美琴を隣にして再び目を伏せると、驚く程に
ぐっすりと眠れ、疲れは取れていた。
紳士を全うして手は全く出さずにいたが、本能
は正直で、自分の腕の中には美琴をしっかりと
包んでいて、先に目覚めた美琴がその距離に
耐えきれず、キャッと驚きの声を上げて、赤葦は
そこでゆっくりと瞼を開ける。
『あの…、その…私、ごめんなさい。』
目を潤ませて口元を押えて、ひたすら謝る彼女
が可愛らしくて、赤葦の息はそこでピタッと
止まる。自分が運んだというのに、何故彼女が
謝るのだ。
謝らないで欲しいというサインを示して、彼女
の髪に触れれば、ぴくりと跳ねるその反応が
更に赤葦を煽って、理性は飛んで、思わず顔を
引き寄せそうになる。
「美琴ちゃん、目を閉じて。」
柔らかい唇に自分のカサついた唇を押し付ける
ことに申し訳無いと詫びながら、赤葦は彼女に
身を寄せた。
そしてそのまま、ゆっくり隙間を縫って舌を
這わせ、彼女の柔らかそうな胸元に触れようと
したその時、残念ながらずるっと自分の涎らし
きもので、現実へと引き戻されてしまう。
『よかった、いっぱい眠れたみたいですね。』
そこに彼女の温もりはちゃんと感じていた為、
赤葦は彼女を抱きしめて深い眠りに付いていた
事に間違いは無かった。
ただ、それ以上の発展は現実には起きておらず、
冷静さを取り戻す為の哀愁漂うため息だけが
漏れる。
そして、疚しい自分に自己嫌悪も混ざって。
彼女のなんて所に触れようとしたんだと、自分
を咎めてみたりもする。
そして、ふと目に入ったのは美琴のスマホの
ロック画面で、通知と共に見えたものは、彼女
がかつて所属していた仲間と一緒に撮った写真。
そこで彼女を挟んで映る双子に自然と意識が
行き、自分はようやくスタート地点に立たされ
たのだと、告げられてるようにも見えた。
「ごめんね、客人にお構いもせずに。」
『大丈夫です。今日の私は赤葦さんの
レスキューに来てますから。』
嫌な顔1つ見せないで逞しい返事をして、でも
赤葦との添い寝を思い出した美琴が恥ずかしそう
に頬を染めていたのを見逃さなかった赤葦は、
くすりと笑い、そんな彼女は小さなコンロの前
に立っていて、昨日作ってくれた鍋の残りが
味噌汁へと変わっていた。
『在り来り過ぎて、恥ずかしいんですけど。
勝手に調味料使っちゃって、すみません。』
「そんな事ないよ、ここにあるものは適当に
使ってくれたらいいし、美琴ちゃんのお陰で
助かった。本当にありがとう。」
ふんわりと香る味噌の香りに胸は弾み、自分の
料理のレパートリーの無さに嘆く彼女を否定
して、赤葦は深々と頭を下げた。
『赤葦さん、そんな!顔上げてください。』
相変わらずの謙虚な態度を見せる美琴に微笑ん
で、すっかり朝食は出来上がったらしく、朝
から2人で向かい合って誰かと食べるのは、
赤葦にとっては久しぶりの事だった。
「うん、美味しい。」
『ふふっ、またまたお口にあって良かった
です。』
自分は関西に移り住む方が味覚が合うのでは
ないかと考えてしまう程、美琴の作った優しい
その味に、しっかり身体に力が入る感覚が戻っ
ていく。
『治さんは、もっと凄いんやけど。』
そして、彼女が誇らしげに話をするのは、共に
過ごす時間の多い彼女の先輩の話で、本当に
彼らに大切にされている事が分かり、赤葦の胸
はチクリと傷んだ。
「今日ばかりは、君の先輩に感謝だ。」
でも彼がいないと、店を開いていないと、彼女
を招いていないと、二度と出会う事が出来な
かった。
こうして、自分の為に来てくれなかった。
