4/22


 
 4月22日は良い夫婦の日。皆結婚してます。
 
 
 門倉(拾陸號)
「これあげるよ」
 カタと音を立てて置かれたのはヴィンテージの灰皿だった。箱にも何にも入れられていないそれは、まるで今門倉が咥えている煙草に使ってくれと言わんばかりに鈍く光を反射した。
「なんや、これ」
「プレゼント。たまにはいいでしょ」
 それは見てわかるのだが、なぜ今日プレゼントされるのかは門倉には皆目検討もつかなかった。それでは、と押し付けた火種がじわりと潰え、背後で本を読む彼女の方を見た。何も言わないままページを捲る彼女は、静かにコーヒーを飲んでいる。
 意図がわからないまま退屈になって門倉はテレビの電源を入れた。夜の時間帯はニュース番組とくだらないバラエティ番組が半々だ。適当な番組にして煙草にまた火を付ける。ゆったりと燻らせた紫煙は天井のシーリングファンにかき消されて消えた。
『――本日4月22日は、語呂合わせで良い夫婦の記念日です。一般的には11月で認知されていますが、最近は春のこの日に婚姻届を提出するカップルやプレゼントを送り合うご夫婦が増えています』
 耳に入った言葉、それを聞いて門倉はまた背後の彼女を見た。今度は本ではなく、真っ直ぐに門倉を見つめている。
「バレちゃった」
 11月まで待てなかったよ。門倉なまえになって初めての良い夫婦の日だからさ。
 悪戯っぽく笑う彼女に、門倉は口角を上げて返す。
「おう、おどれ覚悟しておけよ」
 借りはすぐに返さねば気が済まない。春の夜はこれからだ。
 
 
 
 
 門倉(弐號)
 暖かいなぁと呟いたなまえの横で、門倉は少し嫌そうな顔をしていた。春の匂いはあちこちから湧き立って、門倉の視界をくらくらとさせる。
「雄大、暑くないの?」
「まったく」
 普段からロングスーツを着ているせいか、気温が多少上がってきてもあまり暑さは感じ無い。それよりも春特有の芽吹きや生を感じる匂いの方が遥かに苦しい。それを察したのか、彼女は腕を引っ張るようにカフェに入った。
「アイスコーヒー、2つ」
 勝手に注文を決められたが特段文句はなかった。煙草を吸おうと内ポケットに手を伸ばしたが、指さされた禁煙のステッカーを見てしぶしぶ戻す。
「残念だったね」
「……今はどこも禁煙やね」
 お待たせしました、とアイスコーヒーが2つ並ぶ。喉を潤したほろ苦さが心地よい。向かいの彼女は鞄から文庫本を取り出してページを開く。それを見て思い出したように再び内ポケットに手を伸ばした。
「いつかの礼じゃ」
 怪訝そうな顔して差し出された袋を見る。少し端の折れた小さな紙袋を、彼女は不思議そうな顔で見つめていた。開けてみ、と言えばゆったりとした手付きで紙袋の封を開ける。
「これ、いいの?」
「おう」
「ありがとう」
 そう答えて彼女は文庫本にそれを挟み込んだ。ページの隙間から覗いた銀色のブックマーカーが輝く。
「そっか、今日か……よく覚えてたね」
「思い出したんや」
「……ありがとう」
 君が生きていることが、本当は一番のプレゼントだよ。
 
 
 
 
 巳虎
「突然家族皆で食事会は緊張するなぁ」
「お前も能輪の人間になったんだから、それくらい慣れろよ」
 一瞥もくれずに言った巳虎をなまえは困った表情で見つめていた。どうせなら2人でと思ったが、言ったところで聞いてくれるタイプではないことは彼女が一番理解していた。
 不意に電子音が響いた。聞き慣れたそれは巳虎の携帯の着信音だ。
「……もしもし」
 なまえには電話の向こうの声は誰かわからない。仕方なくその大きな背中を表情変えないまま見つめている。やがて話し終えた巳虎は振り向くと、少し眉を寄せて口を開いた。
「親父とお袋は別でメシ行くから俺たちもそれぞれで食ってこい、だとよ」
 じいちゃんも出かけるらしいし、と付け加えたその口ぶりは非常に残念そうだったがなまえにとってはまたとないチャンスだった。ガッツポーズしそうになるのを堪えながら「残念だね」と返す。
「じゃあ、この前話してたレストラン行く?」
「そうするか」
 上機嫌で腕を絡めて歩き出す。巳虎は少々鬱陶しそうにしながらも振りほどくことは無かった。その姿を背後から見つめる影が3つ。
「あぁでもしないと、あの子ったらデートの1つもしないんだから」
「皆でディナーではいけないのか?」
「あらダーリン、新婚さんに水を差しちゃ駄目よ? 私達は別で楽しみましょう。ね? お父さん」
「まぁ、仕方あるまい」
 なまえちゃんは大事なお嫁さんなんだから、と笑う彼女が今この場にいる誰よりも楽しげにしていたのは言うまでもない。
 
