End up in love.


 
 賭郎本部の喫煙室は喫煙率の割に狭いと思う。最近の嫌煙傾向が強まるにつれ喫煙者の肩身もどんどん狭くなるし今は物理的にも狭くて非常にイライラしている。思わず私を隅に追いやるデカイ影に肘を入れた。
 
「何すんじゃ、ワレ」
「邪魔、もう少しそっち行ってよ」
「相変わらず喧しい女じゃのう」
 
 そう答えた声の主は拾陸號立会人の門倉だ。時代遅れのツッパリトサカに長ランみたいなスーツ。立会人の服装は個人の自由だけれど私は上司の夜行掃除人みたいな動きやすくてタイトめなスーツの方が好みだし、自分自身そうしていた。
 
「第一、ワシの方が先に入っとったけん。おどれ生意気に女が文句言うな」
「女だ男だとかいちいち時代錯誤なこと言わないでもらえる? アンタのオツムが心配ねぇ。まったくアップデートされないからこっちが困るわよ」
「ほう……ワシと喧嘩するんか? あ?」
「あーヤダヤダ。正当な抗議を喧嘩売られたとしか思えない可愛そうなヤツね」
 
 私より背の高い男を思いっきり睨みつけながら、だいぶ短くなった煙草を灰皿に押し付けた。こっちがしたのは抗議だけど、喧嘩と言うなら売ってやろうじゃないの。そう思って指先をポキリと鳴らした瞬間、よく聞く低い声がして私は扉の方を見た。
 
「おい、みょうじ。仕事だ」
「夜行掃除人! すみません、今行きます」
「……命拾いしたのぅ、みょうじ」
「こっちの台詞じゃボケ」
 
 そう言い捨てて喫煙所を出る。夜行掃除人はツカツカと大股で歩いて行ってしまったから慌ててその背中を追った。追いつき目的地に向かう道中、手短にターゲットの情報を聞かされる。ここ数日しぶとく取り立てから逃げていた男らしく、まるでドブネズミのように逃げ足が早いようで夜行掃除人は少々苛ついているように見えた。
 
「みょうじ」
「何でしょう?」
 
 駐車場で車にエンジンを掛けた時、夜行掃除人は不機嫌さを加速させながら呟いた。
 
「夫婦漫才は程々にしろ」
「夫婦!? 誰と誰がです!?」
「お前と門倉に決まってるだろう」
 
 地下から地上に出ながら、私は門倉はどつきたい相手であって腐ってもそんな関係でないしまったくもって無理! ということをありったけの熱意で伝えたが、夜行掃除人は「フン」と鼻を鳴らすだけでそれ以上何も言ってはくれなかった。
 そうこうしているうちに目的地付近に到着し、先に来ていた他の黒服たちと合流する。
 
「ゴミは」
「地下です。囮の荷物に発信機を仕掛けていたので位置は割れています」
「本物のドブネズミだな……みょうじ」
「任せて下さい」
 
 ぐいーと伸びをして、インカムを身に着ける。それからゆっくりとジョギングするように走り出す。100メートルくらい離れたところでインカムから声がした。
 
『次、右の地下通路だ。挟撃で一気に叩く』
「了解」
 
 指示された地下通路に入ると、ひゅと冷たい空気が体を覆った。足音を殺すように最低限の着地で跳ねる。不意に影が動いた。現れた物体に思いっきり蹴りを入れる。まるで人形のように飛んでいったそれに反対側から来ていた夜行掃除人の拳がめり込んだ。多分、もう駄目だろうな。モロに入ってるから間違いなく助からない。
 
「アンタが逃げたからだよ」
 
 腹部が思いっきり抉れたそれは、後ろから来ていた黒服たちが回収した。私と夜行掃除人はインカムを外しながら地下の出口を目指す。アップにもならなくて、ちょっと退屈かも。夜行掃除人もこの程度の人間に逃げられていたことにお怒りのご様子。
 
「来た意味あります〜? これ」
「命令された以上は抹殺する。まぁ、拍子抜けではあったな」
「一生下水とかにいればいいのに」
「それを追いかけるのはお前の役目だが」
「夜行掃除人も下水入りましょうよ」
「断る」
 
