許すということ
ユージンの薄く形のいい唇が細かく震えている。宝石と同じ色の瞳が大きく揺れ動き、俺の掌にあるそれを見つめていた。
俺は煩い心臓の音を耳の奥で聴きながら、ユージンの前に膝をついた。開いた窓から入ってきた風が金色の髪を揺らす。そして、ユージンは何も言わず俯いてしまった。
「……………」
どれくらい時間が経ったのかわからない。何分間、何十分そのままでいたのだろう。長い沈黙を破ったのはユージンだった。
「何故、それを持ってる」
低い声がボソリと呟くようにそう言った。覇気のない、弱々しい声。
俺は親指でそっと空色の宝石を撫でた。ユージンはやっぱりこのペンダントを覚えていたようだった。
「これは…ユージンが持っておくべきものだ。受け取ってくれるか?」
「……ユアンと会ったのか」
「ごめん、でも俺は…っ」
これを渡したかったから、そう言おうとすると、いきなり手首を掴まれた。力強く握られ、骨が軋むような痛みが走る。顔をあげたユージンの瞳は怒りと戸惑いの色が浮んでいた。
「俺があいつに何をされたか知っているだろ!それなのに、お前はあの男と会って…こんな物を受け取ったのか」
「ユージン…っ」
「お前も俺を裏切るのか!?ユアンと共に俺を殺すつもりなんだろう!」
「ユージン!話を聞いてくれ!」
叫ぶユージンに負けじと俺も声を張り上げた。驚いたのか手首を握っていた力が緩み、俺はその手を振り解いた。ユージンが傷ついた顔をしたのを見て、今度は俺がその手を掴んだ。大きな掌にペンダントを乗せて、ユージンの手ごとギュッと握り締めた。
「誰にも愛されてないって、愛されたことがないってお前は言っていたけど…それは違う」
「違わない、俺はずっと一人だった」
「一人じゃない、ちゃんとユージンは愛されていただろう。お前の母親ユナに、そして…ユアンに」
ユナの名前を口にすると息を飲む音が聞こえた。夢のことを、ユナのことを言っていいのかわからない。それでも伝えないといけない。ユージンは望まれて産まれてきたのだと伝えないといけない、そう思った。
「俺は…夢の中でユージンの過去を見た。周りに蔑まれ、疎まれ、人形みたいに生きていた姿も。ユアンと出会って、笑顔を取り戻した姿も見たんだ」
「嘘をつくな、そんなことあり得るわけがない」
「嘘じゃない!ちゃんと知ってる…ユージンがスラムもこの国の一部だと言ってくれたこと。あのクソ教師パレストンがお前のことを否定したのを見た時、死ぬほどムカついた。優しいお前の考えが正しいってずっと言いたかったんだ」
俺は傷痕が残る手の甲、指先を優しく撫でる。一つ一つ触るとそれは盛り上がっていたり、硬くなってカサついているところもあった。
「立派な王になろうと頑張ってたよな。泣きながら、傷つきながら、剣も魔法も勉強も…皆んなに認められるように、ずっとずっと頑張ってた」
「やめろ…俺は、違う、そんなこともう忘れたんだ!」
「なら全部思い出すように俺が見たこと教えてやる。お前が、ユージンが忘れたって俺は嫌なくらい覚えてるんだから」
ユージンは信じられないものを見るような、どこか怖がっているような目で俺を見つめる。手から伝わる震えが孤独な王様の気持ちを表しているような気がした。
「俺が見た夢は…ユナが見せてくれたんだ」
「…………」
「ユナがお前を救いたいからって、俺にユージンの過去を見せた。正直、お前の過去は辛すぎて…見たくなかった。虐げられてるお前をみるのも、ユアンがお前を殺そうとした夜も…」
頭の中に浮かぶ数々の場面を思い出し、俺の胸が鈍い痛みを訴えてくる。
「全部見せられた後、ユナが出てきて…ユージンを助けてくれって頼んできた。幸せになってほしい、そう言ってきたんだ」
「そんなバカみたいな話を俺に信じろと言うのか?だいたい、あの女のせいで俺は…っ」
「わかるよ、ユナは勝手な女だ。今までお前が受けてきた仕打ちを考えると、恨んでしまうだろうな。お前を一人きりにして、辛い思いを沢山させた」
ーーそれでも、ユナはユージンが産まれてくることを望み、亡くなってからもユージンが幸せになれことを願ってる。
そう言いながら、少しでも俺の気持ちが伝わるように言葉を紡ぎ続ける。
