星空の下で

 

 煌びやかなシャンデリアの下、豪勢な服を着た人たちが楽しそうに会話をしている。優雅な音楽に耳を傾けながら、斜め前の男に目を向ける。
 ユージンは相変わらず無表情のまま、ワインの入ったグラスを傾けていた。

 今、王宮で開かれている宴はスラム…フェイジョアが正式にダバルドンの一部として認めることを公表する会だ。反対する人が多いだろうと予想していたが、意外と皆歓声を上げて喜んでいた。ちらほらと苦虫を噛み潰したような顔で王様を見上げる者もいたが、かなり少数だ。
 このパーティーが開かれるのを今日の朝に聞かされた俺は、あぁでもないこうでもないと、ユージンに着せ替え人形のようにされながら衣装を決められ、ここにいる。しかもユージンのほぼ隣の席に座らされている。最初は痛いほど視線を向けられていたが、空気になるように徹したからか、その視線は少なくなってきた。当たり前だろう。よくわからない男が王様の隣に座っているのだから。
 気を紛らわすように酒を飲み、チーズや果物をちびちび口に運び時間を潰す。息苦しさを感じるほど、ピッタリした襟を触っているとピタリと音楽が止んだ。不思議に思い辺りを見渡せば、ユージンが王座の椅子から立ち上がっていた。
 最初に話したのにまた何か話すのだろうか、不思議に思っているとユージンが静かに口を開いた。


「皆の者、この宴を楽しんでいるか?」

 問いかけた言葉に、フロアにいる人々が首を縦に振ったのが見えた。誰も言葉を発しない。しんと静まり返っている。俺はユージンの背中に目を向けて、同じようにその低い声に耳を傾けた。

「この国には昔から『女神の祝福』というお伽話…いや、伝説があるのは知っているな。私たち王族や、貴族、平民…この国の民であれば皆一度は聞いたことがあるだろう」

 女神の祝福…貧しい国の王が神子と出会い、二人が国のために民のために善行を行っていけば、最後は女神がその働きを認め、国を永久に栄えさせる祝福を授けた…確かそんな話だったような気がする。
 何年か前、この世界に来てすぐに客の一人から聞かせてもらった話だ。

「あのお伽話のように神子が我が国、ダバルドンに落ちてきた。しかし、私は神子も女神も信じていなかった。この国は貧しくはない、寧ろ栄えているとそう思っていたからだ」

 ーーでも、それは違う。静かにユージンはそう言い切った。

「私は……俺は何も見ていなかった。スラムと呼ばれる場所、蔑ろにされ苦しみながら生きる民がいたこと。それを知らぬふりをしたまま、俺はこの国の王として生きてきた。傲慢で自身のことしか考えず、苦しめた臣下も民も…沢山いただろう。俺を恨んでいる者もいるだろう。
 だが、俺は変わるとここで宣言する。神子の力、女神の祝福を授からずとも、この国を今より栄えさせる。この国の民を全員幸せにする。その為だったら俺は何だってしよう」

 静かに、ユージンの縋るような言葉が響いている。見惚れるようにその背中を見つめていると、照明ではない光が、ふわりと王様の周りを包み込むように照らし出した。

「この国の未来を変える第一歩が、フェイジョアを国として認めることだった。まだ納得していない者もいるだろうが、あの土地は昔からダバルドンの一部なのだ。あそこに住まう民も、勿論ダバルドンの民だ。
 これからどうなるのか、俺もまだわからないことばかりだ。それでも、どうか…」

 ーーどうか、俺について来て欲しい。俺を信じて欲しい。必ず、皆を幸せする…この国を今よりも豊かにすると約束する。

 切実な、縋るようなユージンの言葉に俺はひくりと喉が小さく鳴った。小さく頭を下げた王の隣に見えたのは赤髪の女性だ。俺だけが見えている幻覚なのかもしれないが、あれはユージンの母親…ユナだ。
 ユージンの肩に顔を寄せて、そっと抱きしめているのが見えた瞬間、ぽとりと涙が落ちた。きっと、きっとユナが求めていた王様の姿がこれなんだ。

