ある魔女の伝承


 あれから俺とトーネは多くの秘密を共有してきた。互いが抱える悩み、厳しい体験、その他諸々。
 俺は正直に言って、出会ったきりでもう彼女と顔を合わせることはないだろうと思っていた。彼女もあのときはただ応接室への道を知りたいが為に俺に話しかけただけだったらしい。しかし彼女の新薬は想像以上の効果を発揮し、彼女は王国抱えの研究者としてこの朝廷を訪ねるようになった。俺はその度に何かと理由をつけて彼女に話しかけたものだ。
 あの頃は俺も初恋――年齢については触れないで欲しい、しかし仕方がないのだ、俺はノクトの標となる為に教養を叩き込んできたのだから――の嵐とやらの勢いに乗せられ、いやに積極的だった気がするが、今はそうでもない。いや、今も積極的にアピールをしてはいる。例えば、空き時間に彼女の勤める研究所を訪ねて料理を振る舞ったり――今では他の研究員の方々も受け入れてくれ、料理専用のスペースを確保してくれている――、彼女がレギス様に謁見する際はなるべく案内に就けるように自身のスケジュールを調整したり、といった具合だ。女性の視点からすれば好きでもない男性からこんなことをされるのは「重い」に値するのだろうか、と一時は葛藤したこともあったのだが、やはり嵐は心を荒らしてくるもので、男性からしても「しつこいな、あいつ」と言いたくなることを度々繰り返している次第だ。
 ならば何が今はそうでもないのか。それは彼女にあった。
 実をいうと、彼女は友人が少ない。いや、それをいえば俺も同じなのかもしれないが、それはさて置き。まあ、あの異様なまでの挙動不審さから「ああ、この人は人見知りなんだろうな」と粗方想像がつくが、しかし彼女の人見知り度は想像だけでは測れぬものがあった。
――魔法。
 魔法とは、即ちクリスタルからルシス王家にのみ継承されるものであり、他の何人たりとも受け継ぐ事を許されない神聖なる代物である。
 俺にだって魔力はある。ノクトから賜った武器召喚魔法や属性魔法も使うことができる。しかし、それだけだ。
 彼女は違う。武器召喚魔法や属性魔法は使えなくとも、そう、誰もが絵本や映画の世界で目にしたことのあるような、ああいう魔法を使えてしまうのである――彼女は魔女だ。
 此処でまた一つ謎が浮上する。だから何が今はそうでもないのかは一先ず放置しよう。
 魔女であるトーネが何故に王族専用の薬を開発しているのか。それこそ本気を出せば何だって出来るだろうに、それをせずに人としての力で自らを研究しているのは何故か。それは、彼女の願いから生まれた結果に過ぎない。
 彼女は確かに普通の人だ。魔力を制御できる今はそれこそ一目でも二目でも、何度彼女を見ても魔女だと判別できる人はいない。それに、現代は技術が発展しているということもあり、魔力など有って無いようなものだ。だから彼女は普通の人を装える。
 けれども昔は? まだ年端も行かぬ子供だった頃は? 当然、彼女の魔力はその小さな器からボロボロと溢れてしまっていた――魔力の暴走。
 わんわんと喚く赤子とシンクロしてガタガタと揺れる家具。公園の遊具でキャッキャと遊んでいると唐突に巻き上がる砂嵐。教室で授業を受けていてもフワフワ浮かぶ椅子、机、そして生徒達。
――あの子に近付いたら何されるか分からないよ。
 実際、彼女の溢れんばかりの魔力は同級生の女生徒を傷付けてしまった。警察沙汰には何とかならなかったが、それからというもの、彼女は周りから危険人物に認定されてしまったのである。
 それでも彼女の母は笑って「今は試練のときなのよ。でも貴女は強い子。きっと乗り越えられるわ」と励ましてくれ、父も「辛いときは必ず父さんと母さんに言いなさい」と言ってくれたそうだ。
 例の事件から暫くの間、彼女は家族しか味方のいない崖っぷちに立たされるも、其処でいよいよ彼女は閃く。この力さえなければ私は皆と一緒にいられるのだ、と。
 しかし、魔力を完全に消すことは即ち、死を意味する。本人曰く、それだけは嫌だったらしい。だから先ず、彼女は魔力を暴走させない為の案として「魔力をコントロールできるようになればいいのでは」と考えた。
 それから彼女は自己流の魔力制御訓練に明け暮れる日々を送る。最初は精神統一、読書、筋肉のトレーニング、家族との対話をし、これらが板につくと次はピアノや算盤などの稽古や軽い運動を積み重ねた。彼女は幼いながらに教養と体力を身に着けていったのである。そして、遂に最後は魔力の自主的な行使、つまり魔法の使用に至る。これには前述の二つよりも随分と期間を要したらしい。それ程に難儀なものということだ。
 しかし、こういった何年間もの地道な努力の末、結果として魔力の制御を彼女は可能にした。母の予言を確固たるものに実現したのである。
 それからは数年間、彼女も周りと何ら変わりのない一般人として生活を謳歌することとなる。だが、彼女だってやはり人なのだ。次に彼女は「この力を何かに役立てることはできないか」と思い始める。そんなとき、家族と夕食の鍋をつつきながらテレビでニュースを見ていたときだ、彼女は本当に偶然にもレギス様の視察の様子を目にした。
 当然、機械的な画面に映っていたのは正真正銘のレギス様本人であった。だがしかし、片手に杖を持ち、それを支えに歩いているのだから、その姿は見るからに弱々しかった。
 理由はきちんと存在する。当時、ルシス王国とニフルハイム帝国の関係は最悪を極めており、いつ開戦しても可笑しくない状況下にあった。其処でレギス様は「もしも」が実現してしまったときの為の対策として、魔法障壁の強化に打って出たのだ。しかしその代償は決して安いものでも易いものでもなかった――「クリスタルに王自らの命を捧げること」。
 彼女は当初、王の義務にその――所謂、副作用の――ようなものが存在しているとは全く想像していなかった。けれども彼女の両親が何故かそれらしきことを知識として持っていた為、彼女も真実を知るに至った。だからこそ彼女は、役を全うして演じる王を心から憐れに思った。と同時に、一つの義務感のような情に駆られる。
――私なら、レギス様を助けてあげられるかもしれない。だったら今、この力を使わないでどうするの。
 要するに、この「誰かを助けたい」という彼女の核たる想いが切っ掛けとなって、しかしながら一人の人間として生きる為に、彼女はただのしがない研究者になったのであった。

  



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