 下水、一回入るとしばらく臭いが取れない感じがして好きじゃないんだよね。
 私たちは車まで戻ると一言断ってから一服。メンソールと煙草葉の燃えた香りが心地よい。
 
「禁煙するんじゃなかったのか?」
「止めたら飴ちゃんとか止まらなくなって体重増えました。無理です」
「動けば大して増えんだろう」
「細かいのが意外と積み重なるんですよ」
 
 行きと違ってくだらない話をしているうちに賭郎本部まで戻ってきた。夜行掃除人はこのままお屋形様のところに行くと告げて、掃除人室には戻らずに行ってしまった。私は自販機で飲み物を買いながら部署に戻って先ほどのお片付けの報告をする。あーまた書類増えてるなぁ、どうしよう。
 黙々と事務仕事を続けると気がつけば時計の針は18時を回っていて、今日はこれ以上用事も入らないことにして切り上げた。もし緊急で何かあれば連絡が来るし、夜行掃除人が残っているから大丈夫だろう。シャツは黒いがホワイト企業を目指しているのでね、私は。無駄な残業はしないのよ。
 
「お疲れ様でしたー」
 
 一言声をかけて部屋を出た。帰りに一本吸おうと近くの喫煙室に入れば、そこには数時間前にやりあった門倉が煙草を吸っていた。わざと挨拶もせず距離を取って煙草を吸おうとしたら、ライターが無いことに気が付く。デスクに置いてきたのかもしれない。取りに行けば済むのだがいかんせんそれが面倒で仕方ない。
 
「ねぇ」
 
 私が声をかけると、門倉は視線だけでこちらを見た。先の白いままの煙草を振ってみせて火がないことを伝えたけど、門倉は煙を吐き出すだけで何も答えない。
 
「火、貸して」
「嫌じゃ」
 
 食い気味に断られて、血管がピキピキと切れそうになる。こいつ私が頼んでるのに火の一つも貸してくれないのか? と思って私は門倉に詰め寄った。
 
「ライターあるでしょ、貸して」
「……ない」
「ないって、ライター?」
「オイル。さっき切れた。俺の分で終いじゃ」
 
 いやいや、ライターのオイル切れるってよっぽどのことよと思ったけど超がつくほどのヘビースモーカーの門倉ならやりかねない。というか、こいつ安いオイルライターじゃなくジッポライター持ってなかったっけ?
 
「あんたジッポなかったっけ?」
「この前の立ち会いで壊れたんよ」
「あぁ……それはご愁傷さま」
 
 同じ喫煙者として、愛用のジッポライターが壊れることは同情してしまう。こだわると結構高いし、修理だって限度がある。この話しぶりはもう直せないくらい大破したってことだろう。
 
「じゃあさ、煙草貸して」
「は? 吸うんか? これ」
「んなわけないでしょ。火つけるだけよ」
 
 もう一度煙草を振って見せた。私だって労働疲れとヤニ不足で死にそうだから早いところ補給したくて仕方ないのだ。
 門倉は自分が吸っている煙草と私の煙草をしばし見比べて、それから口に咥えた。私はそれを肯定の意で捉えて、同じように咥えて少し背伸びをする。こいつ私よりはデカイから、多少背伸びするか屈んでもらわないと近づけない。
 
「ありがと」
「……おう」
 
 至福の一口。私のメンソールの煙草と門倉の少し重い煙草が混ざっていつもより深みのある味がした。
 隣のちらりと門倉を見れば、珍しくぎりぎりまで吸うものだからちょっとおかしくなって笑ってしまう。
 
「なんじゃ」
「そこまで吸うの、珍しいなって」
「意外に人のこと見とるんか」
「門倉とはここでよく会うし、吸い方って癖出るじゃん」
「癖、のう……」
 
 門倉は灰皿に煙草を押し付けて、それからもう一本取り出す。火無いって言ってんのに何やってんだろうコイツ、と思いながら私はそれを見ていた。
 今度は門倉が無言で煙草を振った。なんだ、仕返しのつもりか。私はそう考えて煙草を咥えて門倉の方を向いた。割と疲れてたからもう一度背伸びする気にはならなくて、咥え煙草のまま門倉を見上げる。
 
「ほら」
 
 門倉も同じようにして、少し屈んで顔を近づけてくる。そのままじっとこちらを見つめてくるものだから、私は目をそらせないまま「意外とコイツまつ毛長いな」とぼんやり考えていた。
 火が付いたのか、門倉は無言で離れて壁にもたれかかる。それから、一口を長めに吸い込んで、大げさなくらいに深く吐き出した。
 