今日だけは宮治という人間に感謝し、再びその
味噌汁を口にする。
美琴もその言葉を聞くと、嬉しそうに柔らかい
笑顔をまた、彼に向けるのだった。
「美琴ちゃん、恩返しに何処か連れて行こうと
思うんだけど、行きたい所はある?」
『そんな、赤葦さんまだお疲れやし。』
「ううん、俺が連れて行きたいんだ。気分転換も
兼ねて、美琴ちゃんと歩きたい。」
『うーん、それなら…。』
また、小説で登場した場所かな?とある程度の
彼女の希望しそうな場所を思い浮かべている
と、ぱちりと彼女と目が合い、その一言に赤葦
はきょとんと目を丸くさせた。
「本当に、ここで良かったの?」
『ここが、よかったんです!』
赤葦がその地に降り立つと、彼女の顔色を伺っ
てそう尋ねれば、美琴は満足そうにはっきりと
答え、その表情が尚更彼を驚かせた。
梟谷学園高校と書かれた校門を背に、次は彼ら が青春時代に通った思い出深い店を淡々と巡っ
て、彼女は興味深そうに街並みを楽しんでいた。
『赤葦さんの事をもっともっと知れた気が
して、何や、優越感感じますね。』
「もう、本当に君は。」
自分を知ろうとしてくれた事に、赤葦は胸が
弾み、その言葉に赤葦は優しく目を細め、別れ
の時間は来て欲しくなかったが、必然的にも
それは訪れてしまう。
『今度こそ、遊びに来てくださいね?』
「うん、絶対にそっちに行くから。」
もう一度、駅のホームまで見送った時に、2人
は次も会うことを約束して、仕事で忙しくなる
年内は、会えない事を覚悟していた赤葦は、
最後に彼女の名前を呼んで、一歩近寄った。
「美琴ちゃん、待って」
それは新幹線が到着し、美琴が乗り込む前の
出来事。
夢の中の様にはいかなかったが、その距離に
勇気を出して、赤葦は美琴の額に唇を落とすと、
いつもと同じふふっと笑い声を漏らして、また
ね。と彼女に手を振った。
『わ、ちょっ、ま…。』
額を押さえて動揺をする美琴の背中を押して、
車輌に乗り込むように促し、彼は彼女に背を
向けて立ち去るが、その顔は耳まで熱を帯びて
いた。
そしてそれは美琴も同じく、指定の席まで何とか
辿りついたものの、ペタンとそのまま座席に
座り込んで、流れていく景色を呆然と見届ける。
「美琴、おかえり…って何やその顔。茹でダコ
やん!暖房効きすぎとったんとちゃう?」
『治さん、あのっ…、私。』
いきなりの東京にいるという報告に、嫌な予感
がしていた治は、急いで新神戸駅にいる彼女の
元へ迎えに駆けつけて、未だに額は押さえた
ままで、そのゆらゆらと動く彼女の瞳から汲み
取ったのか、やられた!と彼女の両肩を掴み、
ガックリと肩を落とした。
「美琴、大丈夫か?何も他にはされとらん?」
そして、ぺたぺたと彼女の至る所に触れて心配
し、その目が酷く悲しそうで、彼女も目元が
しょんぼりとし始めたので、はっと治は我に
返った。
『赤葦さんは、凄く優しい人です。』
「せやな、悪かった。」
せめてそれが恋心に発展する前にと、治も焦り
から、彼女の額に唇を落とす。
『えっ、治さん、何で?』
「美琴が落ち込んどると、どうしてもそこにキス
したくなんねん。」
『そういえば、お別れ寂しいなあ思うて、
顔にも出とった気がします。』
純粋な彼女が納得した顔で額を押さえて、治は
彼女を騙す事に罪悪感を抱きながらも、今だけ
はまだ彼に惹かれて欲しくないが為に、せやな
と先手を打った言葉と共に笑顔を向ける。
ごめんな、美琴。誰にも取られたくないねん。
その不安は東京にいる恋敵もまた同じなのだが、
胸の奥に秘めながら、彼女の温かい手を治は
引いて歩き出した。