僅かな打ち解け
「遅せぇよ、お前やる気あるのかよ!」
遅れて登場をすれば、矢巾の罵声で迎えられ、
相変わらずの仏頂面で、京谷は登場した。
矢巾のその声で顔を顰め、何か言い返したそう
な素振りを見せるが、彼は何も言わずに、その
まま練習に合流し、その後も本日はタイミング
が悪いことに、練習中に勢い余って矢巾と京谷
はぶつかってしまう。
その後に、矢巾が嫌味を吐いてそのまま口論と
なり、すっかり臍を曲げた京谷は、体育館から
そのまま帰ると言って出ていった。
『あ、こら…京谷!』
美月が京谷を引き留めようとして、足を1歩前
に出そうとすれば、松川にそれは止められて、
彼は矢巾の元へと向かっていく。
「悪いけどさ、京谷連れ戻して来てくんない?」
「…えっ。」
「お前の気持ちもわかるけど時期も時期だし、
無駄な時間減らさねーと。」
そして、そこには花巻や岩泉も一緒にいて、
京谷を連れ戻すように促したのか、不満そうな
顔を見せるが、先輩3人に言われれば、彼の元へ
向かうしかない矢巾は、そのまま体育館へ出て
行った。
『矢巾も練習したかっただろうから、私が
行ってきたのに…。』
「うん、今回はダメ。後輩の成長の為だし。」
「お前ばっかりが何でもかんでもやってると、
後で後輩が困るだろ。
そろそろ、アイツらが動かねーと。」
美月が心配をしながら矢巾の背中を見送って
いると、それを耳にした及川と岩泉にはっきり
とそう言われてしまい、彼らの言っている事が
ちゃんと正しい事をわかっている彼女は、そう
だよねと納得をしながら、2人の言葉に頷く。
まだまだ引退する予定は無いが、その先にまだ
繋がりがある後輩達が、自分達で解決出来る
ようにならなければいけない。
どうしても頭ではわかっていても、ついつい体
が自然と動いてしまう彼女は、なかなか戻って
来ない2人が気になるのか、余所見が多くなり、
不覚にも岩泉がブレてしまったスパイクを見事
に顔面で受け止めていた。
「お前、余所見するくらいならアイツらんとこ
行ってこい!」
『嫌だ。ハジメ達の言う通りだし、矢巾達の為
にならないもん。』
「おー、えらいえらい。我慢出来てる。」
「いや。それで美月が怪我するのは勘弁だわ。」
『余所見して皆に心配かけちゃったのは、
さすがにごめん。』
「わかればよろしい。」
今回はギリギリの所で鼻は避けたので出血は
無く、花巻が褒め言葉をかけながら美月の頭
を撫で、松川は苦笑いを浮かべていた。
美月の謝罪で及川が許していると、2人がそこ
でやっと戻ってきたのだが、何故か京谷の肩や
腕には動物の毛のようなものを付けて帰って
きたので、先輩達は、2人をきょとんとした顔
で迎えた。
「え、狂犬ちゃんは変身でもしたの?」
「まあ、その…これにはワケがあって。」
及川の質問に答えたのは矢巾で、京谷は黙った
まま、顰めっ面で立っていた。
どうやら、外で子犬を拾ったり子猫を拾ったり
と、2人にはハプニングがあった模様で、美月は
その話を聞いて笑っていた。
『とりあえず、部室にコロコロがあるから
私取ってくるね。』
「えっ。美月さんの顔、ちょっと赤くなって
ないっすか!?」
『大丈夫、たいしたことない!』
矢巾は美月の少し晴れた頬を見て驚いた顔を
見せたのだが、彼女はそんな事は構わず、2人が
戻ってきた事に嬉しくなって、動きたくて仕方
なかったその人物は、すぐに立ち上がる。
部室からすぐにコロコロを持ってくると、京谷
の肩から腕にかけて、付いていた毛を楽しそう
に取り、綺麗に全て取り終えると、練習再開の
合図を送るように、京谷の背中を押した。
『ありがとね。矢巾がちゃんと呼びに行って
くれたから、助かったよ。』
そして矢巾への感謝の言葉も忘れずに、お礼を
言って、自分の持ち場に再び戻る。
