お庭の花よ、永遠なれ

第一章 祝福の春風吹いて

ディミトリくんはこちらに駆け寄ってきてくれる。やはり私は確かに彼に呼ばれていたようだ。安堵が胸の内を占める中、脳の片隅に放置していた疑問がいよいよ口を衝いて出てきた。

「何でここにいるの? 親睦会は?」

 そう、ディミトリくんたち新入生は今ごろ大広間で士官学校生同士の交流を図っているはずなのだ。というのに彼がここにいる理由が分からず、私は首を傾げた(つい自然体で尋ねてしまったが、もう引率の務めは終わっているし、わざわざ教師のように振る舞う必要はないだろう。だからこのまま通すことにする)。ついでに私は広間を覗こうと彼の背後に視線を移した。けれども扉が閉ざされており、結局会場の様子を知ることはできなかった。
 再びディミトリくんの凛々しい御顔に目を向ければ、彼は僅かに躊躇うような素振りを見せたものの、結局は意を決したように真っ直ぐに、紺碧の瞳をこちらに向けてくれた。

「親睦会の途中だったのですが」
「うん?」
「ヴィオラさんがここでずっと俯いてらっしゃるので、どうかしたのかと心配になってしまって」
「――え、あ」

 ディミトリくんはすっかり眉をしなびさせて、その目に憂いの色を映していた。我が身を案じてくれていることがありありと伝わってくる。しかし今の私はそこに言及する余裕などなく、ただ只管ひたすらに、彼に観察されていたことへの驚きと恥じらいに苛まれるのみだった。

「……申し訳ありません。じっと見るなんて、ご婦人に対して大変な無礼を」

 ディミトリくんが慇懃いんぎんに頭を下げるのを見て、彼の申し訳なさそうな声を聞いて、私は漸くハッとした。

「あ、いやいやディミトリくんが謝ることないよ!」
「ですが……」彼は渋りながら顔を上げる。
「本当に、謝らないで。私こそごめんね。変なところ見せちゃって、気も遣わせちゃって」
「……いえ。それこそ、私が勝手にしたことですから」

 ディミトリくんはそう言って、遠慮がちな微笑みを浮かべた。

「…………」

 それから私は脈絡もなく思い出した。彼がランベールくんの実子であることを。
 ディミトリくんが点呼の時にも見せた微笑み。それに彼の月影のように静かな優しさ。これらは、思えば彼の実父であるランベールくんとは全く毛色の異なるものだったのだ。
 ファーガスの前国王で、今は亡き人であるランベールくんも、二十数年前には士官学校に在籍していた。当時の彼は相当やんちゃだったようで、彼の担任を務めていたユルゲン(十年ほど前に亡くなった)が「またあやつらが講義を抜け出しおったんじゃ。全く、ランベールには一国を背負って立つという自覚がないのか」と度々愚痴をこぼしていたのを思い出す。
 因みに「あやつら」とは、ランベールくんと彼の親友兼悪友・ロドリグくん(フェリクスくんの父親。そういえばあの二人も親子なのか……全然似ていないから意識になかった)のことである。二人は共に講義を抜け出しては、訓練場で勝手に稽古したり麓の街に繰り出したりしていたようだ。私は二人とは顔と名前を知っている程度の間柄だったが(温室の管理をしていれば大体の士官学校生と顔見知りにはなる。そして大体記憶がごちゃ混ぜになる)、二人とも豪傑感溢れる快活な子だったことをよく覚えている。
 そんなランベールくんの子にしては、ディミトリくんはやや大人し過ぎるような気がした。似ているとすれば、黄金色の髪と蒼穹のような瞳。まあ性格は母譲りだったとか、教育係の努力の賜物だとか、静かなのが彼の元来の性格なのだとか、そういう類なら何の問題もない。けれどももし、ちょっと前――数年前だった気がする――に起きたダスカーの悲劇のせいで彼がこうなっているのなら、それは大問題だった。

「……ヴィオラさん?」
「あ、ごめん。ただ……その、ディミトリくんは優しいんだなって思って」

 かといって父親の話をすれば不審がられるし、ダスカーの悲劇に触れるのは無神経にも程があるため、私は無難な言葉で誤魔化す。いや、若干の誤魔化せていない感は否めなかったが、ディミトリくんが「そう……でしょうか?」と流されてくれているので、良しとしよう。

「うん。ディミトリくんは何となくお月様みたいな感じがする」
「それは……初めて言われました」

 目を見開くディミトリくん。何だかそれが可愛くて、私は「ふふ、お日様がよかった?」と茶化した。
 刹那、まるでさやかな月に差す叢雲むらくものように、彼の瞳にふっとかげりが差す。

「……いえ、私も月の方がしょうに合っている気がします」
「…………」

 ざわざわと木々が揺れた。さらさらと金糸も揺れた。ただ一つ、彼の碧眼だけは無音のまま、深海のように暗く淀んでいる。
 ああ、これはやはり、ダスカーの悲劇がディミトリくんの尾を引いているのではなかろうか。かの事件で唯一生き残ったという彼の心には、未だ癒えることのない化膿した傷が、くっきりと残っているのではなかろうか。私の古傷なんかよりもっと酷い生傷が。

「……そっか。それなら一つ、物知りな先輩からアドバイス!」

 ああそうだ、私が人様に関わるとろくなことが起きないというのは分かっている。ディミトリくんに関わり過ぎない方が彼のためになることも、私には分かっている。だけれど見過ごせなかった。見過ごせる訳がなかった。何故って彼が、寂しそうな目をしていたから。

『共鳴』

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