悲劇の夜と真実
頭が痛い。
目の前ではユージンが机に向かってペンを走らせている。俺はいつも通り壁際に突っ立っているだけだが、頭痛が酷くて壁に背中を預けている状態だった。朝から少しだけ痛みや違和感があった。その痛みがこの数時間でここまで強くなるなんて、俺は浅い呼吸を繰り返しながら額に手を当てる。
「…おい、そこにある茶を入れろ」
「……………」
「聞いているのか?……どうした」
ユージンが俺の異変に気がついたのか立ち上がりこちらに向かってくるのが見えた。目の前が白く点滅し、キーンと耳鳴りがする。真っ白で何も見えなくなって、膝から崩れ落ちた。
「ーーぃ、きこ……か、……っ!」
何を言われているのか、耳鳴りのせいでよく聞こえない。それでもユージンが慌てているのはわかった。グッと肩を抱かれ、仰向けにさせられる。視界は白いままだが、時折ユージンが此方を見下ろす顔は見ることができた。
初めてみる焦った顔にフッと笑みが溢れてしまう。冷酷人間でもこんな顔をするんだな…なんて考えていると、意識が徐々に落ちていった。
*
目の前には少年時代のユージンが立っている。夢で見た時より、少し身長が伸びて顔立ちも男らしくなっていた。
瞳は人形のように無機質で光がない。ジッと見つめる先に何があるのかと視線の先を辿ろうとすれば、すぐ目の前にユアンが立っていた。
『平民のお前は俺の騎士に相応しくない』
『…………』
『公爵家の騎士がいただろう、近衛騎士はあいつに任せることにした』
ユアンは少しだけ悲しそうに顔を歪め、目を閉じて膝をついた。懐から澄んだ空色の宝石がついたペンダントを取り出し、ユージンに差し出す。
『いつか、殿下にお渡ししようと思っておりましたがこのようなタイミングになってしまい、申し訳ございません』
『…なんだ、それは』
『殿下の母君、ユナ様がずっとつけていたペンダントでございます』
ユージンはその言葉を聞いた瞬間カッと顔を赤くし、そのペンダントを奪うように取る。何を思ったのかユージンは息を荒げながらそれを遠くに投げ捨ててしまった。
『あんな女の物などよく渡そうと思えたものだ。お前の顔なんて二度と見たくない、消えろ!』
そう怒鳴った声は酷く憎しみに満ちていた。ユアンは首を垂れて、ゆっくりと立ち上がった。
『……お前も、そうなってしまうんだな』
ユアンがそう呟いた声はユージンに聞こえていない。諦めたような、吹っ切れた様なそんな顔をした騎士はユージンに背中を向けて去って行った。何が、どうしてこんなことになったのだろうか。
幼い頃のユージンにはまだ優しさがあった。民や、国を思う気持ちがあったように思えた。ユアンに対して心を許していたように見えたのに、何故こんなことになっているのだろう。
場面が切り替わり、見慣れた城の中に俺は立っていた。いつもと違うのは床や壁が赤く染まっていることだろうか。床には胴と首が離れた死体が転がっている。中にはあの教師の姿もあった。あまりにも残酷で惨い死体に嗚咽が漏れた。迫り上がってくる胃液を吐き出し、ギュッと目を閉じれば、何かの物音が奥の部屋から聞こえてきた。
俺はその音が気になって、恐る恐るそこに向かった。
扉を開けた先には、壁に追い詰められたユージンと血に濡れた剣を持つユアンが立っていた。ユージンは絶望した表情でユアンを見上げている。ユアンはユージンの首に手を回しギリギリと力をかけていく。
だんだんとユージンの顔がどす黒く変色して行くのが見えて、俺はユアンの腕を掴んだ。当たり前だが、ユアンは俺の手の感触を感じていない。
『…お前が王になる資格はない』
ユアンが冷たくそう言い放つと、ユージンの抵抗がなくなった。ユージンは何か伝えようと口を動かすが、掠れた息の音しか聞こえない。くたりと体から力が抜けて、ユージンは気を失った。
「もうやめてくれ、ユアン!ユージンが死んでしまう」
俺はユアンにそう叫びながら、その顔を見上げた。
「……っ」
そこには、無表情で涙を流すユアンがそこにいた。その表情を見て、俺は全てを察した。ユアンもユージンのことを好きだったんだ。こんなことしたくないんだと、そう思った。
先程の死体のように首を切ればいいのに、ユアンはその手で首を絞めているだけだ。ユアンはユージンを殺すつもりはない。
ユアンは意識を失ったユージンの首から手を離し、静かに部屋を出ていった。何か怒声や争う声が遠くから聞こえてきたが、俺はその場に崩れ落ちた。こんな変なものばかり見せられて疲れ切っていた。
横たわっているユージンも血の匂いも何もかもが嫌で、蹲りながら涙を流した。
「ーーーごめんなさい」
どこからか澄んだ女性の声が聞こえて顔を上げる。目の前に赤髪の美しい女性が立っていた。女性は膝をついて、ユージンの髪を撫でている。慈愛に満ち溢れた顔や、オーラはどこかこの世の物とは思えないほど美しい。
「もう…この子を救いだせる希望は貴方しかいないのです」
「なに、言って…」
女性の空色の瞳に既視感を覚えて、まさかと俺は背筋が寒くなった。肌が粟立っていくのを感じた。
「私はユナ。この子の母親です」
言われてみれば顔立ちもどこかユージンに似ている。母親がどうして、そう思ったが俺は口を魚のように動かしただけだった。人は驚きすぎると声が出ないようだ。
