ただいま


 俺は一旦、自身の部屋だった屋根裏部屋に行くことにした。リュックサックと上着を置く為だ。トントン、と木板をテンポ良く踏みながら二階へと上がっていく。途中でやけに埃っぽい空間に入り、俺はいよいよ自分の場所に戻ってきたのだと実感した。
 相変わらず左側には物が乱雑に置かれているものの、俺が片付けた右側の空間は見事に一ヶ月前の状態で保たれていた。もしかしたら惣治郎さんが定期的に掃除をしてくれているのかもしれない。俺の居場所を消さないように大切に保存してくれているのだろうと思うと、心がホッと温まった。
 因みに双葉は今、俺が一年間寝させてもらった質素なベッドに寝そべって自分のノートパソコンを弄っている最中だ。しかもヘッドホンを装着している。こういうときの双葉は集中力を人並み以上に発揮するから、多分、呼んでも反応しないだろう。そう判断した俺は静かに年季の入ったフローリングに足をつけた。
 着いた、俺の部屋。思い出の場所。心の昂りに思わずはしゃぎ回りそうになったが、俺の存在に気付いていないとはいえど双葉がいる手前でそんなことはできない、と何とか心を落ち着かせた。
 取り敢えずソファーの上に置こうと決めて、俺は静かに其処へ向かった。双葉の集中力を切らしてしまわないように、念の為だ。そしてモルガナの眠るリュックサックを下ろし、脱いだ黒のジャケットをその隣に畳んで置く。
 モルガナも直に起きるだろうと思っていたら、丁度良いタイミングでモゾモゾとモルガナの動き出す音がした。俺がチャックを開けてやると、やはりモルガナがひょこっと顔を出して現れた。その眼はまだ眠たそうにとろーんとしている。

「おはよう、モルガナ」
「……ああ、暁か、おはよ――って、おい、もうルブランなのかよ!?」

 寝惚け眼が覚醒したモルガナは驚きを込めて叫んだ。それから落胆したように「ワガハイとしたことが……」と項垂れる。悲しげなモルガナを見て、俺は無理矢理にでも起こしたら良かったか、と後悔した。

「モルガナ、ごめん。一度は起こそうと思ったけど、気持ち良さそうに眠ってたから」

 そう口にしながら、電車から降りた後に確認したモルガナのスッキリとした寝顔――姿は猫だが、俺には気持ち良さそうに寝ていると分かった――を思い出す。

「いや、暁のせいじゃない。昨日、楽しみ過ぎてあんまり寝られなかったワガハイの失態だ。気にするな」
「ほほー、わたしに撫で撫でされるのが、そんなに楽しみだったのか! ならば望み通り撫で撫でしてやろう!」

 いきなり双葉がテンション高めに叫んだ。ああ、邪魔をしてしまったか。俺はそちらに気を向けていたが、当然モルガナはこれから起こる災いに真っ青な顔をして、それを避けるべく瞬時にソファーから飛び下りた。そのまま一目散に一階まで下りていく。しかしそれすらも双葉にとっては想定内だったらしい、「モナ待てー!」と楽しそうに追いかけていった。どうやら邪魔をしてしまった訳ではなさそうだ。双葉はモルガナとの再会も楽しみにしていたのだ。

「ふっふっふ、モナ、もう逃げられないぞ? ほれ、わたしの腕にカムバック!」
「や、やめろ……! にゃにゃああああ!!」

――変わらないな。
 段々と戻ってきた日常に、俺は一人になった部屋の中で静かに笑った。 俺はあれから一階に下りて(双葉とモルガナは二階に上がって作業を再開した)皆の手伝いをした。惣治郎さんの料理の補助に、春と祐介の飾り付けと真の会計の確認、竜司の買い出したグッズ等の仕分け。忙しかったが、お陰で迎え組は既に準備万端である。
 ふと、ちらっと時計の方を見遣る祐介が見えた。

「そろそろだろうか」

 祐介がそう呟いた直後、双葉が「みんなみんなっ、杏と楓がもうすぐ着くぞー!」とワクワクした声で知らせながら一階へ下りてきた。脇にはモルガナ、手にはノートパソコンを抱えている。どうやら遂に杏と楓がルブランに到着するらしい。何だか俺までワクワクしてきた。

「双葉、ありがとう。よし、それじゃあ皆、クラッカーを持って所定の位置に着いて」

 双葉の報告を聞いて真が皆に指示を出した。流石、半年以上もの間、怪盗団の参謀を務めていただけはある、かなりの的確ぶりだ。皆が皆、真の指示に一斉に頷く。

「おうよ!」
「了解した」
「ええ」
「うん」
「あいよ」
「らじゃー!」

 俺も静かに頷いて、入口付近に移動した。モルガナはクラッカーを鳴らせない為、カウンター席で待機だ。

「あーあ、ワガハイも使いたかったなあ」

 モルガナが寂し気な雰囲気を纏ってそんなことを呟いた。それを珍しく、もしくは平常通りに竜司が気さくに励ます。

「いいじゃねえか。モナはモナなんだからよ」

 対してモルガナは、まるで世紀の大発見をしたかのように「おお……」と感心しながら竜司を見た。

「リュージ、お前、成長したんだな。ワガハイのこと、散々言ってきたお前が……」
「いや、モナの中での俺、どんだけ悪人なんだよ!」

 モルガナのオーバー(でもないが)な台詞に、竜司がすかさずツッコミを入れた。懐かしの凸凹コンビの会話に皆が笑う。

「まあ、あのときは竜司もモナも荒れてたからなー」

 微笑みながら双葉が言った。その発言は傍からすれば禁句のように聞こえるが、俺たちの中ではもう許される発言である。しかし未だに気掛かりなのか、竜司とモルガナは少し気恥ずかしそうに、罰が悪そうに「へへ」と笑った。そんな一人と一匹に、春が「でも今はすっかり仲良しだよね」と完璧な笑みで完璧な言葉をかける。モルガナは感動の眼差しを春に向けた。

「ハル……ああ。それも全部、皆がいてくれたからだ。だろ? リュージ」
「……おう。だから、まあ、あれだ。あんまガラじゃねえし、今更かもしんねえけど……ありがとな、皆」

 本当に今更な感謝の言葉に、此処に居た誰もが照れを隠すのに必死になった。その最中に耳にしたのは惣治郎さんの「若いっていいねえ……」という何処か達観した独り言だった。

  



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