準備を始めます
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胸の何処かがぼわあ、と燃えているみたいにドキドキして苦しくて、でもその痛みでさえ何だか愉しい。私の中でイグニスは友人ではなく、もっと別の何かとして君臨しているようだ。この気持ちが何なのか分からなくてモヤモヤするけれど、ついさっきも思ったように、私とイグニスは一緒のような気がした。
それより、さっきからずっとイグニスがぴしりと固まったまま動かないのだけれど、一体どうしたのだろうか。彼が家族や店長みたいに大切な人であると分かった今、こんな風に一点を見つめて何も喋らなくなってしまうと、私はあわあわと対応に困る他ないのだが。取り敢えず、私は彼の肩をゆさゆさと揺さぶってみることにした。
「ねえ、イグニス、イグニスってば」
『へんじが ない。
ただの しかばねの ようだ』
という訳ではなかった。それはそうだ。彼は生きているのだから。しかし彼は「なっ、なな、何だ?」と、まるで状況を把握していないような雰囲気を醸し出し、全く彼らしくない怯えた様子で此方を伺ってきた。全く、彼らしくない。さっきまでは嬉しい気持ちで心が満たされていたのに、彼のこの態度に、私は思わず刺々しく返してしまった。
「何だ? って聞きたいのは私の方だよ。さっきからずっとぼーっとして、話も聞いてくれない。イグニス、何か変だよ」
私は言いたいことを言えてスッキリした気分になったけれど、直後に見た彼の顔色が酷く悪く映ったから、スッキリした気分なんて何処にもなくなって、ひたすら申し訳ない気持ちになった。
「あ、え、いや、えっと、あの……ごめんなさい。看病してくれてるのはイグニスなのに、こんな、我が儘みたいなこと言って」
それこそイグニスの顔色を伺うように私は彼の俯いた顔を覗き込む。すると彼はハッと我に返ったように顔を上げた。
本当に忙しないなあ、とそろそろ呆れつつも彼の顔をもう一度見ると、彼がその頬を珍しく真っ赤に染め上げていたから、私は首を傾げた。
「どうしたの? イグニス、顔、赤いよ?」
尋ねると、その赤は更に色濃くなった。不思議だ。そう、不思議だったから、私は彼に理由を問わずにはいられなかったのである。
「ねえ、イグニス、何で? 理由、教えてくれないの?」
「トーネ……すまない」
――そう、分かった。
残念な思いを言葉にする前に、私はイグニスに抱き竦められてしまった。
「な、な、に……イグニス……?」
何が何だか分からず、脳内が混乱を極めているのだけれど、えっと、今、私は何をしているのだろうか? 脳のゲシュタルトがそろそろ崩壊しそうになったとき、追い打ちをかけるように誰かが、あ、そうだ、イグニスがこんなことを言うから、私こそもう駄目だと思った。
「俺はもう駄目かもしれない」
しかし私の混乱による諦めとは違って、彼はもっと辛そうに何かを諦めようとしていた。それだけは駄目だ。私を救ってくれたイグニスが、そんなことをしては駄目。今度は私が、イグニスを助ける番だ。
「イグニス、落ち着いて。私が助けてあげるから」
何とか彼を安心させようと背中をポンポン叩いてみた。彼は私の手に反応して、私をより強く、ギュッと抱き締める。ああ、彼は今、本当に辛い状況に置かれているのだ。どうすれば助けてあげられるだろうか。
「――くれ」
「え?」
イグニスの細細とした弱々しい声が聞こえて、私はもう一度聞き取れないかと耳を澄ました。
「……俺がトーネ以外のことを考えられるようにしてくれ」
――頼む。もう耐えられないんだ。
私はこのとき久々に、自分が魔女であることを心の奥底から恨み、悔やんだ。