困らせたいわけじゃない

花火大会が終わり8月に入れば、今週いっぱい
までは補講があったので、勉強や仕事に忙しく
なれば忙しくなる程、取り乱した気持ちも徐々
に落ち着いていき、美月は至って普通の穏やか
な様子で、日々を送るようになった。


「あぢーーーー。」


『花さーん、暑いなら引っ付かないでよ。』


8月になれば暑さに拍車がかかり、呻きながら
美月の頭に顎を乗せて、ベッタリと引っ付く
花巻を彼女は重たそうにずるずると引き摺り
ながら、汗で濡れた床を転ばないようにと
モップで綺麗に拭いていく。


普段通りの変わらぬ景色に変わらぬやり取り。


時折及川の噂を耳にした後輩がザワつく声も
聞こえたが、それよりも京谷がいよいよ来週
辺りから復帰すると聞いて、色々と彼の復帰
の準備が待っていた美月は、今はそれどころ
では無くなっていた。


花巻を引き剥がして、倉庫なら涼しいかもと
言いながら、花巻に暑かった囁かな仕返しと
いったところか、モップを渡して片付けさせ、
彼女は転がっているボールを片付け始める。


そんな中、彼女に告げた日から未だに気持ちが
晴れない及川は、邪念混ざりだとサーブの調子
も狂うのか、いつもよりも的を外してしまう
それに舌打ちをしながら、ボールをくるっと
回していた。


あの日、戻ってきた美月が涙を隠していたのは、
目尻に滲んだアイラインで直ぐに分かった。
隠し通せたものが普段しない化粧によって、
それが仇となる。


別に彼女が隠そうとするのは問題ではない。
あの時の岩泉の言葉が引っ掛かってしまい、
思い出せばまた胸が苦しくなる。
彼女が涙を見せた相手に問題があるのだ。


どうして、ウシワカなんだよ。


悲しむ顔を見たかった訳じゃないが、彼女の
本心を目にしたのが牛島だということが、
やはり彼には納得が出来なかった。
美月は及川にはいつもと変わらない笑顔を
見せるだけ。

岩泉ならまだしも、牛島と自分とじゃ共に
過ごした時間は、こっちの方が長いのに。

ああ、このままじゃダメだ。

バァァン!と怒りに任せて打ち込んでしまった
それは、今の自分の様に上手くいかず、自分の
狙った軌道と違う方向に向かって行き、彼は
しまったと目を見開いて着地する。

コントロール大きく外れた及川のサーブは、
両手が塞がる彼女の顔に目掛けて飛んで行き、
運が悪くも命中してしまった彼女は反射で
その場に尻もちを着いて倒れ込んだ。


「美月!!!!」


「何だ、接触か?」


顔を真っ青にした及川が急いで美月の元に
駆け寄ると、彼女の意識ははっきりとしていて
すぐに呼びかけに反応を見せる。

「美月、本当にごめん。」

大丈夫?と及川が様子を伺うと、美月はこくり
と頷いて返事をするが、ぽたぽたと赤い液体を
落とし、彼女が咄嗟にそれを自分の手で隠せば、
岩泉は急いでティッシュを持って彼女に駆け
寄り、他のメンバーも心配してそこに集まった。
矢巾は走ってすぐに保冷剤を持ってきた。


『大丈夫。腫れた感じはしないから
折れてない。ただ、切っただけかな?』


鼻を冷やしながら自分で痛みがないかを探り、
冷静に自分の状態を彼女は把握して皆に説明
をするので、溝口は「お前な…」と言いながら、
苦笑いを浮かべる。

そして、申し訳なさそうに落ち込む及川に、
彼女は念を押すように、『大丈夫だから。』
と笑って彼を安心させる様に声を掛けた。


「当たったのは及川のサーブなんだから、
ちゃんと病院に行くんだぞ。」


入畑にそう言われると、彼女に拒否権なんて
ものはなく、彼女はしぶしぶ頷き、そのまま
美月は溝口に病院へと連れて行かれた。


そして、そこでちゃんと異常がない事を確認を
すれば、美月が練習に戻りたいと強く希望する
ので、そのまま再び彼女達は仲間が練習する
体育館へとまた戻る。


『もう大丈夫なので!!!』


こちらがすぐに帰れと言い出す前に完全に血
が止まっている美月に心配ご無用と主張する
ように言い切られてしまったら、彼らも何も
言い返せずで、練習に戻るしかない。


時間を取り返すように美月が動こうとすれば、
彼女の行動に目を光らせていた国見が先手を
打って取り上げ、「重たいものを持つのは禁止
ですからね。」と言いながら、ドリンク運びを
させることなく、そしてもちろん掃除をさせる
こともなく、その日の彼女は、ただデータを
取るだけで終わってしまった。


