戸惑う自分
7月に入ってからの及川の様子がが変わった事に気がついていた美月は、及川の言葉を聞いて、
色々とその理由なり行動なりが繋がった。
『おめでとう、徹。』
あの人に会えたんだ。悩みが解決したんだ。
彼女はよかったよかったと祝福の言葉を述べ、
自分でも上手く笑えた事を褒めたかった。
及川に告げられたものは、愛の告白では無く、
彼女も多少は想像がついていた未来の話を
されただけなのに、いざその言葉を耳にすると
現実を上手く呑み込めず、素直に喜びたいのに
気持ちが追いつかなくて、それに戸惑う。
『その様子だと、私が聞くの最後かな?
皆知っていたのは、妬けちゃうな。』
駄目だ、このままだと泣いてしまいそうだ。
そう考えた美月は、彼らに心配をかけまい
と、平然を装い1人でトイレに行くと言って、
その場から抜け出した。
卒業すれば自分だって、故郷を離れていく。
それに岩泉だって、他の皆だって同じなのに、
何故、今こんなに胸が苦しくなるのか。
こんな近くにいた彼が、一気に遠い存在に
感じてしまったのはどうしてなのか。
皆から隠れて泣く事なんて、慣れっこだ。
少し皆から離れた場所で涙を落として、
取り乱している気持ちを落ち着かせるだけ。
そうだ。少し驚いただけで、別に大した事
なんて無い。
そう言い聞かせながら、顔を伏せて歩いていると、美月は人とぶつかってしまった。
周りを見る余裕も無くなるくらいに動転する
自分を情けなく思いながら、相手に謝って顔
を見上げるとそこには牛島の顔があった。
「美月?」『若利君?』と二人の声はピタリと
揃い、彼もここで美月に会うとは思わなかった
からか、お前も来ていたのかと少し彼は驚いて
いて、ビックリだねと彼に笑いかけた。
ああ、何でこのタイミングでと美月はばったり
と出会ってしまった彼を見て、今は出来れば
会いたく無かったと思いながら、無理矢理に
笑顔を作る。
「試合前の息抜きだと、天童に誘われて来て
みたのだが…。」
だが、牛島はぶつかった際に落ちた雫を見逃さ
なかったのか、すぐに心配する表情に変わり、
泣いていたのか?と膝を屈めて、彼女の顔色を
伺った。
自分を見て、悲しそうな表情に変わる牛島を
見ると、美月も強ばった顔が緩んでしまい、
頬には一筋の涙が伝う。
牛島はそんな彼女の表情を見て目を丸くさせ、
この場所だと目立つからと、彼は人混みを避け
る様に彼女の手を引き、人目が少ない脇道の
方向へ2人で移動した。
涙を見せたくない彼女の気持ちを汲み取ったの
か、彼は自分の胸へと抱き寄せて、ただ黙って
彼女が落ち着くのを一緒に待つ。
ああそうだ、ここにいる若利君だって、
今よりもきっと遠い人になってしまうのに。
私は何をやっているんだ。
美月は牛島の胸の鼓動を聞きながら、そんな
考えがふと頭を過ぎり、彼のその優しさが、
少しだけ美月の気持ちを自然と穏やかに
させた。
『ごめんね、もう大丈夫。』
「泣いていたら、綺麗な姿が台無しだ。」
しばらくしていたら段々と涙も引き、彼女は
ゆっくりと自分の顔を上げる。
最後に流した涙を指でゆっくりと拭われて、
彼の褒め言葉が少し擽ったくて、くすくすと
笑い声に変わると、彼もその調子だと安心する
様に柔らかく微笑む。
「やっと笑ったか。」
泣いた理由を聞かない彼に感謝をしながら、
『ごめんね』と牛島に謝れば、彼は首を横に
振り、お前の気が紛れたならよかったと言って
彼女の額を優しく撫でた。
「お前に似合ってるな、その浴衣。」
せっかくなら一緒に見たかったと、彼女の姿
を見たら、惜しむように彼が言うので、それに
恥ずかしくなった美月は私なんか!と必死に
手を振って否定をするので、牛島は面白いやつ
だとくすくす笑って、彼女と共に過ごせた相手
を羨む。
『そういえば、天童君が驚かない?!
