歪んだ男たち
長い指先が頬に残る涙の跡をなぞる。気絶したまま眠っているハジメの顔を見て、ユージンは頬を緩めた。暫く眺めた後、背後に目を向ける。
「調子に乗りすぎだぞ、ユアン。酒が入っていたからさっきは許したが、次はない」
「何故ですか?殿下も怒りながら興奮していたでしょう」
「酒のせいだと言っているだろ。お前がもっと暴走していたら殺していた」
ユージンはユアンを睨みつけながらそう言い放った。素面に戻った今は先程の行為を思い出すと怒りが湧いてくる。が、ユアンの言う通り、ユアンの手で乱れるハジメは酷く淫らでユージンの欲をかなり煽ってきたのは確かだ。
飄々とした態度の男に鼻を鳴らし、ユージンは寝台から立ち上がる。机に近づき、上に置かれた石を手に取った。その石には家紋が彫られており、ユージンがよく知る貴族を表すものだった。
「……雇われの間者か?」
「いえ、恐らくナディールに長く使えている使用人です。拷問すればすぐに吐きました」
「差し詰め、スラム…フェイジョアの書類でも盗もうとしたんだろうが残念だったな。ナディール家に書簡を出す、任せていいか?」
ユアンは少しの間黙り、承知致しましたと返した。恐らく、文官に任せないことを不思議に思っているのだろう。スラムをダバルドンの国土として認める旨を公表した際、大臣達貴族の反応は様々であった。賛成する者はごく少数で、反対する者が殆どだった。
その事を踏まえ、今現在でユージンが信用できるのは近衛騎士であるユアンと魔導師長であるレイトンだけだ。レイトンにはフェイジョアの結界の強化を頼んでいる。あの魔導師はハジメがユージンの元にいる限り、逆らうことはない。何より事なかれ主義のレイトンはユージンに対し意見は言えど、揉める気はないことは長い付き合いで理解していた。
フェイジョアのことを議会で公表してから、ユージンの周りは以前より不穏な動きを見せる者が増えた。それを始末することが今のユアンの主な仕事だが、他の細々した仕事もユージンは任せていた。
「もう少しフェイジョア再建案の基盤が固まれば、大臣や上流貴族たちの選別を行う。それまで仕事は多いが、やってくれるな?」
「勿論、命じて下されば何でもします…ですが、いいのですか?反発は激しくなりますよ」
「構わん。今反対している貴族は父上のやり方を望んでいる奴らだ。どのみち、俺と共に変われないのなら王都にいる資格はない」
はっきりとそう言い退けたユージンに、ユアンは微笑みを浮かべ頷いた。本気で変わろうとしている王の姿に、ユアンは喜びを感じているのだろう。昔、近衛騎士として使えていた時以上に逞しい姿になっていたのだから当然であった。
「……殿下に聞きたいことがございます」
「何だ、俺はもう湯を浴びて寝るつもりだ。手短に話せ」
ーーハジメのことです。
その言葉を聞いて、蝋燭を消そうとした手がピタリと止まる。
「この先もずっとハジメをこの城で飼われるおつもりですか?」
「………何が言いたい」
「解放してはどうかと…こんな痩せ細って、窶れたハジメを見るのは辛い」
ユアンは寝台に近づくと、そっとその頭に触れた。黒髪は濡れたように艶を帯びているが、その下にある顔は以前よりはマシにはなっているものの、頬がこけていた。ユアンがハジメとスラムで出会ったときは、もっとふっくらとしていて血色も良かった。
その事を聞いたユージンは、仄暗い光を宿した瞳をユアンに向けた。
「だから何だ…今更、手放せる訳がないだろう。俺はハジメを愛してる。ずっと、側に置くつもりだ」
「ここに縛り付け、ハジメが弱っても構わないのですか」
「……ハジメが俺以外の物になるくらいなら、それでもいい。お前もハジメがここにいればいいと思ってるだろう…っ」
ユージンは己の権力を使い、城に縛り付けることでしか、ハジメを自分の近くに置く方法がなかった。手を離してしまえば、ハジメは一生自分を見てくれない。騎士やレイトン、ユージンの知らない男や女と結ばれるかもしれない。考えただけでも吐き気がした。
ユージンはハジメが傷つこうがどうなろうが、最初はどうでもよかった。それを楽しんですらいた。
しかし、今は違う。ハジメという異世界人を愛してしまった。愛する男が窶れ、弱っていくのを辛く感じていた。それでも手放せなかった。ハジメが側にいてくれるなら、もう愛されなくてもいいとさえ思ってしまっていたのだ。
「俺も歪んでいますが、殿下もなかなか……」
「五月蝿い!……俺はハジメをここから出すつもりはない」
ユアンは口端を少し上げ、ニヤリと悪どい笑みを浮かべた。大きく武骨な手でハジメの首筋を撫でる。
「大丈夫ですよ、殿下。我々が本気で口説けば、ハジメは必ず戻ってきます」
「……何を根拠にそう言えるのか理解できんな。こいつは俺もお前も好んではない、お前はともかく俺のことを嫌悪しているはずだ」
「ハジメはお人好しで情に弱い。そこにつけ入れば良いのです」
ーー殿下も、ハジメのこの性格をよく理解しているでしょう。
ユージンはその言葉を聞いて目を瞠目させた。確かにハジメは見たことがないほどお人好しで、情に弱い。現に、この城に来てから酷い目に遭ってきたはずなのに、ユージンを見放したことはない。
「嫌になるほど甘やかして、どれだけ我々がハジメを愛しているかゆっくりわからせてやればいい」
「それでも俺を選ばなかったら………そうなれば俺は、きっと…ハジメの近くにいる人間を許せない」
また、人を殺すかもしれない。ユージンの暗い闇に覆われた声が部屋に小さく響いた。項垂れ立ちすくむユージンの元へユアンはゆっくり近寄り、肩を抱き寄せた。騎士団長と第一王子だった頃のように、肩から背中を慰めるように優しく撫でた。
「俺たちを選ばなかったら…その時は泣いて縋りつきましょう。こいつは…ハジメはそういうことに弱い男です」
近衛騎士の囁く声に耳を傾けながら、ユージンは寝台を生気のない瞳で見つめる。健やかな呼吸を繰り返し、ゆっくり上下する身体。枕に沈むあどけない寝顔。泣かせて絶望させて…自分しか見ることができないほどに壊してしまいたい、絹で包み込むように甘やかしてやりたい。相反する気持ちが浮かび上がっては螺旋を描くように絡み合う。自分の感情にどうすることもできず、ユージンは拳をグッと握りしめた。
「湯を…用意させるよう伝えろ」
「あぁ、近くにいるメイドにお伝えしておきます」
「少しだけ休んでから行く…お前も早く休め。明日も早い」
ユージンはそう言うと、ふらふらと魂が抜けたような歩き方で寝台へと向かっていく。寝台に乗り上げ、眠っている男に顔を寄せる。
何かを確かめるように顔を近づけては、壊れ物に触れるような手つきで頭や顔を撫でている。そんな主人の姿にユアンは目を細め小さく息を吐くと、頭を下げて部屋を後にした。
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