妖精の献身

 無事に聖堂騎士団から逃げ果せたメアンはククールを連れて自宅に入り込み、すぐさま鍵を閉めた。

「っはあ、はあっ、はあっ、はあ、はあ…………ふう、ここまで来れば、もう安心ね」

 メアンは乱れた息を整えながら、ククールに笑いかけた。その表情には若干の疲れが見えるが、それにも勝る喜びが滲み出ている。対してククールは日々の訓練の賜物か、息もさして上がらず、メアンの笑顔を見て同じように穏やかな笑みを浮かべていた。

「だな……それにしても、懐かしいな。昔もこうやって、メアンの家に逃げ込んだことがあっただろ?」
「ふふ、あったわね。あのとき、私、ククールのお父さんに見つかって、かなりオドオドしちゃったのよね。懐かしいわ」
「ああ。それで俺が咄嗟にメアンを連れてクソ親父から逃げたんだ。この家に」

 言いながらメアンの家の中をじっくりと観察するククールに、彼女は少し嬉しそうに、そして誇らしげに問いかけた。

「昔とあまり変わらないでしょう?」
「……ああ。まるであの頃に迷い込んだみたいに、何も変わってない」

 ククールは静かにメアンのエメラルドグリーンの瞳に目を向けた。彼女は本当に一つも汚れを知らず、そして汚れを知らないことすら、彼女は知らない――彼女の純粋に輝く双眼は、彼が見つめる度にその事実をこれみよがしと主張した。

「メアンは……綺麗だな。俺とは大違いだ」

 ククールは彼女の宝石のような両眼の挑発に、易易と乗ってしまった。彼の心には確かにメアンを綺麗だと思う気持ちがあったが、それよりも、純粋な彼女を羨み、妬むもう一人の自分がいたのだ。
 何故、何故、何も悪いことをしていない自分を、修道院の奴等が除け者扱いするのか。例え過去に因縁があったとしても少しは同じ血が流れた兄弟だというのに、何故にマルチェロは自分を蔑むように見下すのか。ククールはただ、メアンの存在が羨ましかった。彼だって、彼女のように美しく居たかった。けれど、それは空飛ぶ雲を掴むより難しいことだったのである。
 一方、メアンは先程と何処か違う雰囲気を纏ったククールに戸惑いを隠せなかった。

「ククール? 何かあったの?」

 メアンは様子を伺うように、遠慮がちにククールに尋ねた。彼はセンチメンタルな感情のままに「まあな」と苦笑を浮かべる。ククールの表情からあることを察したメアンは「そう」と頷くと、双眸を月光にキラキラと輝かせながら「なら、作戦会議の時間ね」と笑った。そして、パン、と一つ手を叩いて気合を入れ直すと、両手を腰に当ててお茶目に言う。

「さあ、そうと決まれば早速準備ね! あ、勿論ククールは休んでいていいわよ」
「……分かった。ありがとう」

 苦しみの渦中に惑うククールを少しでも励まそうと、メアンは「いいの。だってククールは私の大切なお客様だもの」と優しく微笑んだ。すると彼の顔色も少し明るくなったため、メアンは安心したようにくるりと彼に背を向け、台所でポットと茶葉を取った。彼女は慣れた手つきでポットに茶葉を入れ、お湯を注いでいく。ほかほかと湯気が立ち上ると同時に、爽やかな香りが家中に広がった。
 ククールは子供の頃と同じように檜の丸椅子に腰掛け、メアンの小さな後ろ姿を眺めていた。何を話せばよいのか分からず、ただ彼女の背中をじっと見つめていた。
 ポットにお湯の注がれる音だけが響く室内で、遂にメアンが口を開いた。

「ククール、紅茶は飲めたわよね?」
「ああ。まあ、今は滅多に飲めないけどな」
「……そうよね。あ、この紅茶ね、裏のお花畑に咲くカモミールの葉からつくるのよ。新鮮で香りも味も素晴らしい、ってフィーパーおじさんにも褒めてもらったんだから!」

 だから美味しく頂いてね、と微笑んだメアンは、今日の自分がやけにお喋りだということを自覚していた。ククールを元気付けたかったという理由も勿論あるが、それより、久しぶりに彼と再会できた喜びで胸がいっぱいいっぱいだったのだ。だからこの溜まりに溜まった想いを吐き出す以外に、自身を暴走させない術がなかったのである。

「……そうだな。メアンの紅茶を飲むのも久しぶりだし、ここは美味しく頂くとするか」

 ククールもククールで作戦会議に対して段々と乗り気になってきたのか、妹を見守る兄のような雰囲気を醸し出しながら言った。彼の言葉に、メアンも嬉しそうに「ちょっと待ってね」と愛らしい笑顔を浮かべる。彼女の手は既にカモミールティーをティーカップへと注いでいるところだった。
 丁寧に二つのカップに紅茶を淹れた後、メアンは「はい、どうぞ」と、ククールに片方を手渡した。彼は「ありがとう」とお礼を口にしながらそれを受け取った。夜風で少し手が冷えていたせいか、やけにカップの側面が熱くなっているように彼の両手は感じた。しかし、多分それはカップの熱ではなく、彼の内の潜熱であった。

読んだ帰りにちょいったー
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