王様と貧民街ツアー
ボロボロの服を着た浮浪者達が道端に座っている。歩いているのは痩せた人か、チンピラのような柄の悪い男たちしかいない。路地に入れば死体が落ちていることもザラだ。ゴミはあちこちに散乱して、少しだけ異臭が漂っている。
久しぶりに訪れたスラムに俺は気分が落ち込んでいくのを感じた。隣に立っている男を見上げれば、顔を顰めるように眉間に皺を寄せている。
今朝、ユージンに起こされた俺は男の姿を見て目を見開いた。シャツにベストを着て、柔らかい素材のスラックスを履いた姿は街で見る一般人、平民そのものの服装だったからだ。
ユージンは俺にも同じような服を着せて、『今日、スラムに行く。お前もついてこい』そう言い放った。何でスラムに行くのか?俺が問えば、ユージンは視察に行くとだけ答えた。意図がわからない俺に説明もないまま、俺の腕を引いて部屋から連れ出された。
その後、俺とユージンは議会で見たことがある騎士数人を率いて、転移魔法でスラムまで来た。
平民の服を着ていてもここでは上等な服だ。ユージンも騎士達もオーラや顔立ちが上品すぎて平民には見えない。明らかに浮いていた。
スラムの住人達の鬱屈した視線を浴びながら俺たちは街を歩く。
「……ここに、ハジメは落ちたのだろう?どうやってここまで生きて来れたんだ」
「どうやってって………」
あまりに答えづらい質問に俺は言葉を詰まらせた。
ユージンの普段よりトーンの低い声が、この街の悲惨さを感じていることを伝えてくる。それもそうだろう。煌びやかな世界で生きてきた人だ。こんな世界、知ることもない。
俺がどうやって生きてきたのか、本当のことを話せばユージンは怒り狂うのではないだろうか。レイプされてレイプした本人に匿われ、身分証がないから身体を売って生活していましたなんて言える訳がない。
「人に拾われて、最初はその人と生活してた。身分がないから普通の仕事にも就けなくて、仕方なく男娼になって…今に至るって感じだな。あと、俺が住んでいたのはここから少し離れている場所にあるから、まだ治安はマシなんだ」
だいぶ濁して伝えた。カイルのことを話したら殺しかねない。俺の話を黙って聞いていたユージンは街に向けていた空色の瞳を此方に向けた。
「そいつは男か?今どこにいる」
「お、とこだけど、何処にいるかは知らない」
思わず嘘をついてしまった。だって、カイルとは会っているし、何だったら今は俺の家にいるのだ。会わせろと言われてしまう気がしてそう言ってしまった。
ユージンが何か言いたげな視線を向けてきたが、俺は無視することにした。
それからは黙って街を見て回っていると、小さい男の子がユージンにぶつかった。大丈夫か?なんて思って見ていると、騎士の1人が男の子の腕掴み怒鳴り声を上げた。
「今、何か盗んだな?」
「そんなことしてねぇよ!離せよ!」
「正直に盗ったものを返すんだ。私たちの目は誤魔化せないぞ」
男の子は騎士を睨みつけているが、騎士は構わず詰問していた。掴まれた腕が鬱血しているのがわかり、俺は止めに入ろうとした。見ていられない。
すると、黙っていたユージンが俺よりも早く動いた。
「もういい。離してやれ」
「で、ですが……っ」
「この小僧が盗ったのは俺のブレスレットだ。大したものじゃないが、売れば暫くは食い繋ぐことができるだろう」
ユージンは騎士の腕を離させると、男の子を見下ろした。
「それはもうお前のものだ。売るなり、身につけるなり好きにしろ」
「…………」
「ただし、もう二度と盗みはするなよ。俺のように見逃す奴は少ないぞ」
男の子はユージンの睨みにビビってしまったのか、何も言わず走り去っていった。見逃したユージンが意外で、その顔を見上げる。
男の子が消えていった道を見つめるその顔はいつも通りの無表情だ。俺の視線に気づいた王様はこちらを見下ろす。よっぽど俺が怪訝そうな顔をしていたのか、ユージンは片眉を上げ、何だと聞いてきた。
