『治さん、事件です。お肉が噛まずに溶け
ました。』
深刻な顔をして訴える、美琴の表情が見ていて
本当に可笑しくて、向かい座る治は声を出して
笑っていた。
「ほんま、オーバーやなぁ…てホンマや!」
ゆらゆらと青い火で熱された、サシの入った
綺麗なそれは食べ頃となり、治も彼女同様、
それを口にして、目を丸くする。
いつも食べ放題で食べるものとは違うその甘さ
に感動しながら噛み締めて、あっという間に
無くなるその儚さに、思わず彼も言葉じゃなく
ため息が出た。
欲張り懐石コースは正解だった。
少しお高めのそのコースに頭を悩ませたが、
夏休みの忙しい時期を乗りきったご褒美には
ピッタリで、彼女の東京旅行の鬱憤を晴らす
にも丁度良かった。
彼女の学生最後の夏休みの思い出として、車で
行けば2時間程掛かる温泉街の人気旅館を予約
して、運転疲れを癒す為にまず一風呂浴びると、
個室の食堂へと足を運ばせる。
久しぶりの贅沢に癒されながら、目の前にいる
可愛くて仕方の無い後輩にも癒されて、全身の
疲れを完全に取り、美琴と目が合えば目尻を
下げ、彼に釣られてふわっと笑う彼女の笑顔も
幸せそうで、連れてきて正解だったと改めて
思うのだった。
『お刺身もおいしい!あと、この茶碗蒸しも
海鮮いっぱいですね。』
「魚介から出る旨みが詰め込まれとるな…。」
『兜煮もほろほろですね。』
「それな、酒にもめっちゃ合うし。」
『食器も食材を際立たせとって素敵や。』
昔だと何も考えずに口にしていたが、ついつい
治も職業柄、味を片っ端から分析してしまい、
これが侑だと黙って食えやと呆れるのだが、
美琴は彼に便乗して、彼と同じ顔で一緒になり、
考える。
そして同じタイミングで我に返り、今日は旅行
なのだから、普通に食べようかと笑い合って、
美琴は治の切子グラスに冷酒を注ぐのだった。
「全部美味かったな、さすが老舗旅館。」
『幸せでしたね。』
「温泉街やから、遊ぶ所もいっぱいみたい
やな。」
『わー、行ってみたいです!』
「ほな、決まりやな。」
食事を堪能した後は、少しだけ運動をしようと
外へ散歩に向かい、旅館で借りた下駄がカラン
カランと夜の道に鳴り響く。
『ふふっ、治さんが息抜き出来て安心しま
した。』
「ほんま、上手く予定が空いて良かったわ。」
涼しくなった夜風は歩くには丁度よく、花火
大会では、2人で揃って浴衣で歩くことは叶わ
なかったからか、治は彼女と並んで歩くことを
嬉しそうに見ている。
美琴も普段は目にすることない、ゆらゆらと
揺らめくレトロな街灯は新鮮なのか、何処か
楽しそうで、治は彼女が転ばないようにと恋人
繋ぎをし、その街の雰囲気に「ええな、こうゆう
の。」と言葉を零した。
『治さん、綺麗や。』
柳の木を背景にして、ほんのりと照明に照ら
される彼が、いつもよりも少し艶っぽく見えて
しまった美琴は、正直な感想をぽつりと吐いて
しまい、治がその言葉に、自分に視線を向けた
のが恥ずかしくなったのか、あかん!つい…と
目を泳がせた。
『す、すいません、男の人に向ける言葉と
ちゃいますよね。』
「あ…いや、嫌やないけど…。」
『治さんの浴衣姿、あんま見んからやろか…
せやから、その。』
目を見開いてじっと治に見つめられ、美琴はその
視線から逃げたくなるのか、耳に手をかける。
綺麗だと言ってくれた、彼女の揺れる瞳の方
が、自分よりも綺麗に見えて、治はそれに
見蕩れて黙っていたのだが、どうやら彼女は
失礼な事を言ったと勘違いをしているので、
「嬉しいで、ありがとう。」と素直に微笑み、
彼女にお礼を言う。
するとそれはかえって逆効果だったのか、両手
で顔を隠し始めたので、治は戸惑って、気持ち
を紛らわせるものを必死に探し始めた。
「美琴、あそこに射的があるで!!
