あなたが星に願うとき

第一章 あなたが誰かは関係ない

秀尽学園高校に入学し、電車通学をするようになってから、つまり最近、わたしはあることに気付いた。それは、地下鉄の駅構内がひんやりとした空気の感じられる場所であるということだ。何故に涼しく感じるのか、正確な理由までは分からないけれど、混凝土コンクリートで上下左右を固められた窮屈な構造や、隧道すいどう内をひゅうひゅうと吹き抜ける風などから、何となくは窺い知れる。
 多分、地上を疾走していた風たちは、ふとした拍子に地下に迷い込み、地上へ抜け出そうにも混凝土コンクリートがあらゆる出口を覆い隠してしまっている為に抜け出せず、そうして次第に冷却されていったのだろう。そしてその迷える風たちが、地下鉄のプラットホームで人々に冷感を与えるのだと、わたしは考えている。
――とまあ、地下鉄特有の冷気についてあれこれ考えてみたが、今わたしが電車の到着を待っているここ、東京サブウェイ銀坐線渋谷駅のホームには漂っていないのが実際のところだった。何故なら、銀坐線渋谷駅が地上二階にあるからである。それならば何故そんな無駄なことを考えたのだと問い質されるかもしれないが、それがわたし、成宮楓だからと答えるしかないので、ご了承いただきたい。
 それにしても、昨日のわたしは本当におかしかった。ほぼ初対面の先輩に「わたし、先輩の仲間になります」と豪語する人間が、果たして他にいるだろうか。一日経った今でも、あのときの穴があったら入りたい気分だけは完全に再現できる。ああ、恥ずかしい。
 しかしそうだ、わたし以上におかしいものがあったではないか――大きな城。本来学校があるべき場所に建っていたあれは、何だったのだろう。穴があったら入りたい気分だけは再現できるといっておきながら、もしかしたらあれは夢だったのかもしれない、とわたしは思い始める。中世のお城に雨宮先輩のコスプレ(公開お着替え付き。わたしは見ていないが)という、明らかに夢っぽい無茶苦茶で支離滅裂な記憶だからだ。いや、しかしだとすると昨日の自分は一体何をしていたのだということになって、辻褄が合わなくなってしまう。ああ、もうよく分からない。
 とりあえず女性向け恋愛アドベンチャーゲーム「美男武将〜恋は戦火のように〜」の物語でも読んで落ち着こう。そう考えたわたしは、秀尽学園高校指定の学生鞄に入れてあったスマートフォンを取り出し、電源ボタンを押してホーム画面を開く。そして、画面を一つ右にスライドし、目的のアプリのアイコン(メインの攻略対象キャラクターである織田伸長とヒロインとが幸せそうに笑い合う場面が描かれている)をタップし――ようと思ったのだけれど、その隣に見覚えのないアイコンが表示されているのに気付き、わたしは意識をそちらに持っていかれてしまった。
 そのアイコンは、赤黒い背景の真ん中に一つ目が描かれた、何とも気味の悪いものだった。流石にこんな、独創性を超越して最早狂気を感じるようなものを好む趣味は、わたしにはない。よって、これが一体何のアプリケーションソフトなのか、わたしには見当もつかなかったし、無意識にでもインストールすることはないだろうと思った。こうして結局、誰かの悪戯だろうと判断したわたしは、謎のアプリを開くことなく、アンインストールしてしまったのだった。
 それからすぐに日本語と英語それぞれの接近アナウンスが流れ、浅草行の電車が一番線に到着した。わたしは乗車するため、ひとまずスマホをスリープ状態にし、鞄の中に仕舞う。そして、列車の扉が開くと同時にドバドバと降りてきたサラリーマンや学生の面々を見送ったのち、自分より先に並んでいた何人もの人たちに続いて、わたしも車内に乗り込――もうとしたが、遠慮した。扉の開閉部分まで人が詰まっていたからだ。何となく途中から「あ、この電車には乗れない……というか、乗らないほうがいいかも」と予感を覚えていたのだが、本当にそうなるとは。まあ、時間はあるから大丈夫だろう。
 発車メロディーが流れ始めたので、線路側へはみ出してしまっていたわたしは慌てて一歩後ろへ下がった。すると何ともドジなことに、自分の後ろに並んでいた人にぶつかってしまう。

「あっ、すみません」

 咄嗟に謝罪を口にしながら背後を振り返った直後、わたしは固まってしまった。目の前に「美男武将〜恋は戦火のように〜」の攻略対象キャラクターである明智光英が立っていたからである。

「……僕の顔に何かついてる?」

 困ったような笑みと共に問いを掛けられて、わたしはハッとする。途端、目の前の彼にかけられていた魔法が解け、明智光英に瓜二つな顔をした男性が姿を現した。制服を着ているから多分高校生だろうが、アタッシュケースを持っていて、その手に革製の手袋を嵌めているから、高校生らしさは全くなかった。

「あっいや、何でもないです、すみません」

 本物ではなかったことを少し残念に思いながらも、わたしはぺこぺこし、前を向き直る。しかし何故か明智光英(仮)が「君、秀尽の子だよね?」と話しかけてきたことで、わたしは再び後ろを向くことになった。
 今度はわたしが困惑する番で、「えっと、はい。そうですけど……」と返事はしつつも何を話されるのか分からず、ドキドキする。

「さっき秀尽のバレー部で虐待があるって聞いたんだけど、そうなの?」

 尋ねられたのは、今まで耳にしたことがない噂の真偽だった。当然、初めて聞いたわたしに答えられる訳がなく、正直に「いや……分からないです。初めて聞いたので」と答える。言ってから、バレー部の顧問が鴨志田先生だったこと、そして先日竜司先輩から聞いた話の内容を思い出し、鴨志田先生ならし兼ねない、と思い至ったけれども。
 明智光英(仮)はわたしの回答にさほどリアクションを見せないまま、「そっか。変なこと聞いてごめんね」と眉を下げて言ってきた。どうやらわたしの反応は彼にとって想定内だったようだ。

「いえ、大丈夫です」

 物語上では頭脳派と設定されている明智光英にやはり似ていると思いながら、わたしは一応笑って返事をし、今度こそ彼との会話を終えた。そして、前を向いて改めて鞄からスマホを取り出し、「美男武将〜恋は戦火のように〜」を立ち上げ、明智光英(仮)の前で、明智光英編のストーリーを楽しむのだった。
 そういえば、昨日は脳の回転がほぼ停止していたために考えが及ばなかったけれど、先輩たちは大丈夫だろうか。あれが夢ならば何も起きていないことになるが、夢でないならば、あのあと何が起こったか分かったものではない。今日は球技大会があるから、そこで会えるだろうし、聞いてみよう。

戦国武将(仮)




読んだ帰りにちょいったー

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