あなたが星に願うとき

第一章 あなたが誰かは関係ない

東京という街の喧騒は未だ止むことを知らず、高層ビルに四方を固められた我らが秀尽高校に吹く風など正しく何処吹く風である。わたしの立つここ、屋上は「立ち入り禁止」の貼り紙に相応しい閑散とした状態で放置されていた。
 しかし、こんな所へ連れてきた割にはきちんと扉を閉めた竜司先輩。彼の次なるアクションは、まるで「何度も屋上に立ち入っています」とでも言うような、至って慣れたものだった……そう、乱雑に放置されさびれた机を、平然と陣取ったのである。流石は竜司先輩。心根は無邪気で勇気のある男子だが、外見はただの不良である。そしてその見た目を裏切らない見事な不良っぷりを行動で示してみせたのだ。

「大遅刻に加えてルール違反なんて、わたし、入学早々危険人物になっちゃいましたね」

 わたしは今思ったことを少々の皮肉と共に竜司先輩に伝えた。とはいえ、わたしは彼を咎めるつもりも、悪さをしないつもりも毛頭ない。類は友を呼ぶという諺もあるくらいなのだから、わたしはきっと彼と何処か一つくらいは似ているのだ。つまりは、わたしだって少しくらい悪さをしたい年頃なのである。竜司先輩もわたしの思いを感じ取ったのか、戯けた態度で「ははっ、俺ら、共犯だな」と曇りを晴らす笑みを浮かべてくれた。そして、そのままの笑顔で「そんなとこ突っ立ってねえで、こっち来いよ。話せねえだろ?」と、わたしを彼のアジトに迎え入れてくれたのだ。
 彼の厚意に甘え、わたしは竜司先輩の傍に一つ寂しく置かれているパイプ椅子に座ることにした。年季が入っているため一度座るだけでギシ、と音が鳴る。
 竜司先輩はわたしの方を向き、「で」と口を開いた。

「楓が聞きてえのは『俺が鴨志田にキレてた理由』だったよな」
「はい。竜司先輩さえ良ければ、是非とも聞かせてください」

 竜司先輩は何故かとても嬉しそうに「へへっ、勿論だぜ」と笑った。かと思えば突如として表情を真剣なものに変え、遥か遠い空を眺め始めた。

「まず、楓は鴨志田が秀尽のOBってことは知ってるか?」
「はい。この前、友だちから聞きました」
「なら話は早え。鴨志田はオリンピックで金メダル獲って、そんで秀尽から声をかけられたんだ。教師にならねえかって。んで、誘いに乗ったアイツはここで教師の立場を利用して、テメエの名誉をひけらかし出したんだよ。まあ、それだけならまだ許せるかもしれねえ。けど、鴨志田――アイツは自分に反抗する人間は徹底的に潰す奴だった。マジでヤバい奴だよ。そんな、そんな奴の被害に遭った一つが……陸上部、だったんだよな」

 話が進む度にどんどん暗くなっていく竜司先輩の表情に、わたしは胸が締め付けられるような思いを抱いた。彼にこんな表情をさせてしまう鴨志田先生は何て残酷な人なのだろう、と。まだ彼から何も詳細を聞いていないけれど、先程鴨志田先生に対して嫌悪感を覚えたことに、わたしはとても納得したのだった。
 尚も竜司先輩は悔しさを込めた声で語り続ける。

「鴨志田は元々男バレの選手だったからよ、当然バレー部の顧問になった。けど、その頃はバレー部もまだ全国大会に出られるような実力を持っちゃいねえし、代わりって訳でもねえけど、陸上部がそれなりに有名だったんだ。俺もそこでエース、やってた。でも、それがアイツにとっちゃ面白くなかったんだろうな。気に食わねえ、たったそれだけの理由でよ、俺はこの足を奪われた。陸上部を奪われた……アイツは、鴨志田は、俺から大事なもん全部奪っていきやがったんだ……!」

 竜司先輩は今にも泣きそうな、否、怒りで我を忘れそうな雰囲気を纏いながら、思い切りガンッ、と机を拳で叩いた。その表情からも姿からも、彼の鴨志田先生への深い憎悪が見て取れる。
 それに、どうやら竜司先輩は陸上部のメンバーで、それもエース、つまりは期待の新星だったらしい。少し不謹慎ながら、脳内で竜司先輩が疾走する姿を想像してみると、見たこともないのに何故かその姿を鮮明に映すことができてしまった。やはり彼は以前、その足で軽々と羽根を生やし、地を駆け抜けていたのだろう。陸上部という場所で羽根を伸ばし、また羽ばたかせられるように、仲間たちと共に居たのだろう。そう思うと、わたしは竜司先輩と出会ってからまだ半日も経っていないというのに、彼か、もしくは鴨志田先生か、はたまた自分かに対して涙を流すことを止められなくなってしまった。

「……お、おい、楓?! ど、どうしたんだよ、おい……」

 わたしが泣いているのに気付き、困惑する竜司先輩を傍目に、わたしはごしごしと制服の袖で目を擦る。しかし少し痛みを感じるくらいまで摩擦しても、涙は止まることを知らない。

「ごめんなさい……泣き止むまで、ちょっと待ってもらえますか?」

 そのままの体勢でお願いすると、竜司先輩は「お、おう」と未だ当惑気味だけれど、こくこくと頷いてくれた。泣き顔をあまり直に見られたくないという気持ちもあって、わたしは腕で顔を隠しつつ、席を立った。そして、彼に背を向けて、泣いた。

感情の吐露




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