君に愛と安らぎを


当たり前のように社会人パロ。同棲してます

 
  
 
「ねぇ、寿」
 
 呼びかければ大きな手は雑誌をめくるのを止めた。
 少々面倒くさそうな表情で私を見て「んだよ」と呟く。折角のリラックスタイムを邪魔されたからかその口調は少々荒いけれど、決して怒っているわけではない。それを知っているから滑り込むように隣に腰掛け、顔を覗き込んだ。
 
「明日、何の日かわかるよね?」
「あー」
「何食べたい?」
 
 付き合って3年。高校の頃から知っているから出会ってもう10年以上になる。明日はそんな彼の誕生日だ。
 何年経ってもこの日は待ち遠しくて仕方なかったし、プレゼントだって用意している。残念なことに平日だからどこにも遊びにはいけないけど、せめて美味しい料理を振る舞いたくて私は半休を取ったのだ。
 リクエストは彼の好物だろうか? 思い切ってステーキでも焼いちゃう? 返事を待っていると、目の前の寿は少し眉を寄せながら口を開く。
 
「悪い、俺明日の夜いねぇわ」
「……え?」
 
 予想していなかった答えに思考が停止した。
 何も言えないままの私と同じように無言の寿の間を裂くように携帯が鳴った。響く着信音は私のものではない。寿はテーブルの上の携帯を取ると部屋から出ていってしまう。ドアが閉まる音の向こうで少し優しい声色が聞こえた。
 せめてもっと早めに教えてもらえれば、1日ずらしてお祝いできたのに。そうは言っても今更どうにもならないから、溜息をついて置きっぱなしの雑誌をめくる。バイクに詳しくない私にはさっぱりわからなかったけれど、後ろに乗って風を切ることは嫌いじゃなかった。ただ、もうしばらくしていない。
 
「プレゼント、どうしよ」
 
 思わずそう呟くと、遠くの方で寿が家を出る音が聞こえた。立ち上がってベランダに出れば、寿は既に愛車に跨っていてあっという間に走り去ってしまう。
 脳裏に最悪な想像が浮かんだ。それをかき消すように頭を振って部屋に戻る。プレゼントは今晩か、明日の夜帰ってきてから渡せばいいだけの話だし、取った半休は羽を伸ばすのに使えばいい。なるべくポジティブな想像をしてキッチンに行ってコーヒーを淹れた。
 興味のないバラエティ番組を流し見ながら、寿の帰りを待つ。時刻はもう20時を過ぎているから、さすがに日付が変わる前には帰ってくるだろう。明日も仕事だし。
 きちんとしたお祝いができないのなら、せめて一番初めにおめでとうを言いたかった。
 それから針が一周、二週としても寿は戻って来なかった。耐えきれずお風呂に入って寝る準備をしても、戻って来なかった。
 日付が変わった12時半、眠気に耐えかねて1人でベッドに潜り込む。ひんやりとした布団は余計に寂しさを膨らませる。私が微睡みに落ちる前に彼に会うことはできなかった。
 
 ***
 
 最悪な目覚めだった。
 いつの間にか帰ってきていた寿は私が起きる頃にはもう出社準備を済ませていて、私は起き抜けの顔のままで「お誕生日おめでとう」と告げた。小さく「おう」とだけ返事をしてそれから7時過ぎには家を出ていってしまう。
 自分の支度をしながら今までの自分の行動を振り返る。もしかしていつの間にか彼を怒らせてしまっていたのか、とか他に好きな人ができてしまったのか、とかおおよそ恋人の誕生日に考えることではないことばかりだ。
 そうこうしているうちに自分も家を出る時間になって、鞄を引っ掴んで家を出た。午前中をしのげば今日は終わりだ。夢見もよくなかったせいか体は重い。午後は何もせず休むことにしよう。主役がいなければ意味もないのだから。
 
「おはようございますなまえさん……って元気ないですね。大丈夫です?」
「え? あ、そうかな。変わらないつもりだけど」
「すごい顔色悪いですよ。今日午後休でしたよね? ちゃんと休んでくださいね」
 
 自分の変化を朝イチで会社の後輩にバレるのは少しだけ恥ずかしかった。お手洗いついでにコーヒーでも買おうと立ち上がる。
 始業前のお手洗いは静かで、ぼんやりと鏡を眺めれば確かに血色が悪い。お気に入りのリップグロスで無理矢理に彩ってみたけれど、それでもあまり元気そうには見えなかった。
 
