新たな一手を
昨日の練習試合を終えてから、それぞれがいい
刺激になったのか、更に動きが良くなったこと
に美月は上機嫌で鼻歌を歌いながらデータを
取り、仲間や後輩の好調具合を喜んだ。
後は京谷が練習に参加すれば、この上無いの
だが、今日がその予定の日となっているが、
練習が始まっても彼の姿はまだそこには無い。
念の為に彼のドリンクも一応準備をしているの
だが、減ることの無いそれを見つめていると、
急にバサッとタオルを被され、それに驚いて
顔を上げると、そこには岩泉の顔があった。
「そんな辛気臭ぇ顔してると、来るものも
こねーだろ。堂々としとけ。」
『うん、わかってるんだけど。』
大丈夫だとわかってはいても日が暗くなって
行くにつれ、このまま来ないのではないかと
不安になる美月は、気がつけば顔を曇らせて
いたのか、岩泉がそう言いながら喝を入れた。
『ハジメ、背中貸して。』
不安をかき消すように岩泉の背中にぐりぐりと
頭を押し付けて、気が済めばよし!と気合いを
入れるように両手を上げる。
「何だ、今の。」
『ハジメからエネルギーを貰ってみた。』
「意味わかんねーよ。」
美月の笑顔に釣られるように、岩泉も謎の行動
に笑っていると、何となくそんなやり取りを
する空気がほんのりと甘い気がして、彼女と
練習中には絶対に出来ないスキンシップを羨む
及川が、ジリジリと近づいてきた。
「岩ちゃんばっかズルくない?なんか美月と
イチャイチャしちゃってさ。
あんましチャラチャラしたらダメだよ?」
「お前にだけは言われたくねーよ!」
つい先程まで、及川の練習を見に来た女子の
声援を及川は手を振りながら応えていたので、
岩泉は納得いかないのか、顔を歪ませる。
「美月がここではそっけないの、岩ちゃん
だって知ってるくせに!」
「知らねーよ、元を辿ればてめぇが原因だろ。」
理不尽な理由で駄々をこねようとする及川を
見て、黙って聞いていたが岩泉が頭に血管を
浮かべながら、転がってきたボールを投げよう
としていると、体育館の入口から矢巾の珍しい
怒鳴り声が聞こえて来たので、皆の視線は一気
にそちらへと集中した。
「オイ!久々に来たんなら、マトモに挨拶
くらいしろよ!」
「まぁまぁまぁ、矢巾落ち着いて。」
「及川さん。」
一触即発の空気に美月が止めに入ろうとすぐに
2人の元へ駆け寄ろうとすれば、それは主将の
仕事だと伝えるように、及川が遮って美月の前
に立ち、その現れた人物を笑顔で迎え入れた。
「久しぶり〜、待ってたよ〜。オカエリ狂犬
ちゃん。」
及川に声をかけられた狂犬こと京谷賢太郎は、
決して及川の言葉に表情を変えることはなく、
手に持つハミチキに齧り付いた。
傍若無人なその態度はこの中ではかなりの異色
で、後輩の動揺する姿を美月は心配しながらも
彼がここに来たことにまず胸を撫で下ろすの
だった。
『京谷おかえりなさい。』
及川の次にに続いて声をかけたのは美月で、
球技大会ぶりに会う彼に、他の後輩達を配慮
してなのか、普段のような優しい笑顔は見せる
ことはなく、冷静な態度で彼に声をかけた。
及川が呼んだ狂犬というあだ名を不思議に思う
金田一に矢巾がその名の由来や当時の衝突した
経緯の説明を始め、その話を耳にした美月は、
「美月さんのセクハラだって…」と言葉を続けた
矢巾に釘を刺し、必要以上の情報は流さない
ようにした。
『矢巾、それ以上は余計なこと。それが全ての
原因じゃないんだからね。』
「…すいません。」
終わったことは言わなくていいからと少しだけ
強めの口調で止めると、矢巾もグッと下唇を
噛み締め、再び彼女の視線は京谷へ向けると、
3年生の姿を見て、彼は少し眉をひそめた。
「何だよ、3年生まだいたのかよ。
インターハイ予選で負けて、もう引退したかと
思ったのに。」
京谷が最初に発した失礼極まりない言葉に、
後輩たちは青ざめ、3年生達は美月を含め怒り
を堪える中、及川だけは変わらずへらっと笑顔
を見せながら、「相変わらず、狂犬ちゃんは
面白い!」と言いながら、隣にいた美月の背中
