4/22
4月22日は良い夫婦の日。皆結婚してます。
貘
「なまえちゃんいつもありがとう」
「どうしたの? 突然」
「とりあえず開けてみて」
なまえに差し出された箱には赤いリボンが掛けられている。それを解き箱を開けばホースシューを象ったペンダントトップがきらきらと光を反射した。
「凄く綺麗。……貰ってもいいの?」
「勿論。なまえちゃんのために選んだんだから」
「貘くんがアクセサリーくれるなんて珍しいね。ありがとう」
「今日は良い夫婦の日なんだって。いつも傍にいてくれるお礼」
傷付けないように取り出し、貘はなまえの細い首に手を回す。プラチナにブルーダイヤが埋め込まれたペンダントが鎖骨の間を彩った。
「馬蹄は幸運のお守りだから」
「なんだか貘くんみたい。幸運のお守りなら尚更」
「うん。どこにいても俺がなまえちゃんを守るからね」
そう笑う彼の真意を、なまえは知らない。
――いつまでも一緒にいようね。
ブルーダイヤモンドは幸せを、ペンダントは永遠の束縛を祈る。
梶
たまには外食でもどうですか? と誘われたファーストフード店で梶となまえは向かい合ったまま無言でハンバーガーを食べていた。昼時だからか店内は騒々しい。
なまえよりも先に食べ終わり、アイスコーヒーを啜りながら梶が口を開く。
「久しぶりに来ましたね」
「うん。そうだね」
残ったフライドポテトをつまみながら、少し弾んだ声色で返事をする。彼女は何故梶が自分をここに連れてきたのか十分理解している。数年前、初めてのデート。2人ともガチガチに緊張しながらハンバーガーを食べていたあの頃が懐かしい。
「隆臣は私にずっと敬語だよね」
「癖だからか抜けないんですよね」
「まぁ、隆臣らしくて好きだよ」
笑いながらドリンクを持ち上げた左手の薬指には、細い銀の輪が光る。もう2人でいても緊張はしなくなったけど、あの頃と変わらない空気は変わらずに心を癒やした。
「なまえさん」
「ん?」
「いつもありがとう、いつまでもずっと大好きです」
「うん。私もずーっと大好きだよ」
喧騒の中囁いた言葉は氷と一緒に溶けていった。
マルコ
彼と結婚するなんて、夢にも思わなかったな。となまえは内心呟いた。胸元に花束を抱えながら部屋のドアを開ける。いつもだったらドタバタと走って来て迎えてくれるのに今日は誰もいない。不思議に思ってリビングを覗いてみれば、よく日の当たる窓際でタオルケットにくるまったまま眠っている姿が見えた。近付いて少しだけ肩を揺すると、澄んだ色の瞳が彼女を捉える。
「ただいま、マルコ」
「なまえちゃん、おかえり。ポカポカしてたから眠っちゃったのよ」
「みたいだね。寝癖付いてるよ?」
やわらかな黒髪を手櫛で直してやるとくすぐったそうにマルコは笑った。そのまま腕を伸ばして彼女を引き寄せる。
「待って、マルコにプレゼントがあるの」
「ほんと?」
「チューリップ。綺麗だったから買っちゃった」
「花束、可愛いね。なまえちゃんみたい」
受け取ったそれを目を細めて見つめる。赤いチューリップの花びらは太陽の光を受けて淡く透ける。寝転んだまま抱きしめた体は、陽だまりと同じように暖かい。
「幸せね」
どちらからともなく呟き、2人顔を見合わせて微笑み合った。
伽羅
「たまには感謝の気持ちを伝えないと、愛想尽かされちゃうよ?」と貘に言われたことが少しだけ腹立たしくなって伽羅は何も言わずに部屋を出た。愛車に跨り数度エンジンをふかす。向かうのはいつもと同じ場所だ。アパートの近くまで行くと、エンジン音で気付いたのかベランダから彼女がこちらを見ている。それから慌てたように部屋から出てくるのを伽羅は何も言わずじっと待っていた。
「伽羅さん! 珍しいですね。何も言わずに来るなんて」
「別に、いいだろ」
「えぇ、嬉しいです」
「そうかよ。……乗れ」
タンデムシートに彼女が跨ったのを確認し、いつもより少し穏やかに発進する。彼のバイクの後ろに乗るのも、普段は用意されないヘルメットを被るのも彼女だけだった。
背中に仄かな温もりを感じながら風を切る。それでも春の空気は体全体で受けるにはまだ少し肌寒い。微かに潮の匂いが混ざる頃、彼女は少しだけ身を離して遠くを見た。
「綺麗……」
その声が伽羅に届くことはない。それでも彼女がどんな表情で、どんな声色でそれを発したのかは手に取るようにわかった。
やがてたどり着いた埠頭の奥では水面が揺れている。タンデムシートから降りた彼女は振り返ることもなくどんどんと歩いていく。その背をしばし見つめて、それからゆっくりと口を開いた。
「なまえ」
振り向いた彼女の髪の毛が潮風に揺れた。伽羅が大きな歩幅で距離を詰めるのを彼女はただ待つだけだ。やがて数十センチもないくらいになったとき、見上げた目が細められる。
「伽羅さん、いつもありがとう」
「おう」
「私を選んでくれてありがとう」
「……おう」
言おうとした台詞をすべて奪われて、伽羅は初めて言葉に詰まった。なんだ、自分が言わなくても彼女には十分すぎるほど伝わっているじゃないかと、彼女と同じように少しだけ目を細めた。
言葉を介さなくても伝わる空気が心地よかった。仕草や息遣い、瞳で物語るそれを感じ取ることがいつからか喜びに変わっていった。数多の血を流してきた己の手を柔らかく包む彼女が愛しかった。
彼女は物を与えても、金をちらつかせてもきっと本心で喜ぶことはないだろう。それならば彼女が喜ぶものなんて1つしかないはずだ。
「俺と一緒になれ、なまえ」
「はい、喜んで」
日本に戸籍も何も無い伽羅と彼女が正式な夫婦になることはできない。それでもそうなることを望む気持ちは彼女と寸分違わず形作られている。
彼女にはつらい思いをさせるばかりかもしれない。それでもここに帰りたいと強く願うほど、己の力の糧になると伽羅は信じていた。
「……愛している」
目映いまでの光は、いつまでもいつまでも2人を包み込んでいた。