若利君がいないって…。』
「それなら、瀬見達も一緒に来ているので
問題ない。そう言うお前は心配されないのか?」
『あ、私も徹達と一緒に来て…。』
牛島は美月が恋人と一緒に来たのでは無い
ことに安心しながらも、彼らは彼らで気分が
上がる訳ではなく、「そうか。」と抑揚のない
声でぽつりと吐いた。
及川達が口煩いことを牛島も中学生の頃の
付き合いからか把握しているので、時間は
大丈夫なのか?と首を傾げて美月にそう
尋ね、彼女は今の自分の状況に気がついて、
彼女の動きが止まる。
しまった、嘘をついてきたんだった。
青ざめた顔で彼を見ると、コロコロと表情が
変わる彼女が面白かったのか、「今日も表情が
忙しいな。」と彼女に指摘した。
『ごめんね、ここでお別れしなきゃだ。』
「別に俺は構わないが、1人で大丈夫か?」
『大丈夫大丈夫!若利君、今度またお礼を
させて。あとインターハイ、頑張ってね。』
美月はそう言って手を振り、牛島と別れよう
と踵を返すと、彼は彼女を引き止める。
美月もまさか彼に引き止められるとは思わな
かったのか、若利君?と首を傾げてその足を
止めた。
「お前の応援はやはり嬉しいな。」
『そんな大したこと言ってないのに。』
「今日は特に、帰したくなくなる。」
そう言って彼は美月を再び自分の元へと引き
寄せて彼女を自分の腕で包むと、牛島に抱き
しめられて顔を真っ赤にさせる美月の頬を片手
で触れて、まじまじと普段目に出来ない姿を
彼はしっかりと目に焼き付ける。
「このままもう少しだけ、楽しませてくれ。」
恋人も邪魔するものもいないならもう少しだけ
傍にいたい。
美月の姿が自分の気持ちを自然と煽らせる
のか、気持ちも体も牛島は引き寄せられて、
その距離は段々と近づいていく。
美月も彼と同様、その綺麗で真っ直ぐな彼の、
瞳に引き寄せられそうになって、ゆっくり目を
瞑ると、「美月!」と聞こえてきた怒声に近い
呼び声に彼女は我に返り、パッと目を開いて、
声のする方向へとすぐに向いた。
『…ハジメ!?』
岩泉はそれが牛島の姿だと確認すると驚いて、
すぐに彼女を奪い返すように彼の腕を引いて、
今度は彼女の腕を掴んで、自分の腕で包み込む。
彼は涙を流してしばらく経っている彼女の様子
に気がついたのか、牛島を責めることなく、
彼女に「チョロチョロすんな、心配しただろ」
と軽く拳骨を落として、また牛島の方を見た。
「…ウチのが世話になったみてーで。」
コクリと牛島が頷いたら、岩泉は黙って踵を
返し、美月の手を引いて、及川達のいる方向
へと戻って行く。
振り返って『ありがとう。』と彼女が牛島に
伝えると、牛島は彼女に優しく微笑んだ。
『心配かけてごめん。』
罰が悪そうに岩泉へと謝ると、彼は「ビックリ
させんな。」と一言返事を返すと、一旦彼は
その場で立ち止まった。
「もう、いいのか?」
美月の顔色をじっと見て、彼女がしっかりと
頷くと、彼は眉間に皺を寄せて、彼女の鞄から
ティッシュを1枚取り出せば、美月の鼻に
目掛け、ぐりっとそれと押し付けて、「どうせ
隠すなら、貫き通せ。」と顰めっ面で、彼女の
鼻水を拭う。
優しくない口調にも関わらず、彼からの優しさは
美月にはしっかりと伝わっており、彼女は
泣いてない、花粉症。と彼に負けずに言い返す
と彼は声を出して笑っていた。
「おう、何も見てねーからな。」
彼は彼女に背を向けて、再び彼女の手を引き
まっすぐと歩き出し。美月はその背中をじっと
見つめたまま、彼の後ろを歩く。
全ては彼にお見通しなのに、黙って自分の意思
を尊重してくれる彼に、心の中でありがとうと
感謝の言葉を伝えた。
及川達と合流すれば、岩泉がトイレから迷子で
牛島に捕まってたと全部隠すのかと思えば、
厄介な情報は及川に流すので、美月はハジメの
裏切り者!と嘆けば、あ?と睨まれるので、
何でもないですと顔を引きつらせる。
牛島と会ったと耳にしたら、表情の雲行きが
変わる及川を美月は慌てて指で耳栓をして、
花巻と松川の背中に逃げるように隠れれば、
彼らも「今日は気をつけなさいよ」と苦笑いを
浮かべ、及川の前へと彼女を献上する。
そこにはいつも通りの空気が流れていて、
美月は安心するように思い切り笑った。
「もー、美月はだから一人で歩いちゃ
ダメって言ったじゃん!!!」
美月は及川のお面を奪い取ってその顔を隠し、
再び逃げようとすれば、岩泉が心配かけた罰
だと言って、彼女の為にとっておいた最後の
ベビーカステラを口にした。
「いやーん。若利君ったら大胆。」
「何だ、天童も瀬見もそこにいたのか。」
「いや、声かけ辛ぇわ。」
「美月ちゃん、可愛かったもん。
抱きしめたくなる気持ちはわかるよー。」
「俺も否定できねーが、とりあえず
工がいたら発狂ものだったな。」