4/22


  
 4月22日は良い夫婦の日。皆結婚してます。
 
 
 創一
「なまえ、少しいいかい?」
「何でしょうかお屋形様」
 彼女がそう返すと創一は少しだけ眉を寄せた。今は勤務時間内であるから、自分付きのなまえが"お屋形様"と呼ぶのは仕方ないのだが、したいのは個人的な話だ。
「夫婦として話をしたいのだけれど」
「では創一さん、どうしました?」
 丁寧な口調のまま、なまえは創一の隣に腰掛けた。己を仰ぎ見た眼差しは優しい。求めればきちんと一線を越えてくれるのは創一にとって喜ばしいことだった。
「旅行に行こうと思うのだが」
「じゃあ用意しないと。何泊のご予定ですか?」
 彼女が胸元から携帯を取り出してスケジュールを開く。それを手で制し再び己の方に視線を向けさせた。
「一応言うけど、君と一緒にだ」
「あら、珍しい。いつも私のこと置いていくのに」
「それは、すまない。……私がスイスにいたことは知っているね?」
「えぇ、勿論」
 彼女の白い手を取り、スイスで見た美しい光景や食べ物、出会った人の話を淡々と語る。あまり思い出話をしない創一にしては珍しいことだった。
「つまり何が言いたいかというと」
「はい」
「たまには夫婦らしいことをしたいんだ」
 真っ直ぐな瞳が彼女を射抜く。彼女は静かに頷き今度こそスケジュールを開いた。
「いつにします? 仮に予定があっても絶対に空けます」
「何を言っているんだ」
 君の予定は全部私で埋まっているじゃないか。
 
 
 
 
 蜂名
 中華料理が食べたい、と珍しく蜂名が希望を出したのでその日の夕方にはなまえは車を走らせていた。どうせなら中華街でと言ったのはなまえの方だったし、たまには思いつきで動くのも悪くないと行きつけのレストランには予約せず、目についた店に入ろうと決めていた。
 賭郎の車では後部座席にいる蜂名が助手席に座りコンビニのコーヒー片手にナビ係をしているなんて、立会人が見たら卒倒するかも知れないな、と気付かれないようにしながらなまえは笑う。
 彼女は切間でいる時も蜂名でいる時も同じくらい愛していたが、蜂名直器との時間はより特別に感じていた。友人のようでもあり、兄妹のようでもある。そんなパートナーだった。
「どこにする?」
「適当に歩こう。僕も色々見たいし」
 駐車場に車を止め、灯りの灯り始めた街に降り立つ。はぐれないようにと自然と手を繋いだ。
「痛っ」
 歩きながら呟いた彼女が少し困った顔で蜂名を見上げる。それを不思議そうな目で見返した。
「あのね直器、指輪着けてる手でギュッと握りすぎるとちょっと痛いんだよ」
「そうなんだ、気を付けるよ」
「私も直器も婚姻においては初心者だから」
 彼女が笑い、蜂名も少しだけ眉を下げる。2人の影はやがて1つになって人波に消えていった。
 
 
 
 
 妃古壱
「今日は妃古壱さんのコーヒーが飲みたいなぁ」
 と彼女が言うものだから、夜行は帰宅するなり自宅のキッチンでコーヒー豆をガリガリと挽いていた。真剣な眼差しでコーヒーと向き合う彼の姿をリビングのソファに腰掛けたまま盗み見る。しばらく待てば湯気と一緒にほろ苦い香りがふわりと漂って目の前に愛用のマグカップが置かれる。
「ミルクと砂糖も」
「ありがとう、妃古壱さん」
 できればブラックで、と言いたげな夜行を無視して甘党の彼女はミルクと砂糖をたっぷり入れると、あっという間に淡いブラウンに変わる。一口飲んだ彼女は満面の笑みで夜行を見た。
「うん、とっても美味しい。ありがとう」
「どういたしまして」
 自分より遥かに歳の離れた彼女は楽しげにコーヒーを飲み進める。マグカップを持つ左手に身に着けられた指輪を今度は夜行が盗み見た。先日プレゼントしたばかりのそれは彼女の細い薬指にぴったりと収まっている。
「妃古壱さん、いつもありがとうね」
 繰り返し礼を言う彼女ににっこりと笑い返す。礼を言いたいのは夜行の方だった。まさかこんな老いぼれに彩りを与える人間が現れるとは思いもしなかったからだ。彼の左手には不便があるかもと指輪を身に着けることはなかったが、代わりに彼女がくれたオーダーメイドのネクタイピンが胸のあたりで輝いていた。
「ありがとう、」
 コーヒーの香りが漂う部屋は、穏やかな幸せに満たされていた。
 
 
 
