まるで春の陽射しのような


 皆が席に戻ると、惣治郎さんは冷蔵庫から慎重に俺特製のバースデーケーキを取り出して、カウンターにそっと置いた。それを一目見て、楓が幼子のように純粋に瞳を輝かせる。

「おお……凄い! 誕生日ケーキだ! 凄い!」

 俺は彼女の嬉しそうな表情を記憶に留められただけで作った甲斐があったな、と染み染み思った。一方、祐介は己がデザインのケーキを絶賛されてとても上機嫌にふっと笑った。

「そうだろう? 俺がデザインしたんだ。この繊細な蝶々模様が特に見所だな」
「へえ! 祐くん、凄いね! ねえ、もっと近くで見ていい?」

 楓のお願いに、春は「あ、それならこっちのテーブルに持ってくるね」と優しく笑った。

「いいの?」
「勿論。だって、この誕生日ケーキは暁くんが楓ちゃんのために丹精込めて作ったものだもの」
「え、このケーキ、暁くんの手作りなの?!」

 楓は春の発言に、これでもかという程にびっくりした顔で聞き返した。

「ふふ、そうだよ。凄いよね。あ、祐介くんも凄いよ?」
「ふっ、褒めても何も出んぞ」
「いや、今のは祐介じゃなくて暁だから」
「何だと?」

 祐介は相変わらずボケて、杏のツッコミを食らった。「ぷっ、おイナリどんまい!」と双葉のくすくすと笑う声が聞こえる。

「これ、暁くんの手作りなんだ……凄い……」

 楓は団欒にも構わず、ただただケーキが俺の手作りだと知って驚愕しているようだった。春は彼女の様子を見て「ふふっ」と微笑むと、何かを思い付いたように「あ、そうだ」と呟いて此方に目を向けた。

「暁くん、私だけじゃ不安だから、一緒に運んでくれない?」
「ああ」
「ありがとう!」

 俺は席を立ち、自分の手で作り上げたホールケーキを春と一緒にテーブルまで運んだ。
 楓は目の前に置かれた八号サイズの誕生日ケーキに目を奪われていた。生クリームで真っ白に覆われたスポンジの上にはコーティングフルーツがふんだんに盛られ、中央には『楓さん誕生日おめでとう』とチョコペンで書かれた焼菓子が添えられている。祐介の言う側面のレースのような模様は精緻かつ繊細に描かれていた。
 目をキラキラ輝かせて「わあ……」と息を呑む楓。俺の予想以上に喜んでくれているようだ。俺は嬉しくて思わず「喜んでもらえた?」と楓に話しかけてしまった。いや、別に話しかけることに抵抗がある訳ではない。ただ、今、楓に話しかけてしまえば、その純粋に煌めく瞳が俺を映すことは必至なのだ。事実、彼女は此方を振り向いて「うん、もちろん! こんなにも綺麗なケーキを作ってくれるなんて、そんな、嬉しくない訳ないよ。暁くん、祐くん、本当にありがとう!」と、それはそれは可愛らしい笑顔で祐介と俺を見てくるのだから、俺だって先程の祐介のように意識せず「可愛い」と心の声を漏らしてしまいそうになった。だが、何とか堪えて「ああ」と極めて自然に、端的に返す。祐介を見遣ると、最早ストッパーが機能していないのか「楓はやはり可愛いな」と口にしていた。楓は少し顔を赤らめると、呟くように小さい声で言った。

「えへへ。ちょっと照れるなあ。でもありがとう、嬉しい」

 照れ笑いを浮かべる楓は、やはり祐介の言う通り、可愛かった。しかしこの返事からして、多分、彼女は祐介の発言に他意がないことを分かっているはずだ。全く、幼いように見えて人の真意に気付くのが早い。それが彼女の長所でもあるのだが。

「あ、あのー……そろそろ食べね?」

 二人の間に入りずらいのだろう、竜司が珍しく恐縮そうに提案した。しかし切り込み隊長の役目は全うしてくれたようだ。双葉が若干動揺しつつも、うんうんと頷く。

「だ、だな! そそそうじろう、ケーキセット貸して! あ、あと皿十枚とフォーク十本な!」
「はいはい、分かったよ」
「あ、私もお手伝いします、おじ様」
「ああ、ありがとうな、春ちゃん。助かるよ。ほら、暁も手伝え」

 どうやら俺も配膳係に動員されるらしい。まあ、これが喫茶店に居候した身の宿命といったものか。

「いいだろう」

 何となく上から目線で了承したが、惣治郎さんは「何でお前が俺より上なんだよ。同じだろうが。ほら、さっさと手伝え」と、さり気なく俺を認めてくれた。モルガナが「よかったな。ゴシュジンはオマエを認めてくれてるんだ、これまでも、これからも」と穏やかに言ってくれたから、俺はいつもより柔らかく「ああ」と返した。 俺はまず各人に皿とフォークを配った。蝋燭をケーキに挿すのは女性陣が担当してくれた。何処に蝋燭を立てるかでワイワイと騒ぐ所がまた、彼女たちらしい。
 全ての蝋燭を挿し終わると、杏は満足そうに「うん」と頷いた。

「いい感じ!」
「だな! それじゃあ、そうじろう、あとは頼んだ!」

 双葉は惣治郎さんに点火するよう、無邪気にお願いした。「あいよ、頼まれた――なんてな」と惣治郎さんが決めたように返事をして、マッチを箱から取り出す。やはり惣治郎さんは双葉に甘い――いい意味で。彼はマッチに火を点け、それを次々と蝋燭に移していった。ぼうぼうと灯る炎は大きな蝋燭に一つ、小さな蝋燭に七つある。
 楓ももう十七歳なのか。本当に、人間の一生など自然からしてみれば砂一握りにもならない程度のものなのだろう。なんて、少し壮大なところまで思索の糸が辿り着いてしまったとき、双葉が俺に「暁、電気消して」と頼んできた。俺は静かに承諾し、席を立つ。目指すはルブランの入口だ。
 壁に付けられた電源スイッチを切ると、店内はすっかり闇に包まれた。もう夕日は沈んでしまったらしい。仄かな月明かりと十七つの灯火がルブランを照らす。俺はそれらの光に導かれるように自分の席へと戻った。

  



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