負けたくはない
この合宿で美月が唯一幸せを感じる時は宿舎
での食事で、毎年そこのご飯の美味しさに顔
を緩ませた。
昨年は先輩がいたので落ち着かなかったが、
今年はそこには来ないので、ゆっくりと体を
休めることができ、疲れを溜める事無く翌日
を迎え、朝食の味噌汁を幸せそうに啜る彼女
を見れば、及川達も少しだけ安心をした。
『あー、人が作ったご飯って最高。』
「うんうん、しっかり食いな。」
「美月、ごめん。今日のスケジュールも…」
『今日も練習試合が多めなんだよね?
大丈夫。今日は、ちゃんとフロントホック
だから万全だしね。』
美味しそうに頬張る美月を花巻が温かく見守り、
及川と本日のスケジュールを食べながら口頭で
確認を取ると、彼女がさらっと自分の下着の事
を言い出したので、及川含め彼女の周りにいる
人間はそれを耳にして、一旦固まる。
自分が2年生の頃の感覚をゆっくり取り戻して、
多少彼女も麻痺をしているのか、恥じること
無く言い始めたので、隣にいた及川は慌てて
彼女の口を塞いだ。
「美月、お口チャックして!」
「…あーやべ、今想像した。」
「今すぐ、その煩悩を消してやろうか?」
口元が緩んで急いで隠す花巻に、岩泉がじろっ
と睨んで拳を出してそう言うと、邪念が浮かん
だ後輩達も急いで食べ終える、彼からさっと
席を離れた。
そういう事は2人きりの時に言ってよねーっ!
と及川が言い出すと、及川の向かいの席にいた
岩泉は黙って彼の鮭を一切れ取り、口にした。
「岩ちゃん、それ俺のだし!」
「うるせぇ、エロ川も少しは黙れ。」
「…自分だって、想像してる癖に。」
横取りした岩泉に怒り出す及川は、やはり言葉
が一言余計で、及川の前に拳が飛んで、美月は
呆れた様にいつもの様に二人の間に入って喧嘩
を止める。
そんな彼女を見て、松川はほんと苦労するなと
彼女の好きなだし巻き玉子を皿に移すのだった。
『もう先輩ったら、程々にしてくださいね。』
反応が面白いから。
2年生のある日の練習中にそう言われ、彼女は
どこがと考えながら、拒んでいると余計に
向こうは楽しんで悪化することに気がついた。
それ以降は真逆の対応を試みるようになり、
本日も作業を向こうが休憩中の時に邪魔を
され、挨拶する様におしりを撫でられ、彼女
は怒りを抑えながら、平然を演じて嘘の笑顔
を彼らにふりまく。
するとそれが面白くなさそうな表情を見せる
ので、彼女は心の中では勝ったと鼻で笑い、
そのまま失礼しますと踵を返そうとしたら、
ぐいっと首元を引き寄せられてしまった。
「お前さ、彼氏とかどーなの?」
『んー、そうですねー。
今忙しいので、間に合ってまーす。』
触られる事には多少は慣れていても、言い寄ら
れる事には未だに慣れず、あーしまったと眉間
に皺を寄せていると、国見が「先輩!」と彼女を
呼びながらながら駆け寄った。
「入畑先生が呼んでます!」
国見の呼び掛けはごく自然で、まだ認識の無い
彼を誰だコイツ?と悩む合間に、彼女がそこ
からすり抜けるのは簡単だった。
苦手な先輩を背に向けて、国見の背中を押し
ながら、何事も無かったかの様に失礼します
と今度こそ別れの言葉を吐いて、その場から
は逃げ出した。
『英、本当にありがとう!』
「俺や金田一の事はわかってないだろうから、
俺達の方が動きやすいと思って。」
美月は呼び出しなどは全く食らっておらず、
国見は舌を出しながら、彼女の手を引いて
走り出し、仲間の元に辿り着けば、安心する
ように彼らにビブスを渡し、そこで本当の
笑顔を向ける。
「やるじゃん、国見!」
国見のファインプレイに花巻が嬉しそうに彼の
背中を叩き、彼は少し照れ臭そうに叩かれた
箇所を撫でる。
「もう、見えてないとこでやるとか、あの人達
は本当にやることが姑息。」
及川は美月に先輩にどこ触られた?と心配を
して、彼女が触られであろう箇所を消毒消毒と
撫で回す。
すると、岩泉がお前がしてどうする!と怒り、
彼に制裁を加えるように拳骨をして、美月は
苦笑いを浮かべていた。
『でも、この大事な時期に揉め事は極力
避けたい…。』
「その気持ちはわかるけどな、限度ってもんが
あんだろ。」
「なーんか、俺は次にしてきそうなことが
読めてきたわ。」
面倒な相手だとわかっているので、さすがの
岩泉も彼らにはなかなか手を出せず、松川は
何か閃いたのか、そう言って顎に手を当てて
