お花の妖精さん

 メアンには父親がいない。所謂、母子家庭である。それでも彼女は普通の女の子として幸せに生きていた。彼女の母がよく、亡き父の話を優しい声で聞かせてくれたからである。
 メアンは夜、眠れなくなると必ず母に父の話をしてほしいとせがんだ。そして母が優しい声で父の話をし始めると、彼女はすぐさま安心した表情を見せて眠りに就いたのだった。
 そんな、父の実体が現実にはないというだけで、他は至って普通の幸せな家庭に育ったメアンが四歳になった頃のことだった。彼女は母から父の話をたくさん聞きながら、すくすくと育っており、この頃は特に裏庭の畑で花摘みに熱中していた。そしてこの日も例外なく、彼女は朝から花を摘みに畑を訪れていた。

「今日はいつもとちがうお花さんがいいなあ」

 誰もいない一人きりの花畑でメアンは願いを呟いた。いつも摘む花というのは「きいろのお花さん」である。だからそれ以外の花を摘むということだろう。

「そうだ! まっ白なお花さんがいいわ!」

 メアンはいきなり思い付いたように叫んだ。どうやら彼女の頭に何か白いものが浮かんだらしい。
 思い立ったが吉日。彼女は速攻動き出し、手当たり次第に白の花々をそっと摘み、丁寧に束ねていった。種類は様々である(シロツメクサ、アネモネ、デイジー、チューリップ、マーガレットなど)。
 そうして一つの花束が出来上がった頃には、太陽も真上に昇りかけていた。そんなときだった。

「きみはお花の妖精さん?」

 誰かがメアンに声をかけた。
 この裏庭にやってくる人物といえば、村で仲良しのフィーパーおじさんか、母の二人だけだ。しかし声をかけてきたのはその二人ではない。声質からして幼げな男の子だった。メアンは同年代の友だちを持ったことがなかったから、新しい友だちが出来るかもしれない喜びで、ついつい後ろを振り返ってしまった。しかし、それがいけなかった。

「わあ……」

 太陽に照らされて輝きを増す銀髪、全てを見透かしそうな程に透き通った空色の瞳。着古された布の服も彼の静かな雰囲気にピッタリと合っていた。寧ろ貴方の方が妖精のように美しいだろうと思ったメアンは、堪らず感嘆した。
 少年も少年でメアンの可愛さに惹かれたらしく、「やっぱり妖精さんだ」と優しく微笑んでみせた。それに案の定というか心を撃ち抜かれてしまった彼女は、しかしそれが恋だと、初恋だということに気付くことなく、ただ恥ずかしさをどうにかしたいが一心で、持っていた白の花束を「プレゼント」と小さく呟きながら彼に押し付けた。彼は「わあ、ありがとう。ぼくはククール。きみは?」と白の花束を優しく手に持ちながら尋ねてくる。メアンはドキドキと胸打つ鼓動を耳にしながら、やっとのことで答えた。

「わたしはメアン。人間よ」

 これがメアンの初恋の始まりだ。


 ***


「ねえ、エイト。何で私、あのとき振り向いちゃいけなかったの? 別に振り向いたっていいじゃない」

 エイトが回想に一区切りつけたところで、私は彼に疑問をぶつけた。十年前のことだからはっきりと覚えている訳ではないけれど、そんなことを思ってはいなかったはずだ。しかしエイトは私の考えを遥かに超える回答を用意していた。

「だって、ここでメアンが振り向いていなかったら、僕が君の初恋の相手になっていたかもしれないんだ。そりゃあ悔しいよ」

 私は不覚にも、ときめきを抑えられなかった。結婚してから随分と時が経つというのに、この人は全く変わらない。

「エイト……ありがとう。嬉しいわ。貴方の見方で構わないから、もっと話して?」
「勿論。それじゃあ、長くなりそうだし、メアン特製の紅茶、淹れてくれる?」

 エイトの頼みなど断れるはずがないだろうに、中々にこの人は意地悪である。けれどまたそこが私の心を惹いてならないのかもしれない、なんて。

「いいわよ。あ、でもそれなら、やっぱり中立的に話してほしいわ」
「しょうがないなあ。分かったよ、お花の妖精さん」

 エイトは私の我儘に呆れた様子を見せつつも、優しい声で私とククールの話を再び紡ぎ始めた。


 ***


 ククールとメアンは出会ってからというもの、身分も家柄も違えど、ククールの親には秘密でよく一緒に遊ぶようになった。花畑では水やりや花摘み、裏庭では追いかけっこ。フィーパーおじさんが飼っている子犬のエマを連れて二人で散歩もした。ときたま昼寝の時間には二人で母の優しい声と父の話を聞きながら仲良く眠ることもあった。メアンがククールより二歳も年下だからか、二人はまるで本物の兄妹のように仲睦まじく日々を過ごした。メアンはそれだけで幸せだった。
 しかしメアンが六歳でククールが八歳の頃、二人の仲を引き裂く悲劇が起きてしまう。ククールの両親が流行病によって亡くなってしまったのだ。ククールは酷く悲しがったが、家族との別離よりも残酷だったのは彼自身の未来だった。
 ククール――彼はドニの領主の息子であった。つまり、お金持ちだったのだ。しかし彼の父は無能な人だった。領主としての腕前も父としての優しさも持ち合わせておらず、ただ女性と交際し、賭博するためにお金を浪費していたのである。結果として彼の父は賭博に失敗し、借金を残したまま他界。彼の母も亡き父を追うように息を引き取ってしまったのだった。

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