「…ユージン、俺が許して欲しいって言ったの覚えてるか?」
「ゆる、す……」
「酷いことをされたり、死にたいくらい辛い思いをしても…一つ一つ向き合って、自分の中で区切りをつけることが大事なんだ。向き合って、吐き出して、対話して…最後に『もう昔のことだ』って許して流す」
脳裏に浮かぶのはこの世界に来た日のこと。監禁されたこと。薬物を打たれそうになったこと。俺だってまだ許せてないことだらけだ、それでも前を向いていられるのは少しでも許していけているから。
「全部を許せって言われても難しいのはわかる。でもずっとそのことに囚われて、自分を不幸にしていくのは違うんじゃないか?」
「…俺が自分を不幸にしてるって言いたいのか」
「そうだ。だってお前はずっと過去に囚われて、自分の首を締めて苦しんでいっているだろう。俺はもっとユージンを…自分を楽にしてあげて欲しいんだ」
空色の瞳から涙がぽたりと落ちる。いつもの無表情じゃなく、瞳を揺らし涙を流すその顔は迷子の子供のように見えた。俺は微笑みながらユージンの両手を胸に抱き、こつりと額同士を合わせた。
「最初はユナと向き合おう。俺がユナと話したこと伝えるから」
「俺を孤独にした女を最初に許せと…そんなことできるとは思えないが」
「できなくてもいい。少しでもユナのこと考えて欲しいんだ」
ーー俺に夢まで見せるほど息子のことを愛しているのに、その息子が恨んだままなんて可哀想だろ?
少し冗談まじりにそう言うと、ユージンは切なく顔を歪めた。その後、緩く口角が上がりペンダントを持つ手がグッと力がこもったのがわかった。
俺はユナが神だったことを伝えなかった。自分をバケモノだと言ったユージンに言えるはずがない。
ユージンは俺と共に仕事をして、夕食を食べて、共に寝台に入る。以前のように俺を怒鳴ったり蔑んだり、暴力を振るうことはなくなった。勿論、無理矢理犯すこともしなくなった。
執務室でぼんやり壁を見ているだけの俺に本を渡してくれたり、たまに簡単な書類整理を任されることもあった。書類整理をするときに時折書いてある文字がわからなくて尋ねると、ユージンは簡単な読み書きの本を俺にくれた。
そんなユージンに吃驚して目を白黒させた俺を見て、冷徹非道だった男は小さく口角を上げて微笑んだ。間違いなく、ユージンは変わってきている。
湯浴みを終えてユージンの部屋に戻ると、男はガウンを羽織りワインを飲んでいた。戻ってきた俺に気づいて、小さめのグラスを差し出される。断ろうかと思ったが、高そうなワインを有り難くいただくことにした。
「…落ち着くな。今夜はよく眠れそうだ」
ポツリと呟く低い声を聞いて顔を上げると、ユージンは首に下げているペンダントを触っていた。ユナのペンダントを着けているユージンに少し嬉しくなった。ユナが今の息子の姿を見たらすごく喜ぶんだろうな、なんて思うと胸が暖かくなる。
「それ、ユージンに似合ってる」
「そうか?このペンダントを初めて見た時、憎しみの気持ちしかなかったのに…今はこうやって身につけているのが少し不思議だな」
「変わって来てるってことだろう?ユナも…ユアンも喜ぶはずだ」
形のいい眉がぴくりと動いた。ユアンの名前に反応したんだろうか、その名前を出す必要はなかったのに言ってしまったことを悔やんだ。
この前のように怒るのかと思ったが、ユージンはそのまま黙り込み1人寝台へと向かっていった。俺はそのまま横になる姿を見つめながらワインを飲み干した。
久しぶりに酒を飲んだからか頭がふわふわしてくる。寝台に近づき、俺も乗り上げユージンのそばに座る。こちらに背を向けて横になっているからどんな顔をしているのかわからない。
「ユアンの名前すら聞きたくないのかもしれないけど…ユアンもアンタがそのペンダントを持っていてくれて喜んでいると思う」
「…………」
「……ごめん」
待っても返事がなく、悪いことをしたなと思い俺は小さく謝った。
そのまま仰向けに寝転び、暫くして隣を見て、俺はユージンに背を向けるようにして寝返りをうった。
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