異世界人の望むもの

 
「俺は…普通の仕事をして、普通の生活がしたいんだ」

 草木が揺れる音が微かにする夜の中で、俺の言葉が小さく響いた。黙っているユージンが戸惑っているのがわかった。

「男娼なんて本当はしたくない。辞めて普通の生活ができたなら辞めてる」

 今までこんな話を、誰かに話したことがあっただろうか。もしかしたらガレスさんやカイルには少し話したかもしれない。

「欲しいものも…ある」
「…金か?」
「金じゃない…いや、金があれば手に入れることができるものだ」

 俺が欲しいのはちゃんとした身分証だ。
 そう言うと、ユージンの目が少し見開かれた。その様子を見ると俺が言いたいことがわかったらしい。

「異世界人の俺には身分証がない。だから、まともな仕事にも就けないし、真っ当な生活も出来なかった」
「……出生届もない、保護人もいない人間が身分証を受け取るにはそれなりの額の所得が必要だったな」
「そうだ。身分証を発行してもらうには多額の税を納めて、所得を証明しないといけない…最初は頑張ればできると思っていた」

 でも、現実は甘くない。どれだけ体を売っても、自分が生活していくだけの金しか貯められないし、まともに税金も払えない。前の世界では当たり前にあったものが、この世界ではどれだけ頑張っても手に入らなかったのだ。

「普通の、そうだな…カフェとか食堂の厨房で仕事ができたら、金を貯めて…店を出して……そんなこと何度も考えたよ。でも、今の俺には到底叶えられない夢の話なんだ」
「……………」
「家は何とか借りられたけど、まともなことができたのはこれくらいだ。治安のいい場所に住もうと思えば、身分証がいるから自分が住みたいところにも住めない。稼ごうにもたいして稼げない」

 これのどこが『まともな人間』なんだろう。ちゃんとした生活も送れない男が恋愛なんてしている暇なんてない。そんなことできる身分じゃない。
 俺の言葉を聞いたユージンの顔が曇っていくのがわかった。そりゃそうだ。俺は今まで、こんな卑屈なことを口にしたことがなかったから。
 この世界に来て俺の自尊心はボロボロに傷つけられ、殆ど残っていなかった。まともな大人ぶってカイルに説教を垂れていたが、自分の店を開いてちゃんと稼いでるカイルの方が俺の数倍まともだ。

「だから、俺はいま恋愛をする気はない」
「っ、俺はお前に身分がなくても構わない。男娼が嫌なら今すぐ辞めろ。そうしたら城で…俺の側で働けばいいだろう?」
「違うんだ、ユージン。そう言う話じゃない」

 何が違うんだ、ユージンは怒ったような顔をして俺の腕を掴む。
 俺は自分で、自立した生活を送りたかった。でも、今の俺にはそんなことできないんだってこの数年で痛いほどわかった。

「ハジメ…もう少し人を頼れ。俺も自分一人で生きていけると思っていたが、そうじゃないと教えてくれたのはお前だろう」
「………っ」
「お前は俺に幾つもの幸せをくれた。バケモノから人間に戻してくれた。その見返りをお前は求めてもいいんだ」


 男に、人に情けなく縋りつくなんてしたくない。面倒を見てもらうなんてもっての外だった。違う、嫌だ、俺は子供のようにそんな言葉を繰り返す。
 ユージンは再び俺の頬を掴み、強い眼差しを向けてきた。

「俺はお前の願いを叶えられる。言え、何が欲しいのか」
「いやだ、俺は自分で……っ」
「自分では手に入れられないのだろう!身分証がないせいで、『真っ当な仕事』に就いていないせいで…お前は自分の幸せや、人生のことを考えられないほど余裕がないと言ったんだ」

 ユージンはそう言った後、悔しそうに顔を歪めたまま言葉を続ける。

「俺はハジメが欲しい。働く必要なんてない。ただ俺の側に居てくれればそれでいいと思っている。だが、お前がそこまで自分を追い詰めていたのなら……俺は、ハジメが俺のことを考えられるまで待つつもりだ」

