やはり日常も不可欠で


 惣治郎さんのルブラン特製カレーは厖大な力を持っていた。先刻の緊張を一気に解してくれる、温かな力を持っていた。何と、俺たちは一口食べただけで、全てを幸せに染められてしまったのだ。先刻の爆弾発言騒動など記憶の彼方へと飛んでいってしまう程に。ルブラン特製カレーには愛情がたっぷりと注ぎ込まれていた。
 双葉は味についてもそうだろうが、カレーに込められた自分への気持ちを感じ取って、嬉しそうに宣言した。

「やっぱりそうじろうのカレーが世界一だ!」

 きっと双葉にとっては何の気なく発した言葉だったのだろう、またパクパクと、普段の双葉の食事ペースの三倍速で勢いよく食べ始めた。惣治郎さんはというと、やはり愛娘からそんな言葉を言われて感銘を受けるなという方が無理があるだろう、余りの感動に目を潤ませていた。中々拝むことのできない彼の涙に俺は思わず涙を誘われそうになった。惣治郎さんは濡れた目を腕で擦ってから、何もかもを込めた笑みで双葉に言った。

「双葉……ありがとな。父親として、一番嬉しい言葉を貰っちまった。ありがとうな」

 やはり俺まで泣いてしまいそうだ。双葉以外の女性陣は二人の愛に共感したのか、既に涙をほろほろと流している。双葉は惣治郎さんの言葉を聞き、俺たちの表情を見て、微笑みながら頷いた。

「うん、カレーの世界一はそうじろうだし、わたしの世界一は怪盗団だ、うん。みんな……あっああああありがとう!」
「……ぷっ、双葉、そこ、緊張するとこかよ」

 竜司が相変わらずの悪戯っぽい表情で双葉をからかった。「むっ! 仕返しなんて大人げないぞ、竜司!」と双葉が竜司に指差して指摘する。

「そうよ、竜司。折角の感動シーンなんだから、茶化さないでよ」

 真がハンカチで涙を拭きながら相変わらずの調子で竜司を咎めた。二人の見事な連携にタジタジの様子である竜司は「わ、悪かったよ……」と罰が悪そうに呟いた。

「ふふ。真ちゃんはすっかり面倒見の良いお姉ちゃんだね」

 春は淑やかに微笑んで真を褒める。その整った顔には、もう涙の跡は残っていなかった。真は「そう? まあ、大学生からしたら高校生の皆は可愛く見えるのかもね」と至って冷静に答えを導き出す。

「そうか。俺たちももう高校三年生なのか……進路を真剣に考えないといけないな」

 祐介は自分たちがまた一つ変化したことに気付いて、これからの未来に焦点を当て始めた。そんな彼に楓は「といっても祐くんは『絵を描く』の一点なんじゃない? 私はそれだけに専念するのがいいと思うなあ」と、的を射た助言を放つ。

「確かにな。俺の人生は絵でできているようなものだから、どんな道を歩むにしろ、きっと俺は絵を描く筈だ」

 祐介は少し先の未来に期待を抱いているようだった。杏は「祐介、あんた良いこと言うじゃん」と満足そうに祐介を褒めてニッコリと笑った。それから瞬時に真剣な表情に切り替えて言った。

「祐介の言う通り、私たちはきっと変わっていくんだと思う。だけど変わらないものだって絶対にある。それを皆には忘れないでいてほしいなー、なんちゃって!」

 恥ずかしさを隠すように「ささっ、早くカレー食べちゃお!」と明るく振る舞う杏。やはり彼女は将来、大女優になるかもしれない――し、ならないかもしれない。どちらにせよ、彼女の言葉には何か響くものがあるのだ。モルガナは「やっぱりワガハイの目に狂いはなかったな。アン殿は強いし、優しいし、明るいし……ワガハイの心はアン殿にしっかり盗まれちまった」といつものことながら軽く愛の告白紛いの台詞を、杏に聞こえないように小さい声で呟いた。俺は応援するつもりでモルガナの頭を優しく撫でてやった。「気持ちいいぜ……」と気分の良さそうな声音が耳を伝う。

「あ、暁、わたしにも触らせて、触らせて!」

 しかし双葉がおねだりしてきたと思えば、モルガナはビクリと反応して俺に「暁、やめてくれよ。頼む!」と懇願してきた。
――全ては自分次第、か。
 こうして俺たちの他愛のない平凡な時間はゆっくりと、しかし確実に過ぎていくのだった。





 ルブランの入口付近に掛けられた古時計を見遣ると、既に夕刻を指していた。楓の誕生日会は午前中に始まったというに、もう午後、更には夕方らしい。つくづく楽しいときは時間の経過が早く感じてしまう。まあ、それだけ皆と共に過ごすのが幸せに満ち満ちているという訳だが。

「さて、そろそろ本番に入りましょうか」

 真が話に区切りをつけて、皆に促した。その表情はいつもより幼く、ワクワクしているように見える。楓も「なになに? 何が始まるの?」と興奮が止まらない様子で周囲に目を配らせたが、俺たちは何も答えず、代わりに席を立った。楓は俺たちの行動をじっと見つめている。竜司は立ち上がった拍子に、グッと拳に力を入れて掛け声をした。

「よっし、皆、おっ始めんぞ!」
「おー! 楓、楽しみにしててね!」

 杏がお茶目にも楓にウィンクした。やはり杏には無邪気が似合う。

「あ、楓、双葉を通してあげてくれない? ごめんね」
「ううん、平気だよ! はい、双葉どうぞ」
「楓、さんくす!」

 杏に続いて楓が席を立ち、双葉に出口を用意した。双葉はニコニコと笑顔で楓にグッドサインを送った。楓も双葉にグッドサインを送り返した。
 俺たちは楓が再着席したのを確認してから、各々の目的地に向かった(とはいっても店内に限る)。そう、誕生日プレゼントを楓に贈るためだ。俺が何を彼女に贈るのかは、また後ほど報告する。

  



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