後悔はないように
ついこの前までは必死に机に伏せていたのに、
それを終えるとどうしてこうも呆気なく過ぎて
しまうのかと月日が経つ早さに驚き、自分の目
の前で幸せそうにオムライスを頬張っている
美月を松川はぼんやりと眺める。
一緒に勉強をし始めた頃、何となくよそよそしい
態度を見せていたはずの彼女は、今となっては
自分に気を許してくれていて、緩む彼女の表情
を見ているとつい嬉しくなり、松川の口からは
小さな笑い声が漏れてしまっていた。
『今、変な顔してなかった?』
「いや、幸せそうに食うなーって。」
『それ、絶対に変な顔してたじゃん!』
ほんのり頬が赤くなる彼女を揶揄ってニヤリと
笑い、こうして彼女と2人きりで向かい合って
食事を摂るのも最後かもしれないと思うと、
ため息を吐きたくなる。
県内から離れないと決めたのは、自分自身だ。
分かっていても、美月や岩泉達が東京に行く事
がいざ決まれば、自分が傍にいない事に悔しさ
を抱いてしまい、焦り始める自分もいた。
「美味しそうに食べるのはいい事よ?」
『絶対に今の顔、間抜けだったでしょ。』
「そんな事ない、可愛いって。」
『松川はまたそうやって、揶揄う。』
割と彼女には正直な気持ちを伝えているのだが、
それを彼のお世辞が上手いだけだと捉える美月は
毎度素直に受け取らない。
羞恥の表情から、次は返答に困って目を泳がせる
美月を松川は何度見ても飽きないと思いながら
頬杖を付くと目を細め、マイナスな思考は今は
取りやめて、この貴重な時間をしっかりと満喫
していた。
「美月は、卒業旅行行くの?」
『行きたかったんだけど、友達と予定がなかなか
合わなくて、夏休みに行こうって話になった。
松川は、徹達と行くの?』
「こっちも未定だわ。どうすんだろうな?」
『その前に車の免許も戻らなきゃだし、
なんだかんだ大忙しだよね、卒業後って。』
「俺は誕生日のお陰で取れるのもギリギリだし、
それこそ夏にとる予定だわ。」
『そうだよね、松川大人っぽいからつい忘れ
ちゃうけど。』
「人はそれを老け顔という…。」
遠い目をする松川に美月は困った顔で笑って、
そんな事ないと彼女が否定をする前に、後ろから
2人の会話を耳にして、吹き出す音が聞こえて
きた。
「…及川、帰りに肉まん奢りな?」
「何でだよ!自分でさっき言ってた癖に。
てか、まっつんこそ何ちゃっかり有言実行して
んのさ。俺も誘ってよ!」
『徹、行く時にパン買ってなかった?』
「あれは、三限目のおやつ!美月を探したら
もう教室からいないし、2人共早過ぎだって。」
ずかずかと怒った口調で及川は美月の隣に座り、
そのエネルギーは一体どこに使うのか、及川は
さぞ当たり前といった様子で、ボリュームある
定食をテーブルに置いて、2人より少し遅めに
昼食を摂るも、食べるスピードは早かった。
せっかくのまったりタイムを邪魔されて、松川
はつまらなそうにしていたが、及川はそんな事
は岩泉同様お構い無し。
寧ろ、岩泉に限らず油断も隙も与えてなるものか
と目で訴えて、松川はそこまでするかよと心の中
で悪態をついていた。
「話が聞こえてきたけど、美月達は卒業旅行は
行かない事になったの?」
『そうそう、その代わりにお泊まり会はする事
になったよ。それなら、用事があって途中で
帰れるだろうから集まりやすいし。』
「うんうん、そっちの方が旅先で変な輩に
絡まれないだろうし、安心だね。」
「何かあっても岩泉が駆けつけそうだけどな?」
「止めてよ、本当にやりそうだから!」
美月が友人と立てていた卒業後の計画を及川は
以前からその話題を知っていて心配だったのか、
彼女の説明を聞いて安心したらしく、深く頷いて
いた。
「だってどっかの誰かさんみたいに、隙あらば
アプローチかけようとする輩もいるもんね。」
にっこりと爽やかな笑顔とは反対に、その言葉
は明らかに松川に向けられたものとなる。
ピクリと松川も眉毛は不覚にも動いてしまったが、そこは動じず、大人な対応を心掛けようと
する。
「そうだね、余裕が無いどっかの誰かさんみたい
な輩もいるしね。」
その返事に今度は及川の眉がピクリと動いたが、
松川は口角を上げて、向かい合う爽やかな笑顔
に対抗した。
「遠距離同士、これからも仲良くしような?」
「それはそれは、光栄だね。」
彼女に気持ちを振り向かせる前に、まずは厄介な
この壁を何とかしておきたい。
そしてその壁はもう一つあって、卒業後も彼女の
傍にいることはもう決まっている。
『いつもの癖でついここで待っちゃった。』
せっかく距離は縮まっていたのにと、そんな不満
を持っていても、放課後、下駄箱の前で自分を
待っていた美月を目にしたら、彼もその一瞬
だけは忘れる事が出来た。
それは、オフの日に2人が決まって顔を合わせて
いた月曜日。
もう、勉強を必死にする必要は無くなったが、
無意識に美月は松川の所へ立ち寄ったらしく、
少し恥ずかしそうに笑っていた。
「俺もつい癖で今日はどこ行こうか悩んでた。」
松川は緩みそうになる口元をギュッと締めて、
じゃあ、出かけちゃおう!と楽しそうに笑う
美月を独り占めしたいと願う彼は、厄介な恋敵
に見つかってしまう前にと歩き出す。
「悪いけど、こっちも譲れねえんだわ。」
自分よりも会うのが難しくなってしまう相手に
情けなんてかけられず、ぽつりと吐いた素直な
言葉。
それは、もう一人の彼女と共に過ごす時間が長い
人物にも向けられていて、彼とはまた別の場で
謎の張り合いを見せたりもしている。
『そういえば、誕生日と卒業式が一緒だよね?
せっかくだから、早めのお祝いしよっか。』
「それ、すっごく嬉しいわ。」
『あ、矢巾もお祝いしてあげなきゃだね。』
「じゃあ、差し入れも買うか。」
『先輩、優しいね。』
はにかむ彼女にふふんと鼻を鳴らして大人びた
素振りを見せて、心の中では自分の誕生日を先
に祝ってくれる事に胸を高鳴らせる。
これを最後とは言いたくない。
松川はそう心に決めて、隣で歩いている美月に
視線を向ける。
「夏休みとか、遊んでくれよ?」
『それは、こっちのセリフだよ。』
「東京にも、遊びに行くわ。」
『それ、凄く嬉しい!皆で集まろう…って、
徹が拗ねちゃうかな。』
「きっと、拗ねるだろうな。」
こんな時にも及川の名前が出るのは不服だが顔
には出さず、仕方の無い部分だと割り切った。
歩いていると自然と距離は縮まっていたのか、
美月の小指がちょこんと自分の小指に触れて、
その部分が熱を持つ。
夏に恋人ごっこだとふざけて触れる事が出来て
いた彼女の手をその時の松川は、握り締めれず
にいた。
「肝心な時、意気地無しなんだよな。」
『意気地無し?』
「いや、こっちの話。」