 俺を頼れ、力強いユージンの言葉が俺の心をぐずぐすになるほど抉ってくる。ずっと、一人で…自分の力で生きていこうと思っていたのに。いい歳した大人の男なのに…なんて情けないんだろう。
 覚悟を決めて男娼を始めたのは自分だ。嫌な仕事でも頑張ってきた。一人で…ずっとがむしゃらに。誰にも頼ってないと思っていたけれど、本当は?ガレスさんや、カイル、レイトンやシャムス…今までいろんな人が俺を助けてくれた。支えてくれていたんじゃないのか。

 一人で頑張ってきたつもりでいただけ。本当は色んな人に俺は支えられてきたんだ。


「っ、身分証…がほしい、…っ」

 ーー俺にこの世界で生きる権利をください。
 泣きながら発した情けない俺の願いを聞いて、ユージンは優しい頷きを返してくれた。






「もうそんな本まで読めるようになったのか?」

 部屋で本を読んでいた俺に、執務から帰ってきたユージンが声をかけてきた。俺が今読んでいるのは何年か前に流行っていた推理小説らしい。難しい言葉もあるが、ドキドキハラハラする展開が続く面白い小説だった。
 ユージンは子供を褒めるように頭を撫でた後、懐から小さな封筒を取り出した。

「勉強を頑張っているいい子には褒美をやらんとな」
「っ、これ……」
「お前がずっと欲しがっていたものだ」

 封筒を開け、中身を取り出せば手のひらより少し小さいカード。そこにはハジメ・タカナシ…俺の名前が書かれてある。写真もちゃんと印字された身分証だった。

「ほぉ…ハジメの家名はタカナシなのか。異世界人の名前は変わってるな」

 ユージンの後から部屋に入ってきたユアンが、俺の手元を覗き込みそう声を漏らした。俺は感動で震える手を押さえてユージンに頭を下げた。

「ありがとう!本当に、なんて言ったらいいか…俺、嬉しいよ」
「ふん…礼がしたいなら俺と結婚すると約束しろ」
「そ、れは……」

 言い淀んだ俺に王様は舌打ちを溢した。そんな俺たちを見ながらユアンはくすくすおかしそうに笑い、ユージンがしたように頭を優しく撫でてきた。

「それ使ってどうするんだ?やりたい仕事があるんだろう」
「そう…だな、やりたい仕事か……」

 思い浮かんだのは王都から少し離れた場所にある小さな食堂だ。この世界にやってきて、カイルの家から出て…最初に働かせて欲しいとお願いした店だった。そこの女将さんに身分証がないなら雇うことはできないと断られたが、腹を空かせていた俺に無料でご飯を提供してくれたのだ。
 忘れていた記憶。その話をすればユアンはいいんじゃないか?と返してくれた。一方、ユージンは不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「…そんな店じゃなく、王宮の厨房で働けばいいだろう。俺専属の料理人になればいい」
「またその話ですか……陛下はハジメを自由にすると決めたんでしょう」
「料理人になりたいのなら此処で働いても同じだろう!」

 駄々をこねるユージンに俺とユアンは苦笑を浮かべた。この身分証が手に入れば俺はすぐにこの城から出ていくつもりでいた。勿論、ユージンには猛反対されたがやっと先日首を縦に振ってくれたのだ。
 俺に恋愛ができるまで待つと宣言したから自由にさせるしかないと判断したらしい。
 拗ねる王様が可愛く見えてしまうのだから、俺はこの暴君にだいぶ絆されてしまっている。

「明日、ユージンの専属の料理人になるよ。俺の手料理が食べたいって前に言っていただろう?」
「……明日だけではない。ずっとだ」
「ユージン…俺の夢の手伝いをするって言ってくれたのは嘘か?」

 ユージンは相当苛ついているのかトントントンと指先で机を叩いている。俺はユージンに近づき金色に輝く髪に口付けを落とした。すると腕を引かれ、噛み付くようなキスをされた。
 激しく貪られ、漸く解放されたと思えば大きな掌が身体を怪しく触り出した。

「ゆ、ユージン!」
「陛下…ハジメは男娼を卒業したんですよ」

 ユアンの言葉を聞いてユージンは額に青筋を浮かべた。

「俺は元々こいつの客じゃない」
「俺もハジメを買ったことはないですよ。金銭のやり取りなしで抱いてましたから…なぁ、ハジメ?」

 いつも通りの言い合いが始まり、俺は小さく溜息を吐いた。




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