 
 丈一
 明日も仕事だ、と冷たく言えば彼女は少し淋しげな顔をした。脱いだジャケットを渡して水を飲もうと冷蔵庫を開けると、背後にどすんと衝撃を感じる。それを意に介さずペットボトルを取り出して一口含む。ぬくもりはしばらく動かないまま丈一の背をひたすらに温めた。
「おい」
 そろそろ退けろ、と言おうとして止めた。どうせ言ったところで離れないのは知っている。代わりに1つ溜息をついてネクタイを緩めた。
「俺の嫁はくだらんことで時間を浪費するつもりか」
 先程と同じくらい冷たい声色に、怯えたようにびくりとしたのがわかった。また1つ溜息をつく。身を返して彼女の方を向けば今にも泣きそうな目で丈一を見上げている。
「俺が家にいないことがそんなに不満か」
 そう問えば彼女は首を横に振る。そして手を伸ばして丈一の頬を撫でた。そこにはべったりと血が付いている。なんせ掃除の現場から直接帰ったのだ。どこもかしこも赤黒く汚れていた。
「心配なんです」
「それは俺の血ではないぞ」
「わかっています」
 貴方は強いから。でもいつか本当に帰って来なくなるんじゃないかと思うと、と言って彼女は言葉を詰まらせた。丈一はそれを聞いて少しだけ眉を寄せる。
「俺が死ぬと思っているのか?」
「思っていません」
「なら、黙って俺を待て」
 不遜な口ぶりのまま、彼女の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。帰らないつもりなど毛頭無かった。その左手には真新しい銀色の輪が輝いている。硬い皮膚に似つかわしくないそれは、丈一にとっては新たな決意の表れだった。
「俺がいくら爺になったとしてもお前を残して死ぬわけが無いだろう」
 彼は慰めの言葉を使わない。その分真っ直ぐな本音が彼女を安心させた。
「じゃあ私も負けないくらい長生きしなきゃ」
「俺をゾンビにでもさせるつもりか」
 そう言えば彼女は笑い、つられるように丈一も笑った。
 
 
 
 
 棟耶
 将輝さん、と名前を呼ばれて振り向く。己のファーストネームを呼ぶのは賭郎内には一人しかいない。棟耶より遥かに小柄な彼女が少し恥ずかしそうにしながら見つめていた。
「なまえ? どうした」
 彼女との関係は公のことではあるが、それでも人目につくのは何となく憚られて少しだけ周りを見た。幸いなことに誰もいない。彼女に歩み寄れば小さな紙袋を差し出される。
「これ、お昼に食べて下さい」
 予想していなかった事態に珍しく驚いてみせたが、すぐに礼を言ってそれを受け取った。お屋形様付きである以上自宅に帰ることもままならず、同じ立会人でも日中会うこともあまりない。寂しい思いをさせているはずなのに己を気遣ってくれる優しさが染み入った。
「すまないな、ありがとう」
 まとまった休みを取れないかたまには相談するかと内心考え、それからもう一度注意深く周りを見渡した。やはり誰もいないのを確認して、少しだけ腰をかがめる。
 ゆっくりと触れた唇は柔らかい。思えば、こういうことをするのも随分久しぶりだった。
「あとで、ちゃんと礼をさせてくれ」
 顔を真っ赤にした彼女が頷くのを確認してから踵を返し再び歩き出す。
 昼時、彩り鮮やかな愛妻弁当を黙々と食べ続ける棟耶を見て立会人だけでなく賭郎全体がざわついたのは言うまでもない。間もなく2人まとまった休みが与えられたのはまた別の話。
 
 
 
 
 目蒲
「これ、好きじゃないんだよね」
「わがまま言わない」
 2人で夕飯を取るのは随分と久しぶりなのに、目の前の男はぶつくさと文句を言うものだからなまえは少し眉間に皺を寄せた。
「食べないと大きくなれないよ」
「これ以上大きくなってどうする?」
「鬼郎がもっと強くなるためには食べないと駄目だよ」
 まるで母親のような口ぶりに、今度は目蒲が不満げな顔をする。
「母親を貰った覚えはないんだが」
「私だってこんな大きい息子いらないよ」
 彼らは”事実上の”夫婦だった。書類で縛られる関係なんてまっぴら御免、とそのシステムを否定したあの日が懐かしい。結局のところ、あちこちに飛び回る2人からすればその方が都合が良かった。
「明日は?」
「カジノに」
 立会人とは本来は呼び立てられなければその場に行かないのに、立場を少々逸脱して付き従うのを本心では面白く思わなかったが、彼女は何も言わずに食事を進める。それが彼の選んだ道なら止める術を持たない。
「ねぇ」
 たまには夫婦らしいことの1つでもしようよ。今日は良い夫婦の日なんだって。言おうとした言葉は水に飲み込まれて消えた。
「ん?」
 縛られる関係なんてまっぴら御免のはずなのに、彼を縛ることができないことを歯がゆく思う。名前も違うし、永遠を誓った言葉もない。指輪の1つも送りあったことは無かった。
「何でも無いよ」
 良い夫婦には、なれなかった。
「鬼郎」
「今度はなんだよ」
「もしどっちかが死んだらさ、残った方が相手の骨でダイヤ作ろうよ。送ればやってもらえるんだって」
「いいな、それ」
 それならせめて、悪い夫婦になりたかった。