「っ、よかった……ほんとに、よかった……っ」

 口元を押さえながらそう漏らしてしまうほど、俺の胸は感動と嬉しさでいっぱいになっていた。赤い燃える炎ような髪を靡かせながら、ユナが此方を振り向いて優しく微笑んだ。微かに動いた口元が紡いだ言葉が何かを理解した瞬間…俺は両手で顔を覆った。

 泣けなく溢れ出した嗚咽は、会場にいる貴族達の歓声に掻き消された。






 パーティーが終わり、泣きすぎて悲惨な顔をした俺を見て王様はギョッと目を見開いた。

「何故そんな顔をしている。何処ぞの貴族に嫌味を言われたか?」

 特徴を言え、国から追放してやる。あの演説をした男とは思えないほどの物騒な言葉に呆れてしまった。みんなを幸せにすると言ったのに、俺がそう言うとユージンは眉を顰めて鼻を鳴らした。

「お前を貶す者はこの国に必要ない」
「……暴君に戻ってるぞ、ユージン」
「仕方ないだろう。ハジメのことになると正気じゃいられなくなるんだ」

 ユージンはそう言って、俺の手を引いて歩き出した。使用人が宴の片付けをしているのを横目に俺たちは忙しない王宮内に戻った。
 このまま部屋に戻るのかと思っていたが、ユージンは中庭に出て何処かへと向かい始めた。不思議に思い、何度か声をかけたが王様は少し口角を上げるだけで何も教えてくれない。


「ここ、は……」

 中庭の奥にある森のような場所を抜け、暫く歩くとユージンは足を止めた。真っ白な花が咲き誇る真ん中には塔が建っていた。花と同じように白い石で作られた塔の壁には蔦が絡んでおり、年季が入って少し廃れているのがわかった。

「…お前とならここに来れると思っていたんだ」

 一人では来ようとも思わなかった。ポツリと呟くようにユージンは言った。微かに香る花の匂いを感じながら、ゆっくり塔へと近づく。
 星空に照らされた塔と花畑は神聖な空気が流れていたが、どこか寂しさを感じる不思議な場所だった。

「この塔の中に俺の母親…ユナの骨が納められている」
「え……?」
「子供の頃に数回来たことがあるが……変わらないな」

 そっと壁に触れ、ユージンは鼻を鳴らすように笑った。切なく見えるその横顔にギュッと胸が締め付けられた。

「何で、俺をここに連れて来たんだ?」
「………………」
「ユージン?」

 黙り込む男が心配になり、俺が顔を覗き込めば力強く抱きしめられた。突然の抱擁に吃驚して一瞬呼吸が止まる。再び名前を呼べば、応えるように腕の力が強くなる。

「……ここは俺が見たものの中で一番美しく、……っ、一番忌々しい場所だった」
「忌々しいって、母親のお墓みたいなものだろう?何でそんなこと」
「母親の墓だからだ!」

 ユージンの唸るような声に肩がびくりと跳ね上がる。その言葉の意味を理解して、俺は自分の発言したことを後悔した。そうだ。ユージンはユナを…自分の母親を恨んでいたんだった。
 それなら、尚更…どうして俺をここに連れて来たのだろう。ユージンの意図がわからず、俺は口を閉ざした。

「ここは俺が唯一、母の存在を感じられる場所だった。母のことをちゃんと理解する前はよくここに来ていたが、俺を残して死んでいった魔女だと知ってからは…一度も来たことがない」

 脳裏に浮かんだのは、夢で見た幼いときのユージンだ。全てに絶望し拒絶していた少年の姿を思い出し、俺は思わずその背中に腕を回した。その瞬間、少しだけ背中が震えたのは気のせいではない。

「ここに来たいなんて思っていなかったが…母が、ユナがお前に俺の夢を見せたのだろう?俺を暗闇から救うように…」
「っ、なんでそのこと知ってるんだ。そこまでの話は伝えていない」
「ユアンが教えてくれたんだ。このネックレスをハジメが俺に渡した理由が気になっていたからな」