「何故、私が貴方に夢を見せているのか…いいえ、この事だけではありません。貴方たちをこの世界に呼んだことも説明しなければいけませんね」
そう言って悲しげにユナさんは微笑んだ。世界に呼んだ…その言葉に酷く胸がざわついて俺は震える手を握りしめた。
「最初に言いますが、私は人ではありません。あなた方の言う、神という存在です。私は人というものが好きで…その生活や全てに憧れていました。だから、私は…周りの神の反対を押し切って人間になったのです」
*
人になってから、毎日が本当に楽しかった。美味しいものを食べたり、本を読んだり…全てが刺激的で神であることを忘れて生きていました。
でも、私は目立ちすぎてしまった。神である私は魔力が人より何倍も強かったのです。いつしか魔法省で雇われるようになり、魔女と呼ばれるようになりました。
そんな中で、私はダルトワ…この子の父親に見そめられました。恋愛なんてものをしたことがなかった私は、初めての恋に溺れました。ダルトワが愛しくて、愛しくて…神として間違いをおかしてしまったのです。
神と人間が交わることは許されなかった。ましてや子を作ることなんて…それでも私はダルトワとの子を身籠りました。他の神が許してくれる筈もなく…神達は私の居場所をなくそうと画策したのです。
私は周りに忌み嫌われるようになりました。理由なんてありません。神がそうなるように周りの印象を操作したのです。この血のように赤い髪は呪いの証だと、そう言われ始めたのは少し後からです。
その頃にはもう私の周りには誰もいなかった。ダルトワも私を妃にすることをやめて…会おうともしませんでした。
この子…ユージンを産んだ時、お祝いしてくれたのは…そう、ユアン・マーチスただ1人だけでした。騎士団に入ったばかりの彼はまだ幼かったけど、まっすぐな瞳は今でも思い出すことができます。
私は日に日に弱っていって、最後は衰弱死しました。そうなることは予想できた筈なのに…私は人としてこの子と…ユージンと共に生きたかった。
後は…わかりますね?呪われた魔女の子供として産まれたユージンは周りに避けられて、嫌われて…そう過ごしていくことになってしまった。
ダルトワは私を嫌っていましたが、ユージンは自分の子供として扱ってくれたことはまだ救いだったと思います。
愛を知らないこの子は歪んでしまった。ユアンが騎士になって、この子を導いてくれると思っていましたが…それも全部悪い方に向かってしまいました。
人を信用せず…力に固執して、貴方の知っているユージンになってしまったのです。
このままではユージンが壊れてしまう。そう思って私はナギサをこの世界に呼びました。
でも…ナギサという少年ではユージンを救うことはできない。逆にユージンは神子の力を欲しがるようになってしまった。神子なんて存在しない、神の子はユージンなのに。
ええ…そうですね。ナギサという少年だけ召喚するつもりでした。手違いで貴方まで巻き込んでしまったことは本当に申し訳ないと思っています。
*
「なん、だよ…それ。じゃあ、俺は…」
「ごめんなさい…私は貴方に辛い思いを沢山させてしまいました。本当に、ごめんなさい」
「ごめんなさいじゃないだろ、俺がどんな目にあったかアンタ知ってんだろ」
勝手すぎるよ、何もかも。
俺は悔しくて、ぐちゃぐちゃの感情のままそう吐き出した。この世界に来て、酷いことや辛いことは山ほどあった。なんとか今の今まで生きてきたのに、ここにきて巻き込まれて異世界に連れてこられたなんて。そんなこと知りたくもなかった。
「勝手で厚かましい願いなこと、わかっています。それでも、私はあの子に幸せになってほしい…親としてそれは出来なかったから、だから…」
「だから代わりに俺がユージンを幸せにしろだって?ふざけんなよ、俺があいつに犯されて殴られてるのも見てるくせによくそんなことが言えるな」
ユアは涙を流しながら、俺の脚に縋りついた。
「あの子は、ユージンは貴方と出会って変わり始めてる!無防備な姿を貴方には見せているんです、そんなこと…今までなかったのに…っ」
脳裏にユージンの寝顔が思い浮かんだ。ジクジクと胸が抉られるように痛くて、苦しい。
「お願い…っ、お願いします!ユージンを助けて、あの子に愛を教えてあげて…」
私にはもうできないから、そう泣き崩れる姿を見下ろす。何で俺がしなきゃいけないんだよ。勝手に人を巻き込んで、家族とも友人とも会えない、孤独になって辛い思いをしたのは俺だ。
下唇を噛み締めすぎて血の味がする。横たわる少年を見つめ、今まで見てきたユージンが走馬灯のように流れていく。
「………わかった」
そう呟いた俺にユアは泣き笑いのような笑顔を見せて、光の粒になって消えた。
俺は何とも言えない気持ちが溢れて、唸り声をあげた。床を何度も叩き蹲る。こんな理不尽な目にあったとしても、あんな可哀想な少年を放っておけるはずがない。何で自分が、そう思っても見過ごすことはできなかった。
これほど自分の甘さが嫌になったことはない。
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