 
 
 
 銅寺
 銅寺が自宅のドアを開けると、彼女がにこにことしながら彼を出迎える。おかえりなさい、と笑う彼女は華やかで可愛らしくて、自分にはまったくもって不釣り合いなくらい完璧な女性だと思っている。過去に自分の身の上話をしたときだって、同情や慰めではなくただ一言「素敵なお兄さんだね」と優しく呟いた彼女の姿を忘れることは一生ないだろう。そして銅寺は恋に落ちた。
「晴明くん、おかえり」
 ドアの向こうの彼女は、今日もとびきりの笑顔だった。
「ただいま。これ、貰ったんだ。後で食べよう」
「ありがとう! あ、シュークリームだ。ここの凄く美味しいんだよ」
「そうなんだ。OK.冷蔵庫に入れておくよ。OK?」
「うん。そしたら着替えて来て。お夕飯できてるから」
 キッチンから漂う香りが空腹をより拍車をかける。銅寺は冷蔵庫にしまうと足早に着替えに向かった。ダイニングに戻るとすでに料理が並べられている。
 いただきます、と声を揃えて挨拶して箸を付けた味噌汁が体に沁みる。この日常は何よりも穏やかで尊い。今日の出来事を話しながら食事を進め、2人食べ終わったところで彼女は待ちきれんと言わんばかりの笑顔でシュークリームを持ってきた。
 にこにことしながらシュークリームを頬張る彼女が、銅寺には何者にも代えられない程愛しかった。あの頃とは呼び方が変わり、彼女の名字も変わったが、抱いている愛情は大きさを増していく。
「なまえちゃん、クリーム付いてるよ」
「嘘!?」
「反対側だよ」
 普段はしっかりしているのに、こういう時は無邪気で子供っぽくて純粋で、目が離せない。
「晴明くんもクリーム付いてるじゃん」
「えっ? どこ?」
 なまえが笑って銅寺に手を伸ばす。この暖かい人を守るためなら”適度”を越えてでも自分は戦うだろう。彼女はいるから自分はまだ強くなれる。そう確信してこの日々を大切に生きていくのだ。
 
 
 
 
 弥鱈
「おい弥鱈、お前嫁さん大事にしてるか?」
 今日は会う人皆に同じことを聞かれるので、流石に鬱陶しくなって弥鱈は溜息をついた。
「そりゃあもう、と〜っても大事にしてますよぉ」
 間延びしているが凄みのある声色で言えば、返事もそこそこに逃げ去っていく。眉間に皺を寄せたままシャボン玉を飛ばせば、背後から自分のよく知る声が聞こえた。
「弥鱈立会人」
「なまえさ……立会人」
「よろしい」
 弥鱈は彼女のことを立会人と呼ぶことはあまり好きではなかったが、本部内であれば仕方ない。普段は丸まった背中をほんの少しだけ真っ直ぐに伸ばした。手だってポケットからしっかり出ている。普段の弥鱈とは大違いだった。
「何やら色々噂が出ているようだけれども」
「私が貴方を大事にしていないと思われてるんですよ。まったく、失礼ですよねぇ」
 少し不満げに言うと、彼女は目を細めて笑う。氷のように冷たい美貌の笑顔はまるで芸術品のようだ。
「私が働かせているのにな。大方、新婚なのに自宅にも帰らないから冷たい旦那だと思われているんだろう?」
「早く帰りたいですよ。お屋形様付きになってからほぼ住み込みですから」
「悠助は家だと私にべったりなんだから、離れることに早く慣れてくれ」
 からかうようにまた彼女が笑う。それから小さく「今日は帰らせてもらえるよう進言した」と言うと、弥鱈の目の色が変わった。
「……今すぐに残務を片付けてきます」
 やる気の出させ方を熟知している彼女は、見えない手綱をまた器用にコントロールする。今夜が楽しみとその背を見送りながらぺろりと舌なめずりをした。