「切り替えないと」
 
 自分を奮い立たせるように息をついてお手洗いを出た。オフィスに戻る前に自販機に寄ると、隣の部署の同期が声を掛けてきて振り返る。
 
「朝から死にそうじゃん。なんかあった?」
「別に」
「なんも無いやつはそんな顔しねぇって。昼奢るから付き合えよ」
「ごめん、今日午後休みにしたから行けないや」
「珍しいな。用事でもあんの?」
「ないけど、ゆっくりしようと思って」
「そうか」
 
 缶コーヒーを買うと、彼もそれに倣うようにして同じコーヒーのボタンを押した。それから120円を渡されて思わず怪訝な顔をしてしまう。すると「とりあえずこれは奢りで」と言って去ってしまった。
 お礼を言う間もなくて、渡された小銭を眺めてとりあえずポケットにしまい込む。たかだかコーヒー1本でも申し訳なくて自分のデスクに戻ると封筒にそれを移した。
 
「どうかしたんです?」
「同期にコーヒーご馳走になっちゃって。申し訳ないからあとで返そうと思って」
「なまえさんの同期って営業部の菊池さんですよね? いいなぁ〜菊池さんって格好良いですよね」
「はいはい。始業の時間だよ」
 
 話を切り上げてパソコンへと向かう。お昼までの数時間がひどく長く感じられた。
 
 お昼休みのチャイムが鳴るのとほぼ同時に電源を落とした。
 後輩に後を任せてロッカールームに向かう。着替え終わって携帯を確認したけど、寿からはなんの連絡もなかった。もういいやと放っておくことにしてオフィスを出た。エレベーターを待っているとまた声を掛けられて、朝と同じように振り向く。
 
「本当に帰るんだ」
「嘘ついてどうするのよ。……あ、お金返すよ。悪いし」
「いやいや、120円渡してそのまま返ってくんのキツイって。受け取っといてよ」
「……いいの?」
「いいよ、そんくらい。飯行かないんだろ?」
 
 エレベーターに乗り込みながら菊池くんは言った。こみごみとしたエレベーター内で、少し声を潜めながら「菊池くんは?」と問う。営業部の人は外で昼を取る人ばかりだったけど、大抵はそのまま営業に出かけてしまう。つまりは皆早食いで、食べるのが遅い私にとってはあまり相性が良くない。どうせ彼のスケジュールもそんな感じだろうと思っていたのだが、その返事は意外にも「ちょっとなら午後は空いている」というものだった。
 
「14時にウチの近くの会社だから、かえって暇」
「お昼休みは1時間なんだから、その間も仕事しなよ」
「時間の自由を利かせられるのは営業の利点だろ?」
「そういうの、サボりって言うんだよ」
「へいへい」
 
 1階についたエレベーターからはぞろぞろと人が流れ出る。私は自然と菊池くんの背を追ってビルを出た。太陽が明るくて思わず目を細める。
 
「んで、どうする? 来るなら奢るけど」
「それは申しないからいいけど、やっぱりお昼食べられるよ。どこ行くの?」
「最近パスタの店できたらしいんだけど、男1人だと行きづらくてさ」
「いいね」
 
 お店は10分ほど歩いたところにあった。確かに女性客が多い。店内は混んでいてウェイターに道路沿いのテラス席に通された。暖かい今日は外の方が心地よくて、なんだかラッキーな気持ちになる。
 メニューを見ると、美味しそうなランチセットがあって迷わずそれにした。向かい側に座る菊池くんも決めたようで、ウェイターを呼んでオーダーする。躊躇いもなく自分の分を大盛りにする彼を見ていたら、何となく寿を思い出して少しだけ罪の意識が芽生えた。
 彼はただの同期であって、そこにはそれ以上の感情もない。それでもほんの少し痛んだ胸を抑えるように運ばれてきたアイスティーを飲む。
 他愛のない話をしていれば、思っていたよりも早く料理が来た。パスタとセットのサラダが並べばテーブルはいっぱいになってしまった。メニューの位置をずらしてスペースを広げようとしたら、同じことを考えたのか彼と手がぶつかった。
 
「ごめん」
「別に」
 
 それ以上なにも言わなかった。過剰に意識することでもないと思っていた。ただ、ふと顔を上げたその先に寿が歩いているのが見えて、その視線とかち合った。仕事の電話をしていたのか、すぐに顔を背けて何事もなかったように歩き去っていく。
 
「みょうじ?」
 
 ハッとして差し出されたカトラリーを受け取る。
 私が菊池くんに対して特別な感情を抱くことはない。同期と食事をしている。ただそれだけのこと。それなのにこの瞬間を見られてしまったことがショックて、折角の料理の味はほとんどわからないままだった。
 
「いや〜食ったな」
「そうだね」
「なんだよ、美味くなかった?」
「ううん、美味しかったよ。いいお店教えてくれてありがとね」
 
 お会計に行こうと立ち上がると、置いてあった伝票をさっと奪われた。そのままレジまで向かう菊池くんを慌てて追いかけたけれど、有無を言わせず2人分の金額を支払われてしまう。
 
