて「気にしていないわ。私こそ怖い思いをさせて悪かったわね」と、その繊細な長い手でわたしの頭を静かに撫でてくれた。彼女の優しさが頭を伝ってわたしの心を擽る。

「……ありがとうございます」

 わたしは気恥ずかしさからボソッと感謝を口にした。周りで酷く轟音がするためにフランには聞こえないだろうと思ったが、耳が利くのか、彼女は満足そうに前を向いて運転の体勢に移った。
 女神。彼女はわたしの女神だ。わたしはフランをそんな風に捉え始めていた。しかしぼうっと考える癖が出てしまったせいか、次の数秒間、わたしは死の恐怖を味わうこととなる。

「行くわ。しっかり私に掴まって」
「分かりました……って、きゃああああ!??」

 浮かれた気分で返事をして腕に力を込めた途端、車体までもがふわっと浮いて、まるで電車の急発進のようにスピードをつけて進み出した。怖くて思わず絶叫し、目を閉じてしまったが、慣性の法則で体が後ろに倒れる――死にそうになる――のだけはフランに抱き着いて何とか阻止する。
――い、今のは一体……バイクが、浮いたの……?
 疑問に思って目を開こうとしたのも束の間、すぐにわたしの苦手とする浮遊感と、それによる吐き気がわたしの全身を襲った。これは、危ない。脳が危険を察知したが、時既に遅し。胃液が気管をどんどん遡ってくる。空気が肺に届かなくて、とても気持ちが悪い。それでもわたしはフランに迷惑をかけまいと、目をぎゅっと瞑ることで何とか吐き気を治そうと試みた。が、やはり不可能だった。

「フランさん、ごめんなさい……もう駄目……!」

 ただでさえ浮くバイクの運転で忙しいフランに面倒をかけるなど失礼にも程がある、とわたしは自身を叱責したが、それで吐き気という生理的症状が治まる筈もなく、わたしの胃とその周辺はそろそろ限界に達しようとしていた。しかしフランは鬼畜にも、わたしの消化器官に死亡宣告でもするように、わたしに言ってのけたのだ。

「もうすぐよ! 耐えて!」
「……は、はい!」

 わたしは、もういいやと半ば諦め方向に身を固め始めた。けれども残り半分は生きたい気持ちなので、先程から半端なく打ち付ける風にフランから引き離されないよう、何とか彼女に必死にしがみつく。
 最早、目という感覚器官は現実逃避のために使用していない。耳は鼓膜を引き裂くような叫び声や爆音のせいで耳鳴りしかしない。口はもう胃液の味で機能していないし、鼻も同じように胃液の変な臭いしか感じられない。体だって鉛のようで、最早自分のものですらなくなっている。五感の放棄、それ即ち――失神。

三人の本業




読んだ帰りにちょいったー

戻る   玄関へ