を宥めるように撫でていた。
「変な呼び方しないで欲しいんスけど。」と
相変わらず京谷はそのあだ名が気に入らない
模様で顔を顰めるが、及川は彼に構うことなく
言葉を続け、両手を広げた。
「ああ!及川さんが居る代に同じチームで
プレー出来て良かった!」
及川が間を空けながら、…って言えるように
してあげるね。と彼にニヤリと笑みを見せた
瞬間、京谷は反射からバッと後ろに身を引き、
隣にいた美月も言葉だけで京谷へ圧をかけた
のがわかったのか、反射から及川から離れて、
隣にいた花巻の腕にしがみついた。
及川は無意識の行動だったのか、警戒する京谷
を不思議そうに見て、花巻はお前も何やってん
のと呆れた口調で美月に突っ込みを入れるが、
抱きついてきた際のその柔らかい感触は彼に
とって美味しかったのだろうか、口元は何処か
嬉しそうだった。
国見もそれが本能で動いたとわかったのか、
京谷を少し興味深そうに見るものの、それより
も大好きな先輩の行動も気になってしまって、
ここにいればよかったのにと傍にいなかった
後悔のため息を吐く。
すると松川も考えることは同じだったのか、
そろそろ離れなさいよ?と美月と花巻の間を
断ち切っていた。
「問題起こしたワケでもないし、試合で使える
んならいいんでない?」
京谷の現在の実力を知る為に練習風景を見て、
試合で活かせるのか品定めするかのように
レギュラー陣が彼の様子を伺っていると、
最初にそう切り出したのは松川だった。
「コミュニケーションも含めて!」
花巻が付け加えるようにそう言えば、岩泉は
ブランクがある分、練習についていけるかを
心配していたが、美月がそれは大丈夫でしょ。
と彼の様子を見てそう言えば、彼女の言葉に
及川も納得するように言葉を足した。
「…まぁ、あれは練習してない奴の動きじゃ
ないね。」
他の後輩達との練習を見届けていると、やはり
その中では頭一つ抜けていて、その実力をどう
にか生かそうと考え込む。
『後はゆっくりとこの中に馴染ませるしかない
よね。時間はわずかだけけど。』
美月はそう言いながら彼の今の状態は把握して、
ノートに色々と書き込むと、それ以上は京谷を
観察することも無く、後輩達のいる方向へと
近寄って行った。
『金田一も国見も先輩だから怖く見えるかも
だけど、いつも通りで大丈夫だからね?
京谷も不器用なだけで、優しい所もあるし。』
「はっ、はい。」
「何となく、わかった気はします。」
後輩達の動きが硬くならないように動き出した
美月は、彼と初めて対面した後輩2人が動揺を
見せていても、普段と何ら変わりはなさそう
なので、その反応に少しだけ安心をする。
渡もこのチームがより良くなるならと納得する
方向の返事を彼女に伝えて、最後に美月が気に
かけたのはやはり矢巾だった。
『先輩達、冷たいなって思ったんでしょ?』
「…ノーコメントでお願いします。」
『矢巾にはいっぱい苦労かけるかもしれない
けど、ホントに頼りにしてるからね。』
先輩達の会話で思う所があるのか、彼が見せた
表情を美月は見逃さず、彼女は彼の背中に
優しく手を添えると、申し訳なさそうな顔で
矢巾にそう声をかけた。
「美月さん、今それ言うのはズルいですよ。」
『うん、わかってる。酷い先輩でごめんね。』
確かに頼ってくださいとは言ったけれどと頭を
抱える矢巾を見て、『何だかんだ、そう言いな
がらも面倒を見てくれる矢巾が好きだよ』と
美月に笑いかけられると、彼もそれ以上は何も
言い返せれなくなり、口を尖らせた。
美月が今この状況で頼れるのは自分だけだと
分かっており、それに彼女に好きという言葉を
用いられてしまうと、何でもしてあげたくなる
単純な男は、もー!と叫び声を上げながら、
コートの中へと走って向かう。
『うん、ウチの後輩はやっぱり頼もしい!』
美月は矢巾に感謝をしながら、及川達の方を
振り返って、誇らしげに笑顔を向ける。
彼らはそんな彼女の立ち回りの上手さに適わ
なくて、君には頭が上がりません!と言い
ながら、及川は肩を竦めるのだった。