ごきげんよう


 そんな風に皆でほんわかとした談話を取っていたけれども、楓と杏が近付いてくるにつれて静かになっていった(いや、分かるはずはないのだが、まあ、仲間の絆ゆえだと思ってくれていい)。緊張感にも似たドキドキやワクワクが心を満たしていく。刹那、喫茶店の入口に誰かが立ち止まった。

「……さあ、主役の登場よ」

 真の、やけに挑戦的で嬉々とした台詞が耳に届いた。そして遂に扉が開かれる。
――チリンチリン。
 ふわふわと、外と内の狭間から春の柔らかな陽が差し込む。それはさながら彼女の心のようで。俺は緊張でいつの間にか強ばっていた体がふわあと脱力していくのを感じ、内心でくすりと笑った。

「楓!」

 モルガナの喜びに満ちた声がルブランに響き渡る。それを合図に、俺たちは息を大きく吸った。大切な、大切な仲間へ、祝福の言葉を送るために。

「誕生日、おめでとう!」

――パンッ! パパパンッ!
 彩り豊かな声とちり紙が空中に舞った。まさにパーティーだ。無数のちり紙はひらひらと揺れながらニスのかけられたフローリングに落ちていく。ああ、彼女へのお祝いの言葉と、クラッカーの爆発音はきちんと彼女に届けることができたのだ。まだそうではないが、やり切った達成感と解放感から自然と笑みが零れる。これで彼女の誕生日を漸く祝えるのだ、と。
 まあ、当の本人は「え? え、えええ?!」と驚いてばかりで状況を把握できていないようだが、その表情はこれでもかという程に幸せに包まれていた。きっと今日が彼女の誕生日であることは分かっていて、しかし彼女はまさか俺たちが彼女のためにバースデーパーティーを開こうだなんて思ってもいなかったのだろう、だからこんなに嬉しそうに驚いているのだ。
 楓の後ろから覗くように店内へ入ってきた杏は楓の肩に手を置いて「ね、ビックリしたでしょ!」と楓にニコニコ笑いかけた。楓は歓喜から愕然という風に雰囲気を変えて、コクコクと頷いた。

「う、うん……まさか、まさか私なんかのために誕生日会を開いてくれるなんて、そんな、思ってもいなかったから」

 やっぱり。驚きに満ちた表情の彼女を見て俺たちは笑った。それで漸く気付いたらしい、楓は此方をちらと見てすぐに視線を外し、けれどもまた此方をガンと見て「え」と開口した。

「え、え、あれれ? 幻覚……?」

 とか何とか言いながら目をゴシゴシと擦っている。終いには見ているこちらまで痛くなる程に強く頬をつねってしまった。それに激昂したのは我等が美術家、喜多川祐介その人だった。

「ああ……楓! 折角の美しい顔を刺激してはいけない!」
「いや、過保護か!」

 目と頬を刺激しただけで、まるで世界の終わりでも見たかのように大袈裟に落胆するというのは、もうやはり祐介独特の美観なのだろう。実際、杏が的確な突っ込みを入れたのだから。楓は「あ、ごめんなさい」と若干引き気味に祐介に謝った。祐介は楓の謝罪に妥協したのか「まあ、仕方がない。以後、気を付けてくれ。改めて、誕生日おめでとう」と微笑んだ。楓もニコニコと笑みを浮かべる。

「ありがとう、祐くん!」
「ああ」
「ちょ、ちょっと待った!」

 突然、双葉が祐介か楓のどちらかに待ったをかけた。二人とも「ん?」と首を傾げる。双葉はむう、と頬を膨らませて叫んだ。

「おイナリだけずるいぞ! わたしも楓のこと祝う!」

 祐介を押し退け、双葉は入口に立つ楓に思いっ切り抱きついた。俺のときよりもぎゅうぎゅうに抱き締めている気がするが、楓は平気だろうか。

「楓、ハピバ!」
「双葉……ありがとう! すっごく嬉しい!」

 平気だった。寧ろ幸せそうだ。

「ふふ。本当に楓ちゃんと双葉ちゃんは仲良しだね」
「そうね、見ていて微笑ましいわ」

 春と真がカウンター席から母と姉のような会話を繰り広げる。どうやらもう着席の時間らしい。俺は惣治郎さんのお手伝いだから座れないが。しかし二人の奥のカウンター席から、かなり如何わしい発言が耳に入った。

「いいよなあ、女子は。あんな風に楓と熱くハグできんだもんなあ」
「やっぱり何も成長してねえ!」

 竜司は竜司だった。モルガナの言いたいことも非常によく分かる。
 いや、それよりも、俺の存在が忘れられているような気がしなくもないのだが、まあ、それほど重要でもないから、まあ、まあ、いいだろう。今は楓の喜ぶ姿を、ひたすら目に焼き付けようではないか。

  



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