あなたが星に願うとき

第一章 あなたが誰かは関係ない


「――おい、楓!」
「え? あ、ああ、ごめんなさい……」

 どうやら暫く放心してしまっていたらしい。竜司先輩に肩を揺さぶられ、わたしは何とか自我を取り戻した。が、眼前に竜司先輩の心配そうな顔があったせいで、次は心臓がばくばくと煩くなる。何だろう、今日はやけに心と体が忙しい。

「大丈夫か?」
「……はい、大丈夫です。だから、離れて……」

 恥ずかしさ故にわたしは彼から顔を逸らし、ぼそぼそと呟く。それでもこの距離の近さで聞こえない筈はなく、「あ、悪ぃ、また……」と竜司先輩もハッとしてわたしの両肩から手を離し、距離を取った。無意識下で息を詰まらせていたらしく、「はっ、ふう……」と深く呼吸すると、漸く身体が落ち着いた気がした。

「竜司、またってどういうことだ」

 いきなり背後から透き通ったような、男の人の声が聞こえた。驚きでパッと振り向くと、これまた脳に優しくない人物がすぐ側に立っていた。本当に今日は脳と肺と心臓が多忙である。

「……あー、その話はまた今度な――ってお前、そのかっこ……」

 黒髪に仮面に、黒の上下に黒いコート。そして、真っ黒な出で立ちに映える真っ赤な手袋。如何にも怪盗といった風貌だが、コスプレだろうか。竜司先輩は意外な交友関係を持っているようだ。あれ、でもさっき竜司先輩の隣には「前科持ち」の先輩がいたような……取り敢えずここは竜司先輩に聞くのが一番だろう。いつの間にか怪盗(仮)の隣に佇んでいた竜司先輩に、わたしは顔を向ける。

「竜司先輩、この方は?」
「……ああ、コイツは雨宮蓮。『前科持ち』の噂は楓も知ってるだろ?」
「はい」

 何だか嫌な予感がする。まさか、この人が「前科持ち」の先輩だなんて――。

「蓮が噂のそのヤツなんだよ」

 ううむ。昨日といい今日といい、嫌な予感というのはつくづく当たってしまうような気がする。少々自慢げに怪盗(仮)の紹介をする彼の発言に、わたしは呆然としてしまった。
 竜司先輩が言うには、この人はさっき竜司先輩の隣にいた制服姿の「前科持ち」の先輩と同一人物らしい。つまり怪盗のような恰好をした彼は、わたしが見た記憶がないとはいえ、公衆の面前で着替えた訳だ。なるほど。
 まあ、彼の前科がどういったものなのか、わたしには知る由もない。だから彼が変質者だとしても、何らおかしくはないのだ。例え、公衆の面前で着替えるような変質者でも……受け入れろ、わたし。
 今日は本当に身体的にも精神的にもダメージの凄い一日だ。それでも今は状況を飲み込まなければ。意識だけは保っていないと、目の前の変質者――いや、先輩に迷惑をかけることになってしまうから。

「よろしく、成宮さん」
「あ、はい。よろしくお願いします」

 雨宮先輩がわざわざ手袋を外してまで差し出した右手に、わたしは何故か嫌悪感なく、吸い込まれるように右手を重ねた。そして握られた手は、彼の肌の温かみを十分に受け取り、ゆっくりと解れていった。それは心と体にも伝わり、そこでわたしは悟る。わたしはいつの間にか緊張していたのだと。それに気付き、かつ解そうとしてくれたこの人は、変質者などではないと。

「あの、雨宮先輩」

 手を離し、わたしは意を決して彼の目を強く見つめる。仮面越しでも伝わる彼の信念は、わたしの根底を揺るがすくらい大きなものだった。

「わたし、先輩の仲間になります」
「……どういうこと?」

 彼はわたしの申し出に、よく分からないといった様子で首を傾げた。竜司先輩も「お前、何言ってんだ?」と疑問を口にしてくる。余りに意思疎通ができていないので、わたしは頭を抱えたくなった。
 ん? いや、さっきのわたしは、何の脈絡もなく彼に申し出をしてしまったではないか。何故、伝わって当たり前のような認識を持っていたのか。甚だおかしい。わたしは焦って弁解に走った。

「あ、えっと、いきなりごめんなさい。何か先輩の温かさというか、信念の強さみたいなのが伝わってきて、それで先輩、仲間を求めてるんじゃないかって……」

 そう思いまして、と言ったが最後、自分でも何故に彼の仲間になるなどと言おうと思ったのか、よく分からなくなった。先輩方のぽかんとした表情も相まって、途端に羞恥心が全身に行き渡り、穴があったら入りたいような気分に陥る。

「……すみません。ちょっとさっきのわたし混乱してたみたいです。忘れてください……」

 わたしは恥ずかしさに身を縮こまらせて深々と頭を下げた。それなのに雨宮先輩は「どうだろう」と悪戯心の籠った声で返してきた。本当に、わたしは何故仲間になるなどと宣言したのだろう。

「……帰ります」

 不貞腐れて出てきた言葉はそれだった。我ながら幼さ全開の台詞に、ふっと苦笑が漏れる。そして何が滑稽だったかというと、私の宣言に二人が口を揃えて賛成してきたせいで、もう後に引けなくなってしまったことだ。
 まあいい。今日は城に怪盗に自身の黒歴史と、脳に大きく負担をかけてしまったから、帰って夜ご飯を食べて寝た方が身のためだろう。これから彼らが何をしようが、わたしには関係ないのだ。

「それじゃあ、お先に失礼しますね」

 自分らしくない、少々疲れた声が喉から出た。余程疲れたのだろう。それを自覚すると急激に家に帰りたくなってきた。彼らに背を向けて、とぼとぼと歩き出す。

「気を付けて」
「またな」

 彼らの爽やかな声を背景に、再びさっきの歪みがわたしを襲う。次に意識を取り戻したときには、彼らと城は忽然と姿を消しており、代わりにいつもの秀尽高校が夕陽に赤く染まっていた。そしてわたしは、いよいよ帰路に就いたのだった。

前科持ちの怪盗(仮)




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