 ユージンは小さく息を吐いた後、腕を緩めて俺を見下ろす。暗闇の中で空色の瞳が、星のように輝いている。

「ユナが…お前を俺の元に連れて来てくれた。そう思うと全て許せるような気がしたんだ。ハジメと出会わせてくれた…それだけで充分だと思った」

 単純だろう、泣きそうに顔を歪めてユージンは微笑んだ。見たことがないほど不恰好で情けない笑顔。そうか、俺はそんな言葉しか返せなくて、同じように笑みを返した。きっと今の俺の顔も、目の前の男のように情けない顔だろう。

「改めて礼を言いたい。この世界に来てくれて…俺と出会ってくれてありがとう」

 ユージンは塔を見上げ、続けた。

「母様、貴方を憎んでばかりだった俺に、こんな…素敵な宝物を贈ってくれて…ありがとうございます」

 今まで、申し訳ございませんでした。その言葉を聞いた後、ぽとりと俺の頬に落ちたのはユージンの涙だった。美しい横顔とその涙に俺は何も言葉を発せなかった。無意識に手を伸ばし、頬を伝う跡を拭えば、ユージンの手にギュッと掴まれた。
 そのまま頬擦りをされ、掌に口付けが落とされる。

「……ハジメが言っていたように、俺は…許せているだろうか」
「っ、ああ…許せてる。すごいよ、ユージン」

 目の前の男と過ごして来た日々が走馬灯のように頭の中に流れてくる。辛い、そんな記憶ばかりだったのに、どうしてこんなに嬉しいと思ってしまうのか。今日の俺は泣いてばかり。いや、この城に来てからずっと泣いてばかりだ。
 この男のせいで散々な目に遭ったのに、今は男の成長が嬉しくて泣いているなんておかしな話だ。それでも、よかったと心の底から思っている。
 ユージンに掴まれている手とは逆の手で、自分の涙を拭っているとまたその手を掴まれてしまった。

「さっき話したお伽話の最後を知っているか?」
「……?知らない、けど」

 大きな手のひらが俺の両頬を包み込み、額をこつりと合わせてユージンは問いかけてきた。国が栄えて終わりだと思っていたが、違うのだろうか。

「王は幸運を齎した神子と結ばれ、結婚するんだ」

 思いがけない言葉に涙がぴたりと止まる。俺が口を開く前にユージンが続ける。

「お前は…本当に神子じゃないのか?」
「お、れは…神子じゃない。アンタも知ってるだろ?俺はナギサくんみたいに魔力も無ければ、女神と話すこともできないんだから」
「もし……ユナが、母様が女神だとしたら?」

 どくりと心臓が大きく音を立てた。ユージンはどこまで知っているのだろうか。ユナが人ではなく、神だと…気づいてしまったのか。あまりの衝撃に言葉を失っていると、クスリと笑う声が聞こえた。

「知っているさ、お前が神子ではないことなんて。それでも、お前が…ハジメが俺に沢山の幸せをくれた。ハジメこそが、俺にとって神子なんだ」

 柔らかく冷たいものが俺の唇に触れた。何度も啄むように触れる唇が思いを痛いほど伝えてくる。この男が俺に何を言いたいのか、わかってしまった。

「ハジメ、俺と…結婚しろ。ずっと俺の側に居て欲しい」
「ユージン……」
「俺を見守っていて欲しいんだ…きっと、俺はお前が居なければ壊れてしまう。ハジメがいないと、正しい道がわからない」

 俺を捨てないでくれ…そう言って縋るように抱きしめられ、俺は唇を噛み締めた。この男は俺が居ないと本当にダメになってしまうのではないか、そう思ってしまうほどユージンは危うい存在だった。
 今まで告げられた好意とは重さが違う。俺はどうすればいい?受け止めればいいのか?
 わからなかった。ガレスやカイル、シャムスの時のように恋愛をする余裕がないとそう伝えるべきだ。でも、それだけでは足りない。
 全てを曝け出してくれたこの男に、俺の気持ちも含めて…全てを見せるのが一番いいだろう。

 ユージンの胸を押して身体を離し、俺は顔を見上げ口を開いた。


「……俺にはやりたいことがある」

 その言葉を聞いて、空色の瞳が小さく震えるのがわかった。



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