カイルの迷い

 

『ーーまた返事を聞かせてくれ』

 プツリと通信が切れて俺は肩の力を抜いた。脱力したまま天井を見上げる。
 さっきの話し相手はウィップさんで、ブルームーンの話をされていた。

『裏稼業から手を引かせてください、お願いします…』

 俺がそうウィップさんに伝えてから数週間、ウィップさんはずっと俺を説得しに連絡をくれていた。まさか俺が辞めたいなんて言うと思っていなかったのだろう。俺もずっと続けると思っていた。貴族様相手に汚い仕事をし続けよう、前の俺はそう思っていたんだ。

 あいつ…ハジメに変われと言われてから俺はおかしくなった。いや、ハジメに出会ってから少しずつおかしくなっていたのかもしれない。

 こんなに狂おしいほど何かが欲しいと思ったのは初めてだった。

 今まで自分がしてきた行動を振り返ってみればハジメに説教されて当然であり、あいつに嫌われても仕方がないことをしてきた。ハジメと出会ったとき何であんなことしたのか、時間が巻き戻せるなら当時の自分を殴ってやりたいくらいだ。
 もっと違う行動をしていたら、なんて考えていても無駄だとわかっているから余計に辛い。ちゃんと行動を改めてハジメに俺を見て欲しかった。突き放すような目で見られるのはもうごめんだ。


「……簡単にいかねェもんだな」


 汚すのは簡単だがその汚れを落とすのはなかなか難しい。辞めようとしても簡単に辞めさせてくれないのは、俺がその世界を知りすぎているからだろう。
 俺は立ち上がり、クローゼットの奥にある小さな箱を取り出した。

 中に入ってあるのは俺と両親の写真だ。微笑みを浮かべる2人を見つめる。

「アンタも悩んでたのかよ…こんな、風に…っ」

 今なら親父の気持ちがわかる気がした。真っ当な人生を大切な人たちと歩みたい、そう思って親父は裏世界から足を洗おうとしたのだ。
 そんな親父を俺は馬鹿にしてた、弱い男だと。弱いから辞められずにヘマをして殺されたのだと…ずっと思っていた。でもそうじゃない、大切なものができたから弱くなるのだ。自分のことを考えて生きていれば何でもできるし、怖いものなんてものはない。
 大切なものを壊したくないから弱くなる。

「ごめんな、こんな息子で…っ」

 写真に滴が落ちて、ジワリと染みができた。まさか俺が自分と同じことをして、同じことで悩んでるなんて亡くなった親父が知ったらどうするだろうか。

 涙を拭い、番号を口にする。


『随分早い返事だね、カイル。2時間も経ってない』


 ウィップさんは名前を言わずとも俺だとわかったようだ。


「すみません、ウィップさん…次の仕事はやるつもりでしたが…もうできません」
『…カイル、よく考えろと言ったはずだ。私はそんな返事を期待していない』
「わかってます。でも、俺は…っ」


 はあ、と溜息が聞こえた。

『お前を可愛がっているがその我儘は聞けない。あんなに積極的に仕事を欲しがっていたのはカイルだろう』
「………」
『宝石を売るだけで十分に生活なんてできないだろう?貴族の繋がりも私が作ってあげたんだ、それを全て無くすなんて馬鹿なことはしない方がいい』


 ウィップさんの言葉は痛いほどわかる。面倒を見てくれたウィップさんに対して酷いことを言っているのはわかるが、俺の決意は変わることはない。

 もう一度謝り、俺は通信を遮断した。




 *




「馬鹿な男だよ、お前は」

 月明かりに照らされ、青く輝くそれを見つめながら男はそう呟いた。
 男は椅子から立ち上がりコートを羽織った。そして鞄を持ち部屋を出る。


 人の少ないひっそりとした街を男は歩いていく。その冷たい足音だけが暗闇に響いていた。



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