「ごめん、ご馳走になっちゃって」
「元々奢るつもりだったからいいよ」
 
 お店を出ると、菊池くんは少し困った顔をして「みょうじってさ」と口を開いた。その続きを待つと、彼は少し言葉を選ぶようにしながら「彼氏いるんだよな?」と聞いてきた。
 
「うん。いるよ」
「その……うまくいってんの?」
「ま、そこそこかな? 普通だと思うよ」
「……普通だったら、あんな顔しないだろ」
「え?」
 
 菊池くんの言っている意味がわからなくて、思わず眉が寄った。「こっち」と腕を掴まれて、少し外れの公園まで無言で歩く。
 昼の公園はがらんとしていて、遠くを老夫婦が散歩しているくらいだ。菊池くんはぴたりと足を止めて私の方を向き直る。
 
「さっき、彼氏いたんだろ? めっちゃ顔に出てたし」
「うそ、そんな顔した?」
「ばればれ。喧嘩でもした? 俺といたの見られて、やっぱりまずい?」
「そういうわけじゃないけど」
「あのさ、今朝のみょうじ見て思ったけど、もし彼氏とうまくいかなくてしんどいなら俺に言ってよ。助けるから」
「別に、そんな深刻な悩みとかじゃないから大丈夫だよ」
「いいから」
「……ごめん、男の人にそういう頼り方するのは彼氏に対して申し訳ないから」
 
「折角ご馳走してくれたのに、ごめん」と言うと、菊池くんはそれ以上なにか言ってくることはなかった。重い空気と裏腹に吹く風は憎たらしいほどに爽やかだ。
 
「こんなタイミングで悪いけど、俺はずっとみょうじのこと気になってた」
「……私はもし彼氏と別れたとしても、菊池くんとは付き合えないと思う。同期としか見れないの。本当にごめんなさい」
 
 深々と頭を下げて、逃げるように公園から出た。朝よりもずっと疲れた気持ちで小走りに駅に向かう。早く家に帰って、なにも考えず眠りたかった。どうせ今晩は寿も遅いだろう。顔を合わせれば気まずくなるのはわかっていたけれど、私の帰る場所は今はあそこしかない。
 ほぼ無意識に帰宅して鍵を開けた。玄関に寿の革靴はない。当たり前だ、腕時計の針は14時半になったくらいだ。帰ってくる方がおかしい。
 着替えもそこそこに布団を被って横になる。遠くで携帯が鳴ったけど起き上がって見に行く気力はなかった。昨晩とは違いあっという間に眠気は訪れて、夢も見ないままひたすらに眠り続けた。
 
 ***
 
 キッチンから聞こえる物音で目が覚めた。起き上がって窓の外を見たけどもう辺りは真っ暗だ。目覚まし時計は7時を差している。5時間近くも寝続けていたことに驚いたけれど、それ以上にキッチンに誰かがいることが気になった。
 慎重にドアを開けて、なるべく物音を立てないようにしながら廊下を進む。キッチンに繋がるドアを開けると、そこには寿がいた。
 
「……なんで、いるの?」
「なんでって、俺の家だし」
 
 それはそうなのだけれど、私の求める答えではない。
 寿は焼きそばを作っていたのか、フライパンで炒められていたそれを二人分の皿に取り分けた。差し出された皿を受け取って、とりあえずテーブルにつく。お茶とお箸を持ってきてくれた寿は、椅子に座るといただきますと言って焼きそばを食べ始める。置かれた状況に困惑しながら、私も同じようにまずは一口焼きそばを食べた。
 
 黙々と食べ進め食後にお茶を飲んでいると、寿は「……で、あれ誰」と言った。予定をキャンセルしてまで家に帰ってきた時点でこうなることは予想していた。
 嘘偽り無くありのままを説明すると、目の前の寿は椅子にもたれて腕組みをしたままじっと私を見つめる。威圧感のあるその姿に少しだけ恐怖心を抱いたけれど、同期と食事をした以上のことはないし自分に非はないと思っている。
 それに、こそこそと何かをしている寿に疑われるのは、正直言ってあまりいい気分ではなかった。
 
「ずいぶん仲良さそうだったけどな」
「仲悪い同期とご飯は行かないでしょ」
「そうかよ」
 
 吐き捨てるように返された言葉に思わずカッとなって「じゃあ、寿はなんなの? こそこそ誰かと連絡取ってるみたいだけど」と返してしまった。そうなれば売り言葉に買い言葉で、あっという間に喧嘩の火が付いてしまう。
 
