神子と王様
「すみませんが、これを執務室に持って行って欲しいのです」
メイド服を着た女の使用人がそう言ってそそくさと帰っていく。なぜ俺が、そう思って気がつく。あの使用人はユージンが俺を犯した際にいた人の1人だと。
ユージンを恐れてお茶すら入れたくないらしい。俺は溜息を吐きながらカートを押し歩き出した。
あの日以降、特に問題は起きていない。ユージンはいつも通り無言でいる時が多い。寝る前に少し話して眠る、それだけだ。暴言も吐かなくなって、比較的良好な関係になってきているような気がする。
あくまで気がするだけだが。
長い廊下を歩いていると、背後から急に抱きつかれた。びっくりして振り返れば、自分と同じ黒髪が目に入る。
「ナギサくん」
「ハジメさん!本物のハジメさんだ…!」
目が潰れそうなくらい眩しい笑顔を見せられて、俺は目を細める。涙を浮かべ喜ぶ姿は元気そうで安心した。
「ナギサくんはどうしてここに?」
「あのね、オレと一緒に逃げてほしい。ユージンは頭がおかしいんだ。オレの次はハジメさんを閉じ込めようとしてる…だから早く逃げよう!」
ナギサくんは俺を抱きしめながらそう言った。勿論俺も出来ることならそうしたい。
でも、辛そうなユージンの姿を思い出すと頷けなくなってしまう。よくない傾向だななんて思いながら俺は首を横に振ろうとした。
「ハジメ、そこで何してる」
凍りつきそうなほど冷たい声が背後から聞こえた。恐る恐る背後を振り向けば、執務室からユージンがこちらに歩いて向かってきていた。嫌な予感がして冷や汗が一気に吹き出してくる。
「ユージン、ハジメさんとオレをここから解放しろ!オレ達はここにずっといるつもりはないし、もうお前といるのはうんざりなんだよ!」
「…誰に向かって口を聞いている。役立たずのゴミが」
ユージンはナギサくんの襟元を掴むと壁に投げつけた。背中を派手に打ったナギサくんは咳き込み床に膝をついた。唖然として動けなかったが、俺はユージンの腕を掴み必死に止めた。その瞳は俺を一瞬見ただけで、すぐにナギサくんへと向けられた。
「やはりお前を殺すべきだったな」
「っ、やっぱり最低だ。神子だからって生かして閉じ込めたのはお前だろ!」
「神子なんてどうでもいい。お前と居たところで力も何も手に入らなかった。利用価値はもうない」
ナギサくんは立ち上がりユージンを睨みつける。
ユージンの指先が動くのをみて、俺はユージンに抱きつき声を上げた。
「ユージンやめてくれ!」
「腕を離せ」
「こんなの間違ってる、落ち着いて話し合おう」
ユージンはずっとナギサくんを睨みつけていて、もう俺の方を見ようともしなかった。廊下の端にあった花瓶や壁にかかっている絵画が浮かび上がり凄い速さでナギサくんのもとに飛んでいく。もうダメだ、俺は目をギュッと閉じるが割れる音も悲鳴も聞こえなかった。
「…陛下、そこまでだよ」
長髪の金髪が見えて、俺は体の力を抜いた。花瓶や絵画が元の位置へ戻されていく。レイトンは此方に近づくと、ナギサくんの腕を掴みゆっくり起き上がらせる。
「そこを退け、レイトン」
「嫌だね。君、神子を殺す気なんだろう」
「だったらなんだ?こいつはもう必要ない」
レイトンは呆れたように溜め息をついて、俺に目を向ける。その瞳が少しだけ優しく感じたのは気のせいだろうか。
ユージンを見上げれば、こめかみに青筋を浮かばせて今にもレイトンを殴りそうなほど怒っているのがわかった。
「禁術をまた使うの?」
「…だったらなんだ」
「陛下はハジメに好かれたいんでしょ。そんな癇癪ばっかり起こして誰彼構わず殺していたら、ハジメに見放されるよ」
ユージンは顔を歪めて苛立ったように俺の腕を振り解いた。何も言わず部屋に戻っていくユージンに付いていくべきか、ここに居るべきか迷ってしまう。
「神子は僕に任せて、ハジメは陛下のところに行ってあげて」
「ダメだ!ハジメさんも一緒に…っ」
「君は僕と一緒に離宮に戻るんだよ」
思わずレイトンの名前を呼べば、ウィンクで返された。ナギサくんも心配だけど、ユージンも心配だった。俺はナギサくんの手を握り謝る。
「ごめんね、ナギサくん。俺ユージンが放っておけないんだ」
「そんな…っ危ないよ!あいつといたら!」
「わかってる。でも、ごめんね…ありがとう」
泣きそうな顔をしたナギサくんに別れを告げて、ユージンの部屋へと向かった。何度も名前を叫ばれて胸がキリキリ痛んだ。それでも俺は王様を放っておけない。
部屋についてゆっくり扉を開ける。
「っ…何してるんだ!」
手から血を流しているユージンがそこに立っていた。姿見の鏡が床に散らばっている。俺は駆け寄り近くにあった適当な布で傷を抑える。痛いはずなのにユージンの顔は無表情だった。
ぼんやりと空を見つめる姿は何故か寂しそうに見えた。俺は使用人に手当てをするための道具を持ってくるように頼んだ。暫くして届いたそれを使い、消毒をしていく。
幸いにも傷口に破片は入っていない。
「…こんな傷くらい自分で治せる。知っているだろう?」
「だったら早く治せばいいだろ。治す気が無いなら黙っててくれ」
何も言わなくなったユージンの手に包帯を巻いていく。少しだけ滲んできた血の色に俺は眉を顰めた。この男は本当に馬鹿だ。
「お前は何故、俺に優しくするんだ。憎くて仕方がない筈なのに…」
「憎いとかそんなの関係ない。困ってる人がいたら助けるし、アンタみたいに怪我をしている人がいたら手当する。当たり前の話だろ」
「………」
ユージンは苦しげに顔を歪めて俺を抱きしめた。
「俺は…人に愛されたことがない。俺の近くにいる奴らは俺を慕ってここにいるわけじゃない。ただ、俺が王だから…役職に従って近くにいるだけだ」
「ユージン…」
「愛なんてどうでもいいと思っていた。愛されなくてもいいと…でも今は、お前に愛されたくて仕方がない。お前の愛が欲しい」
ーーどうしたら俺を愛してくれる?
どこか幼い言葉つがいでユージンはそう問いかけてきた。
この男は嘘をついている。愛なんてどうでもいい、そんなこと思ってなかった。本当はずっとずっと愛に飢えていた癖に。
俺はユージンを離し、部屋の隅にあるチェストに向かった。何も入ってない引き出しを開けて、それを取り出す。
「これ、ユージンに返すよ」
目の前に差し出されたそれを見て、ユージンは目を見開いた。ユナのペンダントをこの人は覚えているのだろうか。
ユージンの反応が怖くて心臓の脈拍が少しだけ速くなった。
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