及川と岩泉だけが残るロッカーの中で、彼らが
着替える中、美月に怪我を負わせた自分に
嫌気がさした及川が、ガンッと拳でロッカーを
叩き付けると、隣の岩泉は冷静に淡々と及川に
言うだけだった。


「今お前を殴っても美月を悲しませるだけ
だから何もしねーよ。」


「いっそ岩ちゃんが殴ってくれる方が気持ちが
楽なんだけど。」


「おぅ、せいぜい苦しめ。」


容赦ない岩泉の言葉に及川が顔を顰めると、
コンコンと外からノック音が聞こえてきて、
岩泉が返事をすればガチャッとドアが開き、
『着替えた?』と美月が顔をのぞかせる。

すると彼女の少し赤くなった鼻を見て、及川
がまた悲しそうな顔を見せるので、「辛気臭え
顔を見せたらブッ飛ばす。」という及川にしか
聞こえない大きさの声でその言葉だけ残すと、
岩泉は便所と言いながら部室から姿を消し、
及川と美月を二人きりにした。


「えぇ、ちょ。えぇ?」と動揺する声を漏らし
ながら、美月と目を合わせるのが辛いのか、
視線を泳がせていると、彼女の方から『徹。』
と声をかけるのだった。


『辛気臭い顔したら殴るからね。』


「いつから、そんな物騒な子になったの。」


岩泉と全く同じ発言をする彼女に、彼の反応の
選択肢はもう笑うしかなくて、わかりましたと
彼女の注意に頷いた。


美月が及川に近づけば、やはり泣きそうな顔で
彼女を見て、唇をぐっと噛み締めるので、
美月はまたそうやってとムスッとした顔で
及川を怒る。


『よし徹、歯を食いしばってね。』


「もうその方が楽だからお願いします。」


美月が及川の顔の前でぎゅっと握り拳を作れば、
彼は彼女の行動を受け入れるように瞼を閉じる
ので、彼女は行くよ?と彼に呼びかけながら、
ゆっくりと腕を引く。


次に来る衝撃を及川は静かに待っていると、
それは痛みなんかでは無く、自分のよく知る
柔らかい感触で、彼は「あー、もう。」と彼は
言葉を震わせた。


「何で…ホント…お前は、そんなに聞き分けが
いいんだよ。」


及川が溢れる本音を吐けば、美月はふふっ
と笑い返し、彼の文句と不満を受け入れる。
ぎゅっと包まれたその優しい温もりに、及川
の方が泣きたくなっていた。

そして、『本当に徹は悪くないんだよ、不安に
させてごめん。』とこちらは何も言わなかった
のに、そう言いながら自分に謝る彼女の言葉を
聞いてしまったら、彼は何も言えなくなって
しまう。


『私は自分の情けない姿、前を進んでいる
徹には見せたくなかっただけだから。』


「…うん、わかってる。」


牛島の事だって、偶然なのはわかってはいる。
ただその場にいるのが自分であって欲しくて
つまらない嫉妬をしただけ。


俺はどんな美月でも大大大好きなんだよ。
本当は彼女へそう伝えたいけど、その言葉を
伝えたらきっと彼女は寂しくなってまた辛そう
な表情を見せてしまうだろう。


もう切り替えますと及川が美月に宣言すれば、
彼女はそれで宜しいと嬉しそうに笑顔を見せ、
抱きしめられた腕を解いて、及川が彼女を
包んで、ぎゅーっと抱き締め直す。


そして二人の間のわだかまりが解決したこの
タイミングで、岩泉が部室に戻ってくると、
及川の勢いに押されて倒れそうになる美月を
目にして、「盛ってんじゃねーよ!」と彼は
理不尽に彼を殴るのだった。


「岩ちゃん、殴らないっていったじゃん!」


「それとこれとは別だ、馬鹿野郎!」


仏頂面の岩泉に嘆きながら、彼は殴られた頬を
痛そうに摩る。
気合い入ったか?とニヤリと笑う岩泉に及川は
もちろんと真っ直ぐな瞳で彼に答えた。








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