「今俺のことは関係ないだろ」
「ないわけないでしょ。誕生日に予定入れるほどなんでしょ? ごめんなさいねキャンセルさせて」
「お前、いい加減にしろよな」
「それは私の台詞なんだけど。昨日も随分長い時間お楽しみだったみたいだし」
「お楽しみィ? お前誤解してるだろ」
「誤解させる行動してるとは思わないの? 言っとくけど、私は寿と違って告白されたけどきっちり断ってきましたから」
「は? 告白? そんなん聞いてねぇよ。あの男か?」
「さぁね。断ったんだから関係ないでしょ」
「ないわけねぇだろ」
 
 私と同じ言葉を寿が返したところで急激にばかばかしくなってしまい、頭を冷やそうと立ち上がる。横を通り過ぎようとしたら腕を掴まれてよろめいた。反射的にそれを支えた寿の体は熱い。現役を退いても鍛えられている肉体の力強さに驚いて距離を取ろうとしたけれど、それを阻むようにそのまま抱きしめられてしまった。
 思えば、こんな風に抱きしめられるなんていつぶりだろうか。同棲するようになって2年。2人の生活に慣れて忘れかけていた心臓の高鳴りが、フル稼働して全身に血液を送る。
 
「なんだよ、告白って。すげぇ最悪な誕生日になったじゃねぇか」
「だからそれは断ったって」
 
 頭ひとつ違う位置で、落ち込んだような声色で言うものだからそれが少しおかしい。先ほどまでの喧嘩を忘れるように「ごめんね、心配させて」と謝った。
 折角の誕生日を台無しにしてしまったことは確かだし、見上げた先の寿は珍しく眉を八の字に下げている。少し背伸びして腕を首に回した。
 
「ごめんね」
「いや……俺も悪かった。何も話してなくて」
「今日、用事あったんでしょ? 良かったの?」
「誕生日バスケしようぜって話だから、また別の日にやりゃいいだろ。……宮城に電話したら死ぬほどからかわれたしよ」
「ごめんね、皆に気を使わせちゃった」
「後で言えばいいやって甘えてた。悪い」
 
 腕にもう少しだけ力を込めて、ぐいと顔を引き寄せてキスをした。彼にこれ以上謝らせるのが嫌だった。お互いの「慣れ」が生んだすれ違いに犯人は必要ない。
 少ししょっぱいキスは色気も何もなかったけれど、距離を縮めるには十分だ。少し背を屈めた寿の髪の毛をくしゃくしゃと撫でて、同じように撫で返される。子供どうしのやり取りみたいで思わず2人吹き出した。
 
「お誕生日、おめでとう。ケーキも豪華な料理もなんにもないけど、今度の休みにちゃんと埋め合わせするから」
「楽しみにしとく。……そうだ」
 
 寿は私から離れると、ソファの上に転がっていた通勤鞄の中から何かを取り出した。手渡されたそれは綺麗にラッピングされている。了解を取って包みを開けると、そこにはいつか雑誌を見ながら軽い気持ちで「これ欲しいな」と呟いたピアスが輝いている。
 
「これ、いいの?」
「おう」
「ありがとう。ほんと、嬉しい」
 
 まさかの逆サプライズに泣きそうになりながら寿の手を取って寝室に向かう。クローゼットの隅に隠しておいたプレゼントを渡して、今度は私が「開けてみて」と言った。
 中を見た寿は驚いた顔をしながら私を見た。好きなブランドのキーケース。しかもバイクに乗る寿でも使いやすようにキーリングが分離するタイプ。前から欲しい欲しいと言いながら近くに売っていなくてすっかり諦めていたのを知っていたから探し出して購入したのだ。
 
「これ……結構探したろ?」
「ちょーっとだけ足伸ばしたかな」
「マジで嬉しい。……さんきゅ」
 
 よっぽど嬉しかったのか、寿は再び私のことを抱きしめる。
 
「こう言うとゲンキンに聞こえるかもしんねーけど、お前といてよかったと思ってる」
「うん、ありがとう」
「ちゃんと感謝してるんだぜ?」
「伝わってるよ」
「本当にありがとな、なまえ」
 
 この温もりが大切だから、私は寿のことを何があっても信じ続けるし、裏切ることはないだろう。
 ようやく訪れた幸せで大切な日常を噛みしめるように、私は腕の中で目を閉じた。
 
 
 

「そういえば、どうしてピアス用意してくれたの?」
「……バスケ行く予定だったから、埋め合わせに」
「ばかだなぁ。先に言ってくれれば別の日にお祝いしたのに」
「うるせぇ。俺なりに気遣ったんだよ。昨日だって準備できたって連絡きたから夜に取りに行ったし」
「そうだったんだ。ありがとうね」