考え込むと、美月を手招きして彼女を呼び、
こそこそと彼女だけに耳打ちをした。
『えー、それを言う勇気。』
「いーから、絶対に効果的面!」
『そうなのか…うん、そうだね。
この問題はちゃんと自分で解決したい。』
松川のアドバイスに少し躊躇いを見せながらも
せっかくの今年最後の合宿をこのまま終わらせ
たくないという気持ちは強くあるので、彼らに
負けたくない彼女のその目は真っ直ぐ真剣で、
空になったドリンクを補充しようとカゴの中
に入れる。
その嫌な時間はしばらくして、計算されたよう
に再びやってきて、案の定、監督達がいない、
彼らの先輩が目を離した隙に現れ、美月は洗濯
したタオルを取り込んで、及川達ともまた距離
がある所にいた。
今回の救いは離れていても仲間の視界範囲内
には自分がいるという事。
きっと今回の予定は、及川達も少し揶揄って
やろうという魂胆が見え見えのものだった。
だからその内容も美月に今日の夜の予定を
聞いてきて、背後からじっとりと抱きついて
くる。
『今日はミーティングあるので、忙しい
ですねー。』
「牧野さ、本当に男いねえの?松川も花巻も
お前を名前で呼んでるのに。本当はアイツら
とよろしくやってんじゃねーの?」
『ご想像にお任せしまーす。』
抱きついてきた先輩の隣で、一人の先輩がそう
尋ねるので、適当に彼女がそう言って返事を
すると、もう一方からは俺ともどう?と背後
から誘いの文句を付けて、何処からその自信が
湧くのか、彼女に下半身を寄せてきた。
『そうですねー。』
うーわ、松川の言う通り。
自分のお尻部分に態とらしく寄せてきたそこに
美月の目は思わず座った。
やるとしたら、今しかないのだ。
『…ちっさ。松川の比にもなんないじゃん。』
「…はっ???」
『んー、先輩小さそうなので、私には満足が
出来るか。ちなみに、あそこの花巻君にも
負けてらっしゃいますけど?』
にっこりと爽やかな笑顔を向けて、はっきりと
美月がそう言い切ると、予想を裏切る彼女の
反応に目を丸くさせ、そして遠回しにプライド
に傷をつけられた言葉をぶつけられ、彼は怒り
から体が震えていた。
「お前、本当に犯してやろうか!!?」
彼が荒らげた声叫んだ途端、周りは今この状況
に削ぐわない発言に驚いて、シーンと一旦静か
になる。
その言葉はもちろん彼らの先輩にあたる上級生
には届いており、周りが見えなくなった彼が
我に返り、一気に血の気が引いていた。
「お前、彼女に何言ってんだ?」
そこのキャプテンは睨みを効かせながら、彼を
見て顔を顰め、じりじりと近寄り彼の肩を強く
掴んだ。
「女口説く為に来てんなら、さっさと帰れ。」
そして二度と来るなときっと彼らのキャプテン
にあたる人物にキツい口調で言われ、その言葉
を聞くと、美月に危害を加えようとした彼は
掴まれた手を振り払い、その場から立ち去った。
「大丈夫か?うちの馬鹿が悪かった。」
『ありがとうございました。私は
大丈夫です。』
「ごめん。何となくアイツらが怪しいのは
分かってたんだけど、こうゆうのは現行犯
じゃねーとなかなか…」
『いや、そんな!私も大事にする予定は
無くて…だから、ここは穏便にしましょう。』
呆気なく追い払えた事に驚いて、キャプテンの
彼が悪いなんて、美月はこれっぽっちも思って
はいないので、そう言って話を切り上げると
タオルのカゴを持ち直し、彼らの練習を邪魔
したくなかったからかペコリと頭を下げ、
仲間のいる方向へ胸を張って走っていく。
それは、今までの弱かった自分にも勝てた
気がして、爽快だった。
青城のマネはタフなんだなと感心の眼差しを
向けられているとは露知らず、彼女は仲間に
迷惑をかけずに事が済んだことに喜び、松川
を見つけるとすぐに、アドバイスありがとう!
と満面の笑顔でハイタッチをするのだった。
「お前本当に言ったんだな。」
『うん、ついでに松川や花巻の方が大きい
ですって言ったら効いたみたい!』
「え…あ、そうなの…?うん。」
「お前、美月に何仕込んだんだよ。」
「いや次は絶対にヤラシイこと言って、自信の
ある体の一部を押し付けてくるだろうから、
小さいですねって言ってやりなって…」
「松川、お前。」
「まっつん!!!美月に何言わせてんの。」
『だってあの人達と全然違うんだもん、
懐の大きさが!!!』
「天然がこえーって思ったの、今日が1番だわ。」