「メンソール、まずいのぅ」
「味混ざるからね」
 
 私はと言うと、吸い終わった煙草を灰皿に押し付けてさてそろそろ帰ろうかとバッグを持ち上げたところだった。喫煙室を出ようとした私を門倉は片手で制して「もう少しじゃ。付き合え」とだけ言った。別に帰ってもすることはないから、私も門倉の隣で壁にもたれかかる。
 
「……のう」
「なに?」
「いつもするんか?」
「何が?」
「火ィ、無いとき」
「初めてだけど。普段はライター忘れないし」
「ほうか」
 
 門倉はまた、ため息のように深く息を吐いた。あの白煙が換気扇に吸い込まれていくのは、何だかちょっと勿体ないような気がした。
 
「あまり、しんさんなよ」
「だからライター忘れないからしないよ」
「どうしても」
「?」
「どうしても火、無い時は仕方ないからワシが貸しちゃるけん」
「うん、その時は門倉からライター借りるわ。いつもいるし」
 
 今度は完全にため息を吐いて、門倉はぐりぐりと煙草の火を消した。それから私の方を見て「お前、鈍いって言われることないんか?」と呟いた。どちらかと言うと勘は冴えてるし鈍さとは真逆の方にいると思う。言われないけど、と否定したら随分困った顔をされたけど。
 
「文句あるなら早めに言ってもらえる? 流石にそろそろ帰りたくなってきたし」
「車か?」
「電車だけど」
「……送る」
 
 そう言うと門倉は喫煙室の扉に手をかけた。私はラッキーと思いながら、いつもとは何だか違う雰囲気の門倉の背中をぼんやり追いかけていた。そう言えばコイツの車乗るの初めてだな。普段電車通勤だし、車は本部のを運転するぐらいだし。
 荷物を取ってくるから、と言う門倉の後を追って立会人の部署に行くのは久しぶりだった。少し冷えた廊下で待っているとクラッチバッグ片手に戻ってくる。いよいよ昭和のヤンキーだな、と思ったけど口にはしなかった。
 そういえば、門倉と二人のときは言い争いにならない気がする。他の誰かがいるときはすぐに売り言葉に買い言葉ってなるけど、そうじゃない時はこいつは意外と大人しい。
 
「待たせた」
「全然」
 
 駐車場に停まっていた門倉の車は、蛍光灯の下でもよく光を反射するくらいピカピカだった。なんだっけこれ、確か……レンジローバー。
 
「乗らんのか?」
「え? あ、どっち乗ればいい?」
「……前」
 
 しかも左ハンドル。私はちょっとおっかなびっくりに助手席に乗った。……あ、なんだろう。
 
「門倉の匂いがする」
「そりゃワシの車だから当たり前じゃろ」
「なんかもっと男臭いと思ってた」
「お前はワシと何だと思うとるんじゃ」
「うーん、門倉」
「答えになっとらん。家、どこらへんじゃ?」
「西側。道路グルっと回ってもらって」
 
 自宅までの道のりを案内しながら、ついでに最近あったことをお互いに話していたら近くのコンビニまであっという間に着いてしまった。ここまで来ればマンションは目と鼻の先だし夕飯を買うから、とあまり広くない駐車場に停めてもらう。
 
「門倉も寄る?」
「あぁ、ほうじゃね」
 
 門倉はクラッチバッグから黒い革の財布を取り出し、車から降りた。私もそれに倣うようにして、コンビニに向かう彼の後を着いていく。
 コンビニに入ると、店員が挨拶しながら二度見してきた。そりゃそうだ。今どきこんな見た目の奴はどこにもいない。私はかごを手にとってお酒やらお弁当やらお菓子やらをホイホイとかごの中に入れていく。
 
「門倉は? 送ってくれたしお礼。好きなの買うよ」
「……すまんの」
 
 門倉はそう言ってブラックの缶コーヒーだけかごの中に入れた。私はレジで煙草とライターを買い足して、先に外に出ていた門倉の元に向かった。
 
「ライター買ったけど、吸う?」
「ええよ」
 
 私は自分の煙草に火を付けてからライターを手渡す。暗い空の向こうに白煙がぐんぐん伸びて、やがて消えた。隣の門倉も同じようにゆっくりと息を吐いて、緩やかな手付きでトントンと灰を落とす。
 
