王国の裏切り者の場合


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 ヴァンとパンネロの親代わりだというミゲロさんが、私を含め多くの正体不明の人物にまでわざわざ気を遣い、特に事情を聞くこともなく開放してくださった空き家。家の構造としてはリビングの他に寝室が二部屋もあった。「ミゲロさんのことだから普通に心配してくれてるだけだろ。ここは素直に厚意に甘えようぜ」というヴァンの単純というか本当に素直な訴えに皆も納得し、寝室二部屋を男女で分けて使用させてもらうことにした。何処までがミゲロさんの優しさなのかは分からないが、各部屋にはベッドが三台も用意されていた。これではとてもミゲロさんに足を向けて寝られない。それくらい、ありがたかった。
 昨日の昼までは、使い古されてはいるがこんなにちゃんとしたベッドで寝られるだなんて思ってもいなかった。が、ヴァンとパンネロの交渉とミゲロさんの温かい心が昨晩このベッドで寝ることを可能にしてくれた。おかげで今朝の寝起きはスッキリとしたもので、トーネが早朝からバザーで材料を調達して作ってくれた朝食も美味しくいただくことができた。余談だが、彼女はダルマスカに戻ってくるまで一人で朝昼晩の料理を作っていたらしい。道理で彼女は料理の手際が良い訳だ。





 そろそろ朝から昼になろうかという微妙な時間ともなると、仲間たちはそれぞれの目的を抱え外へ出ていってしまった。恐らくヴァンとパンネロはミゲロさんのお手伝いに、バルフレアとフランは最速のシュトラールのメンテナンスに、アーシェ様とトーネは、朝食時にトーネが「今日は気分転換にアーシェと二人で買い物に行くの」と笑顔を浮かべて言っていたから、きっと買い物に。
 確かにアーシェ様はウォースラの没後、酷く落ち込んでおられるようだった。きっと一番近くで殿下をお守りしていたウォースラに、殿下は最も信頼を寄せていたのだろう。そんな人に、国を思ったが故とはいえど裏切られ、しかも命を絶たれたとなると、その心痛は如何ばかりだろう。私には測ることすら許されまい。
 私はアーシェ様を命に代えてでもお守りする覚悟はあるのだが、落ち込んだ女性の励まし方に限らず、女性のことはからきし分からない。私ではどうも力不足な気がしていたから、正直トーネが殿下に気を配ってくれて少しホッとした。それに、殿下は人に断りもせず勝手に一人で動かれることがよくある。お目付け役、というと言葉は悪いかもしれないが、魔法が使えるトーネが殿下の側についていてくれるとなれば、護衛の面でも安心だった。
 さて、それでは私は寝室で休養でもとろうか。わざわざ外に出て人の目に自らを晒し、危険に追い込む真似はしたくないし、目覚めが良かったとはいえ、最近は深く眠れていなかったため、もう少し眠りたい気分だ。
 私は木製の椅子から立ち上がり、リビングの奥の扉を開いて、石の廊下を暫く歩いた。そして男性陣の寝室に入り、自らに貸与されたベッドに静かに横たわると、アーシェ様の安全と、信念の前に散った朋友の冥福を祈りながら暫しの眠りに就いた。





――殿下を、頼む。
 ただひたすらに国を思い、守り続けてきた彼の最期に相応しい言葉だった。俯く彼の背中に少しの後悔は見られたものの、それでもやはり彼らしいまっすぐな想いは感じられた。私はいつも彼の熱い祖国愛に心を突き動かされていたのだ。
 そして、いつまでも自らの信念を貫く我が朋友は、真昼の戦艦の中、間もなく散った。
 私も彼――ウォースラのように強く逞しく、そして誰よりも国を愛せる人になりたいと思う。そのためには、彼の背中を追いかけながら、彼の頼みに応え続けるしか、他に術はないだろう。私自身、それも使命の一つだと思っている。亡き友人兼同僚兼飲み仲間の分まで、私はアーシェ様を、ダルマスカ王国を、全てを護るのだ。例えこの命が果てようとも。
 心地の良い昼寝から覚め、少しの間の思考がこれだ。私は案外、ウォースラの死に囚われているのかもしれない。使命を深く自覚するという良い意味でも、それで自らを縛っていくという悪い意味でも。信念というのは、ときに自分の力となり、仇ともなるからだ。
 ウォースラは死を以って私に大事なことを教えてくれた。絶対に、彼の死を無駄にはしない。
 私がまた新たに決意を固め、闘志を奮い立たせている、そのときだった。
――コンコン。
 誰かが寝室の扉を優しくノックした。音に反射して、サッと上体を起こす。
 誰だろう。正午にはまだ早い。こんなに早く帰ってくるとしたら――ああ、バルフレアが整備用の器具を忘れて取りに来たのかもしれない。いやしかし、弱い音だったのが少々気になる。

「……どうぞ」

 私が訝しげに思いながらも一言声をかけると、扉の奥に佇む謎の人物はそっとドアノブを動かし、扉を開けた。さて、誰なのか――。

「トーネ? 何故、君がここに」

 扉を開けたのはトーネだった。意外過ぎて、驚きと疑問とが混じった声で矢継ぎ早に台詞を放つ。
 トーネは静かに扉を閉めるとこちらを向いて、困ったような、けれども少し嬉しそうな表情を浮かべながら、私の質問に答えてくれた。

「アーシェがね、一人で買い物がしたいって。あと、私はもう平気だから、バッシュの様子を見てきてくれないかしらって」
「そうか、アーシェ様が……」

 私はまた少し驚いた。普段のアーシェ様の私への態度や言動には、やはりまだ「王国を裏切った人物」というレッテル故に私のことを信じられないのだろう、刺々しいものがあるのだ。私はそれでもいいからと無理に側に付き、勝手にお守りしてきた。そんな殿下が私のことを気遣ってくださるなど、予想だにしなかったのである。

「よかったね、バッシュ」

 トーネは笑った。
 ああ、と私は頷いた。

  



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