美月に気を遣わせるのは、やはり胸が痛いのか、
複雑そうな表情で軽く頭を下げると、彼も再び
練習へ戻るのだった。
10月になると、日が沈んで行くのも早いから
か、暗くなると一気は気温が下がり、練習が
終わると、美月は早く閉まる女子の部室で先に
着替えを済ませてから、片付けを始めた。
美月が全てのボトルを洗い終えて、手を擦り
ながら寒そうにしていると、背後から大きな体
に包まれて、それと同時に大きな手にも包まれ
て、その体温ですぐに体は温まった。
「はい、今日もお疲れ様。」
『あっすごい、松川のおかげで暖かい。』
「美月がお世話好きなのは仕方ないけど、
ちょっと、君は色々と気にかけ過ぎ。
もう少し、俺達のことも頼りなさいよ?」
『心配してくれて、ありがとね。』
まだ少しだけ赤みが残る頬を心配して、松川が
労いの言葉をかけながら、ジャージの中に美月
を閉じ込めると、そのまま楽しそうに彼女の手
を撫でており、練習で暑くなっていた彼には
丁度良いようで、逆に外にいてひんやりとした
彼女で、クールダウンをする。
「なぁ。なんか、おでん食いたくなんない?」
『いいねー、私もおでん食べたいかも。』
そして話はそこで切り替わり、暑さが逃げた
ところで、ふと温かいものが恋しくなったのか、
松川は唐突にそう言い出して、くるっと向きを
変えて目を輝かせる。
『あ、松川ジャージ伸びちゃうよ!
…あと、この距離は結構近い。』
「ん、もうちょいこのままいさせて。」
「あ、お前らこんな所に…っておい。」
「あらあら松川さん、何楽しそうな事しちゃっ
てんの?」
「あーあ、見つかっちゃった。」
2人の寄り道が決定した所で、岩泉と花巻に
彼女を独り占めしている姿が見つかってしまい、
そこに及川も混ざると一気に騒がしくなる。
そうなると松川は渋々解放して、ほんのりと
彼女の頬が赤くなったのを確認したら、満足
そうな表情を見せた。
『卵と大根と…あと何にしよう。』
「美月は何の話?」
「おでんの話。」
「何それ、俺も食べたくなったじゃん。」
「厚揚げ食いたくなってきた。」
それぞれが食べたくなった具の話を始めながら
部室へ向かい、美月は及川達が着替え終えるの
を待っていると、一足先に部室からは京谷が
出てきた。
『京谷、お疲れ様。』
彼にそう挨拶をすれば、返事は言葉で帰らず、
頭を軽く下げながら彼女の鞄にまた何かを入れ
そうになっていて、今回は反射で美月が彼のその
手を入れる前に掴んでしまっていた。
『もう私に差し入れ無くても大丈夫だから、
それよりも早く練習においで。あと、京谷で
疲れてる事なんて、一切無いんだからね。』
美月はそう言って、彼がさりげなく彼女へ渡そ
うとしていたお菓子は受け取らず、彼に返そう
とすれば、その手は振りほどかれて、強引に鞄
に突っ込まれてしまった。
「じゃあ…くれ。」
『ん、どうしたの?』
「明日から、自主練付き合ってくれ。」
京谷の言葉が上手く聞き取れず、美月が再度
聞き返したら、それに苛立ちを見せた彼は、
怒った口調で彼女にそう言うと、そのまま彼女
に背を向けて歩き出し、そのまま立ち去った。
及川達が部室から出てくると、彼女が緩みそう
になる口元を押さえて、八の字の眉毛で及川達
を見ていたので、それに勘違いをした彼らは、
目を見開き、美月は言葉に表せないまま、どう
したらいいか分からず岩泉に抱きついて顔を
埋め、再び部室前は騒がしくなるのだった。
「え、何、京谷にチューでもされたの!?」
『違う、京谷に明日自主練を誘われた。』
「紛らわしいだろうが、突然引っ付くな!」
「そう言いながら、岩泉さん。
アンタ、その後ろの手は何?。」
「マッキー、岩ちゃんに突っ込んだら
ただ理不尽に殴られるだけだから。」