言えなかったアイ・ラブ・ユー


 
『恭次くんはさ、私がいなくても多分平気だよ』
 
 その一言で振られた。
 好きな女は大体いつもそう言って俺の元を去っていく。まるで俺には寂しさとか、恋しさみたいな感情を持ち合わせていないかのような扱いに、時折無性に悲しくなった。
 
 仕事は出来る方だと思う。そこらの男よりガタイは良いし、最近はあまりしないが喧嘩も弱くない。顔もまぁ、悪くない。自分でも言うのも何だが優良物件だろう。
 年齢だってそこそこになって、遊び飽きたと感じたり身を固めたい気持ちになることも正直増えてきた。なんだかんだ言って結婚する同僚も増えた。学生の頃の舎弟なんて子供がもう中高生になっている奴もいる。
 そりゃ警視正なんて立場は多忙で家に帰れないことや時間を作れないことも多いが、自分なりに彼女には尽くしてきたつもりだ。それでもまだ足りないと言うのなら改善する気持ちだってある。
 しかし、どうにも上手くいかない。
 
「……隙が無さすぎるんやろ」
 
 目の前でジョッキをあおる門倉は、つまらなさそうにまたビールを流し込んだ。
 貴様と2人で個室なんぞ気色悪い、と誘われた大衆居酒屋はがやがやと喧しい。二足の草鞋を履くようになって半年ほど経つが、よく見知った顔がいるからかそれ自体はあまり苦では無かった。
 門倉は刺し身を箸でつまみながら「ま、ワシの方がモテるしのぅ」と腹の立つ顔で言う。女を泣かす腕ならこいつの右に並ぶ者はいないだろう。
 
「毎回女泣かせるお前に言われとうないわ。そもそも、女に頬叩かれてでっかい紅葉作るほうが格好悪いしのう」
 
 そう返せば門倉の眉がピクリと動いた。
 モテるモテると言うが、こいつは女を取っ替え引っ替えしてブチ切れた彼女(体だけかもしれん)に追っかけ回されたり殴られたり水かけられたりと、悪い男を地でいって、しかもそれを当たり前と思っているからたちが悪い。やっていることは最低だ。
 
「ワシは惚れた女は大事にしたいんや。お前と一緒にするな」
「よう言うわ。それで毎回振られとるってことはやってることが上手くいっとらん証じゃ」
「ほうかい。本気になれんお前よりマシじゃ」
「本気にさせん女が悪い」
 
 こういうことを平気で言う。それでも女が途切れんのは、悪い男が好きだという女が一定数いるからだろう。
 学生の頃こそ、派手で似たような立場……不良と付き合うことも多かったが、成人してからはそれとは真逆のタイプばかりだ。もしかして根本的なところで合わないのかとも思ったが、ジョッキを傾けたところで先程の門倉の言葉を思い出す。
 
「ワシは隙、無いんか?」
「無いやろ。その歳で警視正やる男なんぞかたっ苦しくて堪らん。どうせ家でもぴっしりやりおって女からすりゃさぞつまらん男やろな」
「これでも切り替えとるつもりや」
「阿呆。女なんて甲斐甲斐しく世話焼かせてナンボや。それもわからんのかワレ」
「お前は随分前時代的な男じゃのう」
「ワシはそういう女がええのや。ただでさえクソ忙しいのに、家のことまでやってられん」
 
 それもそうだが、結婚しているわけでもない相手に家のあれこれまでさせるのは申し訳なかった。そこは考え方の違いだろう。空になったジョッキを置いてビールを2つ注文してからふと抱いた疑問をぶつける。
 
「本気になった女はおらんかったんか」
「あ? いるわけが……いや、1人だけおったのぅ」
「ほう、どんな女じゃ」
「あいつはええ女やったよ。ワシにビビっとるのにキッとした顔でよく文句言ってくる女やった」
 
 門倉は昔を懐かしむような表情を見せた。ここ最近の話ではなく、奴の中ではもう良い思い出に昇華されているのだろう。さしずめ、本気になって失うのが怖いとか、意外と女々しい理由で手を出さなかったのかもしれない。
 
「ワシはもう賭郎入り決めとったからな。何も言わずにサヨナラしたわ」
「じゃあ地元か? なんて名前や」
「なまえや。上の名前は何だったかのぅ〜」
「なまえ? 同じ名前の奴おったなぁ。そいつもいい女やった。いつもニコニコしとるくせに気が強くてな」
「まさか、同じ女じゃないやろな?」
「さあ? 20なる前の時に会ったが、ワシも周りの男も恐れ多くて手ぇ出せんかった。確か……みょうじなまえや。懐かしいわ」
 
 それを聞いて門倉は目を見開いた。届いたばかりのビールを半分ほど一気飲みし、それから無理やり落ち着かせたような声色で「ワシが惚れたのもみょうじなまえや」とだけ言った。
 俺はそれを聞いて一瞬動きが止まり、やがて倣うように喉の奥にビールを流し込む。気付けばジョッキから半分ほど消えていた。
 
「おんっっなじ女に本気になってどうするんや」
「そう言われても仕方ないやろ。ワシも手出しとらん。お前と兄弟なんて御免じゃ」
「きょうだっ……あいつはそいういうこと、せんやろ」
「わからんよ? 南方、ワレぁちっと女に夢見すぎや」
「いや、しとらん。賭けてもええ」
「まぁ、気持ちはわからんことはない」
 
 2人で黙ってビールを飲み干した。もっと強い酒が飲みたくなって、ハウスボトルのウイスキーをロックで注文しようとすると、割り込むように「お姉さん、ロックもう一つ」と門倉が言う。
 情けない程、2人とも動揺を隠せない。ウイスキーが届くまで、何も言えないまま無言で残った料理をつまんでいた。
 
「……ええ女やったな」
 
 ぽつりと呟かれた言葉に頷く。
 思い出したのは彼女の顔だった。柔らかく笑う表情が好きだった。あの場にいた男皆が惚れていてもおかしくないと思っていた。とんでもなく美人とかそういうのではなくて、彼女の持つ雰囲気は不思議なくらいに人を惹きつけるものだったのだ。
 
「なーんで、手出さんかったんやろ」
「賭郎入りするからやろ」
「けど、先にワシのモノにしておけば良かったわ」
 
 後悔を孕む言葉に思わず笑ってしまう。
 女に執着のない門倉がここまで言うのだから、奴も奴なりに本気で思っていたのだろう。それ程までに良い女だということを自分がよく知っているから、ただ笑って頷くことしか出来ない。
 それでも、手に入れられなかったからこそこうやって思い出して話ができるのかもしれない。
 
「あいつだったら大事にしたわ」
「お前の女癖じゃまた殴られて終いや」
「あいつがおったら他の女なんぞいらんやろ」
「それもそうや」
 
 彼女は今どうしているだろうか。
 きっともう二度と会うことはないのだろう。どこかで、俺の知らない誰かと幸せになっているかもしれない。
 店員の威勢のいい挨拶とともに、テーブルの上にグラスが2つ並ぶ。それを無言で掲げて飲み込んだアルコールの強さが、もう二度と手に入らない輝きへの後悔のようで、少しだけ喉に染みた。
 
「急に結婚したくなったわ」
「警視庁来るか? 周りそんなんばっかや」
「阿呆。うちも変わらん」
 
 そうして夜は更けていく。