面白そうやから、行ってみようや!」
彼はそう言って彼女を引っ張り、指差す看板の
引き戸をカラカラと開ける。
平日に取ったのは正解だったか、貸切状態の
シーンとした店内で2人は冷静になり、小銭を
払って、治は慣れた手付きで的へ銃を向けた。
「久々だとテンション上がるな。」
『治さん、得意なんですか?』
「小学生の頃、ツムによぅ付き合わされ
とったわ。」
『なるほど、それは目に浮かびますね。』
彼は見本を見せながら手順を丁寧に教えてみる
と、ぎこちない様子で構える美琴はとても面白く、
彼が真面目に狙っていた的は見事にブレた。
「あかん…、美琴を見ずに打たんと。」
『あっ、治さん、酷い!!!』
そう意地悪を言いながらも、的は見事に的中
させて、尊敬の眼差しを向けられるのは、
やはり嬉しくなるのか、誇らしげに銃を構える。
2人の間の妙な空気はすっかり何処かに消え
去っていて、しばらく射的を楽しんだ後は、
ゲームセンターも見つけ、UFOキャッチャーの
景品で、彼女の好きな狐のぬいぐるみを発見し
たので、治がそれを簡単に取ってあげると、
嬉しそうにぎゅっと抱きしめていた。
『今日の治さん、すっごくカッコイイです!』
「美琴ー、それもう1回言うて?」
色んな種類の狐があった中、あえて銀色の狐を
狙ったのは、自分の本能からなのか。
大切にしますと笑顔を向ける彼女の頭を嬉しく
撫でていると、自分達の旅館へと到着をした。
意外と結構な距離を歩いていたからなのか、
酔いは完全に冷めており、ほんのりと汗を
かいてしまった気がして、治は思わず自分の
臭いを確認してしまう。
そしてふとこの部屋には、露天風呂があった事
を彼は思い出すのだった。
「もう一風呂、入ってくるか。」
『じゃあ私、部屋で待ってますね。』
「いや、この部屋にも露天風呂あんねん。」
『え、凄い!そうだったんですか。』
美琴はこの事実をどうやら知らなかったらしく、
治が冗談半分でニヤリと笑いながら一緒に入る
か?と彼女の耳元で囁くように尋ねたら、耳
まで真っ赤にさせ、口をパクつかせながら
固まってしまった。
「ははっ、嘘やって。」
『もー!早く入って来てください!!!』
ポカポカと胸を叩きながら怒っている美琴の
反応が面白くて、治は笑いながらそのまま奥の
部屋より先に脱衣場へ向かおうとすると、ぐい
ぐいと彼女に背中を押される。
『今の治さん、侑さんみたいや!』
「うわぁ…それは嫌やな。」
美琴の指摘に治はげんなりとした顔を見せ、怒り
ながら脱衣場を後にしたが、彼女はさりげなく、
新しい浴衣とタオルをちゃんと出していた。
「もう、何でそんな可愛い事してくれとん?」
彼女の優しさに小さな幸せを感じつつ、1人
貸切の露天風呂は、予想よりも遥かに良かった模様。
せっかくなので、彼女にも入るように勧めて、
上がってきた彼女も目を輝かせながら、最高で
したと喜んでくれていた。
治はその感想に満足すると、もうしばらくは
このまったりした幸せな時間を堪能しておこう
と、美琴を自分の元へと手招きをし、近寄って
きた彼女を畳で寝そべる自分の腕の中へと巻き 込んで、羞恥で逃げようとする彼女を無視を
する。
そして、最初は恥ずかしがっていた彼女も段々
と心地良くなってきたのか、治にされるがまま、
彼の腕の中でのんびりとテレビを眺めた。
「(…このまま、チューしとうなってきた。)」