「……許すなんて珍しいな。盗まれた物も取り返さないし」
「あの子供がああなってしまったのは俺の責任でもあるからな。今回は見逃してやることにした」
次はない、そう言ったユージンに俺はぽかんと口を開けてしまった。今の台詞はどういう意味で言っているのだろうか。スラムの人を同じ人間とも思っていなかった男が、この場所に生きている子供が盗みをするのは自分のせいだなんて。
思わず頭でも打ったのか?と聞いてしまった。
「失礼な奴だな、お前は。……もう視察はいい、城に戻るぞ」
ユージンは騎士に目配せをして、転移魔法を展開した。戸惑いを隠せない俺を抱き寄せ、王様は俺の髪に頬を擦りつけてきた。ユージンの思っていることがわからない俺はその顔を見上げ、ジッと視線を送った。
俺が何を言いたいのかわかっている癖に、王様は何も言わない。
そうこうしているうちにぐにゃりと空間が歪み、内臓が一気に下に下がる様な感覚に襲われた。
「……一体、どういう心境の変化なんだ?」
ユージンの部屋に戻りいつもの服に着替えた後、俺は王様にそう問いかけた。ユージンは部屋着用のガウンを羽織ると、いつもの椅子に腰掛け俺を手招いた。どこか楽しげに口角を上げている目の前の男が不気味だ。
俺は溜息を吐いて、ユージンの元へ近寄る。すると腕を引かれ膝の上に座らされた。横向きに座っているから、ユージンの顔が目の前にくる。
「スラムを街として…国の一部として認めることにした」
「え?それは…本当、なのか…?」
「今日お前を連れて行ったのは、スラムの現状を知りたかったからだ。想像以上に…酷いものだったがな」
ユージンの言葉に唖然としてしまう。だってそうだろう?あんなにあの街を毛嫌いして、認めようとしなかった男がいきなりこんなことを言い出すなんて、正直信じられない。スラムの子供を許したのはそういう思惑があったからなのか。
「何をそんな驚くことがある?ハジメと初めて会った時、お前は俺にスラムに足を運び、王としての職務を全うしろと言っただろう」
「言ったけど、本当にするとは思っていなかったから」
「お前のためにも…国のためにも、国民にもっと目を向けようと思っている」
長い指先が俺の髪に触れ、優しく梳かすように撫でた。俺を見つめる瞳にはかつての冷酷さなんて一つも感じない。温かい、慈愛のような色が浮かんでいた。
「お前が俺を変えたんだ。自分が良ければそれでいい、周りの人間は捨て駒で国民の暮らしなんて興味もなかったんだ」
「ユージン……」
「でも今は、皆に認められる、どの国にも恥じない王になりたい。俺はもう…バケモノに戻りたくないんだ」
そう言って目を伏せて笑う男を見て、俺は胸が締め付けられた。出会った頃の冷酷非道な王様はもう何処にも居ない。自分の理想とする王様になろうと頑張っている男がここにいる。
俺は頭をギュッと抱き寄せて、その柔らかい金色の髪に頬を寄せた。
「アンタはバケモノなんかじゃない。長い道のりになると思うけど、俺は応援するから…だから、頑張って立派な王様になってほしい」
「………」
「ほんと…ユージンがこんな風に変わるなんて思ってなかった」
「………嬉しいか?」
嬉しいに決まってる、俺は泣きそうになりながらそう返した。ユアンもユナも…勿論、俺もユージンがこうなることを望んでいた。ガレスさんだってスラムが良くなる様に願っていた。二つの願いが叶うかもしれないなんて、こんな喜ばしいことはない。
ユージンは静かに涙を流す俺を見てフッと鼻を鳴らすと、背中に腕を回した。ならよかった…そう小さく聞こえた声が少し震えていた様に感じたのはきっと気のせいではないだろう。
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