「そういえばさ。なんで私には広島弁なの?」
 
 ずっと疑問に思っていたことをこの際だからと問いかける。私を見た門倉は少し驚いたような、困ったような顔をしていた。夜のコンビニの灯りの下、しばし空白の時間が続く。私はそんな考え込むようなことじゃないと思っていたから何も答えない門倉を少しだけ不思議に思った。
 
「なんで?」
「……なんとなくじゃけん」
「なにそれ、変なの」
 
 答えになってないよ、と付け足して笑う。変な門倉。いつも私に突っかかってきて、それでもこういう時は大人しくて、何を考えてるかよくわからない奴。
 私はギリギリまで煙を吸い込んで、それからぐりぐりと火を消して灰皿に落とした。門倉もそれに倣うようにまだ長い煙草を消してしまう。
 
「もういいの?」
「あぁ」
 
 それじゃあ帰ろうと、コンビニの袋からさっき買ったコーヒーの缶を渡す。それを受け取って、また何も言わないまま私のことを見るから思わず「さっきから何なの?」と聞いてしまった。
 門倉の短い眉毛が八の字になって眉間に深く皺を刻む。
 
「楽なんじゃ、お前といると」
 
 紡がれた言葉とは真逆の苦しそうな顔で言うものだから、私の方がなんだかいたたまれない気持ちになってしまう。あまりに真剣な眼差しでじっとこちらを見つめる門倉に、今度は私が何も言えなくなった。
 
「私も楽だよ。喫煙者同士だし」
「そういう意味じゃないけぇ」
 
 必死に返したそれは、強い語気の言葉でかき消された。段々気まずい気持ちになってきて視線を落とす。オレンジの灯りの下で門倉のロングスーツが影を作った。
 
「……帰ろうや」
「……うん」
 
 私も、門倉もそれ以上何も言えなかった。
 私は車に乗り込む門倉を見つめ、それから踵を返してマンションへと歩き出す。しばらく歩いてエントランスに入り振り向いたけど、当たり前だけど門倉の姿は無かった。
 さっきの門倉の表情を思い出して少しずつ息苦しくなってくる。エレベーターが部屋のある階について自宅のドアを開けても、その息苦しさは止まらない。扉に背をつけたまま、私はずるずるとその場にしゃがみ込んだ。これまでの色々なこと、数時間前の喫煙室でのやり取りが一気に頭の中で再生される。
 
「なんなの、これ」
 
 それはきっと、認めたくないほど忘れていた一文字。いつからか避けて通ってきたそれが大きくなって私を飲み込んでしまう。
 堪らずぎゅう、と抱いた己の服からあの重たい煙と門倉の匂いがする。気付きたくなかった、気付かされてしまった。あぁ、私恋をしている。知らないうちからずっと。
 
「……なんなの」
 
 胸の中が押し潰されそうになってそのまま動けなかった。溺れるような苦しさの中、私は自分の気持ちをどこかの迷宮に置いてきてしまったような感情のままその残り香をまた吸い込んだ。
 
 
 ***
 
 
「馬鹿だよ、門倉は」
 
 少しだけ開けた窓の隙間から入る風がぱたぱたとカーテンをはためかせる。外は眩しいくらいに明るくて、波のように揺れた陽光が時折差し込んだ。
 
「馬鹿だよ、本当」
 
 真っ白な部屋。私はその中央に眠る人をただ見つめることしかできない。
 痩けて蒼白くなった肌と、濡羽色の髪の毛のコントラストが不気味なくらいに綺麗に見えた。
 
「ねぇ、」
 
 早く目を覚ましなよ。
 煙草、買ってきてあげるから。
 
 私の祈りは届かない。
 鼻の奥がつんとして私は部屋を出る。そのまま外まで早足で歩いて、木陰のベンチに腰掛けて内ポケットから取り出した煙草に火を付けた。
 あの日を境に私を変えてしまったくせに、一人きりにするなんて許せない。渡そうと思っていたスターリングシルバーのジッポライターは少し擦り傷を作って私の手の中に眠っている。
 思い切り吸い込んだ煙は熱く、そして苦かった。
 
 あんなに一緒にいたなら、もっと早く気づかせてよ。いつかどうせ、恋に落ちてしまうのだから。
 
 
 
 
「……なまえ」
 
 泣かせて、すまん。今迎えに行くから。今――